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あゆみ

五木の子守唄のルーツと唄の意味

 日本の民謡の中には、被差別者の境遇や生活を唄ったものがあります。皆さん良くご存知の熊本県の有名な民謡で「五木の子守歌」というのがありますが、この民謡は「子守唄」とはなっていますが、赤ちゃんをあやす唄ではなく、子守娘の気持ちを唄った「守り子唄」と言われています。

 1950年(昭和25)から10年間、作曲家・古関裕而が編曲した「五木の子守歌」は、NHKのおやすみ番組の電波にのり、独特のハモンドオルガンの演奏とともに、地元・五木村が知らない間に、一躍、民謡の花形となり日本の代表的な子守唄として、全国に知れわたっていきました。

 五木は、熊本県人吉市から西北へ25キロ入った山間の村、五木村のことです。

 昔、源平の戦いに敗れた平家の一族が五木村の隣の五家荘村に定着したので、源氏は梶原・土肥の武者を送って五木村に住まわせ、平家の動向を監視させたと伝えられています。

 その後、これらの源氏の子孫を主として、三十三人衆と呼ばれる地主(よか衆とよばれる檀那階級)ができました。この他は「勧進(かんじん)」といわれる、いわゆる小作人で、この小作人は田畑は勿論のこと、家・屋敷から農機具に至るまでを「よか衆」から借り受け、「農奴」として最低の生活に甘んじ、被差別者としての苦しみを続けていました。

 ご存じの方もおられると思いますが「五木の子守唄」をご紹介します。


“おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ヤおらんど
 盆が早よ来りヤ 早よもどる”


“おどまかんじんかんじん
 あん人達アよか衆 よか衆よか帯 よか着物”
*「かんじん」とは、「勧進」であり、社寺・仏像の建立・修繕などのために人に勧めてお金や品物を募ること。またその人。(後に転じて「物乞い」と同意に使われるようになった。)


“おどんがうっちんだちゅうって
 誰が泣いちやくりゅきや 裏の松山 蝉が鳴く”


“蝉じゃござらぬ 妹でござる
 妹なくなよ 気にかかる”


見てくれないでしょう』という気持ちを言ったもの。
“おどんが打死んだなら 道ばたいけろ
 人の通るごち 花あげる”

◆ 伝承者 吉松 保


 五木村から出たこの唄には原曲があり、私たちが馴染んだ曲といささか趣を異にします。原曲で唄える人は数少なくなっています。また、詩の内容もその土地土地で異なりますが、何処の詩にも子守娘の諦めの気持ちと、よか衆に対する小さな抵抗を唄ったものとして伝わっております。

 「五木の子守唄」の他にも、かって「赤い鳥」というグループが世に出した、京都 の「竹田の子守唄」も同様の「守り子唄」と言われています。

 民謡のなかにも近世の被差別者の哀しみを唄ったものがあることをご紹介し、差別問題を、より身近な問題として捉えて頂ければと思います。



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