資料館探訪 津田塾大学 津田梅子資料室
▲展示スペース
皆さんは、2024年7月に発行される新紙幣の肖像画の一つに選ばれた津田梅子についてご存じでしょうか。
財務省ウェブサイトには、肖像の選定理由として「新しい紙幣の肖像になる渋沢栄一氏、津田梅子氏、北里柴三郎氏は、それぞれの分野で傑出した業績を残すとともに、長い時を経た現在でも私たちが課題としている新たな産業の育成、女性活躍、科学の発展といった面からも日本の近代化をリードし、大きく貢献した方々です」とあり、津田梅子について「1871年、岩倉使節団に随行した最初の女子留学生の一人。1900年に女子英学塾(現 津田塾大学)を創立するなど、近代的な女子高等教育に尽力」と紹介されています。
今回、梅子に関する貴重な資料を所蔵・展示している「津田梅子資料室」を訪問する機会を得ましたので、梅子の足跡とあわせてご紹介します。
東京人権啓発企業連絡会 広報委員会
津田梅子の足跡
津田梅子は、1871(明治4)年、6歳の時に岩倉使節団とともに日本初の女子留学生の一人として渡米し、17歳で帰国するまでの約11年間を米国で過ごしています。この留学経験を通じて、女性の社会的立場や境遇が日米で大きく違うことを我が身で感じた梅子は、女性の地位向上が日本の発展に繋がると信じ、帰国後、英語の知識を教えるだけではなく、自身で女子高等教育のための学校をつくるという思いを強めました。
その思いを胸に、1889(明治22)年、華族女学校を休職して再度渡米しブリンマー大学に留学、当時最先端の学問とされた生物学を専攻しました。さらに、自分に続く日本女性が留学できるようにと、8000ドルの寄付を集め、奨学金制度を立ち上げました。そして1900(明治33)年、梅子35歳のときに華族女学校教授の職を辞して、念願の「女子英学塾」を設立しました。
女子教育の目的が「良妻賢母」になることであった時代にあって、梅子は、女性の地位向上には経済的自立が必要と考え、当時、女性合格者がいない文部省教員検定試験の英語教員資格が取れる女性を育成することを塾設立の目的の一つとしました。
女子英学塾開校時の生徒は10人という少人数でスタートを切りました。大きい教室で多くの生徒を教えることは、知識の分配は出来ても真の教育は出来ない。生徒一人ひとりに目を行き届かせ、個性を重んじた教育が梅子のめざす教育でした。
英学塾の開校式式辞の一部を紹介します。「英語を専門に研究して、英語の専門家になろうと骨折るにつけても、完(まっ)たい婦人となるに必要な他の事柄を忽せ(ゆるがせ)にしてはなりません。完たい婦人即ちall-round womenとなるように心掛けねばなりません」
all-round womenという言葉には、女性に高等教育を提供し、女性にもリベラルアーツ教育と専門教育の両方の機会を開きたいという梅子の高い教育理念が込められています。
そして、「婦人らしい婦人であって十分知識も得られましょうし、男子の学び得る程度の学力を養うことも出来ましょう。そこまで皆様をお導きしたいというのが、私共の願いであります」と式辞を結びました。日本女性が社会で男性と同等に活躍できるようになることが、教育者津田梅子としての願いでした。それは、二度の留学や視察などの海外経験において、また英学塾設立のために、梅子を支えてくれた多くの有名無名の人達への恩返しであったのかもしれません。
今でこそジェンダー平等と言われていますが、そのような意識のない時代に、梅子は女子高等教育により女性の地位を向上させることに生涯を捧げ、時代の意識変革を担う女性だったのです。
▲1871年12月米国へ旅立つ時に梅子が着ていた朱色の小袖(津田塾大学津田梅子資料室 所蔵)
津田梅子資料室について
津田梅子資料室は、津田塾大学の創立100周年を記念し、2000年に小平キャンパス図書館内に併設されました。当資料室では、津田梅子と梅子を支えた人々に関する資料、女子高等教育や日米の女子教育に関係する資料等を幅広く収集しています。展示されている資料の中には、梅子の留学免許状、梅子が父母、ホームステイ先のランマン夫人、友人たちへ宛てた多くの書簡等があります。また、ブリンマー大学留学時に指導教授モーガン博士(のちにノーベル生理学・医学賞を受賞)と共同研究した生物学の論文は英国の学術雑誌にも掲載され、その草稿も展示されています。
1898年米国デンバーで開催された万国婦人クラブ連合大会(デンバー会議)で日本代表として講演をしたスピーチ原稿や、会議の後にヘレン・ケラーに面会し、彼女から受け取った手書きのメッセージも展示されています。デンバー会議後には英国の指導的女性たちからの招待を受けて渡英し、滞在中に念願のナイチンゲールとの面談も果たします。その際に贈られた花束を梅子は尊敬する人との出会いの証として押し花にしました。それは大切に保管され、今も資料室に展示されています。津田梅子は、ヘレン・ケラーとナイチンゲール、歴史上の二人の偉大な女性に会うことができた日本人でもあったのです。
資料室には、このように数多くの貴重な資料が所蔵、展示されています。
※留学免許状、ヘレン・ケラーからの手書きメッセージ、ナイチンゲールの花束は保管の都合上、写真展示としています。
資料室の企画展示
資料室では随時企画展示を行うなど情報発信にも力を入れています。2023~2024年企画展では、「津田梅子の小袖修復プロジェクト~完了報告~」を開催し、修復された小袖の展示を行いました。梅子が渡米する際に着用していた朱色の小袖で、津田梅子関連資料の中でも特に人気のある資料だそうです。小袖の展示は傷み具合を考慮して年に2週間の期間限定とされ、残念ながら私たちが訪れた時には展示期間が過ぎていたため実物を見ることはできませんでした。今後も毎年2週間は展示するそうですので、機会を合わせて見学されてはいかがでしょうか。
2024.8 掲載