部落差別の根源にあるもの −皮と肉のケガレー(その3)


ケガレこそ豊饒をもたらす

 各地の伝統的な祭りの中に、神が乗る神輿(ミコシ)の前を穢多が先払いをして歩くということがあった。神の前のキヨメをする者たちの存在がなければ、他の人々は神を祀(マツ)ることさえできなかったのだ。常人には不可能とされたケガレのキヨメを、何なくやってのける者たちがいた。彼らは人でありながら人ではない、そういう意味では神のごとくにもある存在、人々はそのようにして穢多を見、畏怖の念を抱きつつ排除しつづけたのだ。

 大和国(奈良県)生駒郡に龍田新宮と呼ばれている神社があり、そこでは戦前まで次のような祭りが存在していた。旧暦正月15日に新宮から下之庄という被差別部落に使者が立つ。

 ここでは、あらかじめ決められた場所に7人の者が控えている。使者は出座を促すが、7人は何も答えず動こうともしない。 同じことが7度繰り返され、7度目の使者が帰った後7人がやおら席を立って新宮に向かい、新宮の境内社(牛頭(ゴス)天王社)の前で皮を頭から被って龍田の町に走り出る。

 8度目の使者たちと7人が7度半目に出会うこととなるのだが、一般にこれを「七度半の使い」という。その際下之庄の7人が使者に向かって「オナリ」と呼ばわる。7人は龍田の町を7周半するのだが、その間、龍田の町の人は彼らが走る姿を透(ス)き見してもいけないとされる。7人がそれぞれ被っていた計7枚の皮の内の6枚を、井上・福井という2軒の旧家に3枚ずつ塀の外から投げ入れる。残り1枚は7人が新宮に奉納する。同月17日、井上・福井両家の当主が3枚ずつ、計6枚の皮を新宮に持参し、それを的として弓矢を射る。これを皮的神事といい、矢が皮的に命中すれば、その年は豊作とされる。




ハレ/ケ/ケガレ

 日本民俗学ではこの国の民俗が、ハレ/ケ/ケガレの3極によって捉えられている。内のケが普段・日常を意味するのに対して、ハレ・ケガレはいずれも儀式に関わるものとして非日常と解されている。

 ケには「氣」もまた当てられるのだが、この氣も「米(五穀)」によって成る字であり、その氣が充溢(ジュウイツ)すればハレ(晴れ・張る・春)、衰退すればケガレ(毛枯れ・氣枯れ)となるわけだ。

 それにしても字形上「五穀の実り」を意味していたはずの「穢」という字が、それとは逆の意味を担わされるに至ったのは何故なのか。

 白川静さん(立命館大学名誉教授)の『字統』に穢の「声符は歳。歳にの声があり、に荒蕪の意がある。…『艸穢(ソウワイ)既に取り除かれて、禾稼(カカ)茂る』というように、穢とは禾間の雑草をいう」とある。穢=田の中の雑草であり、その穢=雑草を取り除いて初めて穀物が生るというのだが、だとすれば禾と歳(から「艸」を取り除いた字)によって成る「穢」というのは、「艸」が払われて初めて「五穀の実り」もまた保証されるのだということを、おのずから体現していた字であったということになる。

 「五穀の実り」を意味する「歳」が『字統』に、「犠牲を用いる祭儀」とあるのも無視できない。五穀の実りのためにもケモノ(毛物)の犠牲=供儀が必要とされたということだが、先の龍田新宮の祭りは、古代以来動物供儀(クギ)を禁じてきたこの国にあって、たとえそれが擬(モド)きに過ぎなくとも継承しつづけようとした人々の思いを彷彿(ホウフツ)させてくれている。


おわりに

 ケガレは要するにそれなくしては何も生まれ出てこないような蠱惑的(コワクテキ)な力の源泉でもあったのだが、であればこそ排除すべきものとされてきもしたのだ。先の龍田新宮の祭りがまさしくそれであって、人々は部落民を排除しつつ、その排除のゆえにこそそこに聖性を見、自分たち常人には不可能な事々を可能にする異人(=神。下之庄の7人は牛の皮を頭に被ることによって神=牛頭天王となった)として、畏怖し畏敬してもいた。

 17世紀後半から18世紀前半にかけて、人々のそうした在り方に一大変化が起きてくる。それまでは畏怖・畏敬の念をたとえ一部にせよ穢多村に対して持ちつづけていた人々のまなざしが、ただ単に、何かしら「得体の知れない、不気味な者たち」を見る目へと転換していく。人々の宇宙観の転換とでもいうべきか。

 今ある部落差別の形というものも、実はこういう構造のもとに息づきつづけていると見るべきなのだ。