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 澤田美喜の生涯 −サンダース・ホームへの道−

 澤田美喜さんは1901年三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫として、東京の本郷に生まれました。22才の時、外交官の澤田廉三さんと結婚し、海外各地で華やかに過ごしてきましたが、ロンドンに滞在した時、「ドクター・バナードス・ホーム」施設を見学して、孤児救済活動に目覚め、心の目を開かれて行ったのです。

 その後、澤田さん一家は帰国し、終戦を迎えました。アメリカ軍が進駐し、多くの孤児が生まれ、捨てられるような状況になってきました。そんなある日、澤田さんが汽車に乗っていた時、突然、網棚から紙に包まれた嬰児の死体が膝の上に落ちてきました。澤田さんは大きなショックを受け、この事が孤児の救済に生涯を賭ける契機となったのです。

 澤田さんは先ず、孤児たちの施設を作る為に、岩崎家が国に物納した大磯の別荘を司令部に掛け合い、当時では大金の400万円で買い戻しました。戦後の財閥解体で岩崎家といえども財産は乏しく、自分の持ち物を処分したり、多くの人たちから膨大な借金をしたり、そのほか寄付を集めたりしてお金を作ったのです。そして、最初に寄付をしてくれた英国人女性、エリザベス・サンダースの名にちなみ、1948年に「エリザベスサンダーズ・ホーム」を創立しました。

 戦後間もない日本においては、孤児たちに対する謂れのない偏見や差別には極めて厳しいものがあり、澤田さんや孤児たちが外出すると、罵声を浴びたり、心ない中傷や批難が相次ぎました。しかし、そんな中にあっても、澤田さんは悲しみや優しさ、そして深い愛情をもって孤児たちを守り、並はずれた情熱と強い意思を持って困難に立ち向かい、このホームで述べ2,000人以上の孤児たちを育てたのです。

 1980年78才で澤田さんはスペインのマジョルカ島で帰らぬ人となりましたが、生前、澤田さんはこう言っています。

「私の旅……それは、この子どもたちのために、誰からも何も言われない国、いやな見つめる目のない国、そして、大手を振って歩ける国を求めて歩く……これが私の旅になりました」

 私たちは、澤田さんの考えや生き様から深く学び、ますます多様化する国際社会にあって人種に対するあらゆる偏見、差別感を払拭し、21世紀が「真の共生社会」になるよう、その実現に向けて努力しようではありませんか。

 

資料名:「黒い肌と白い心」(澤田美喜 著)
「現代日本 朝日人物辞典」(朝日新聞社)




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