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見聞

資料館探訪〜国立療養所 栗生楽泉園(くりうらくせんえん)と重監房資料館

ハンセン病から人権を学ぶ現地学習先として、草津温泉郷を訪問しました。
2月24日(火) 国立療養所 栗生楽泉園
2月25日(水) 重監房資料館、湯之沢地区、リーかあさま記念館

遠きは故郷

▲栗生楽泉園から望む白根山 ハンセン病が不治の病と思われていたころ、万病に効くとされる草津の湯には、いちるの望みを湯治にかけて、多くの患者がやってきました。しかし、その患者たちは、世間の無知と偏見から忌み嫌われて、時には世の中に存在しないかのような扱いを受けたのです。

 ハンセン病は、医学的に容易に完治する病になりましたが、社会の差別意識は無くなっていません。元患者の藤田さんは「今ではパスポートひとつで世界中を自由に訪問できるのに、一番遠いところが故郷なんです」と語ります。

 人を人とも思わぬ悲劇を再び繰り返さないために真実を学び、人権を尊重する精神を受け継がねばなりません。

国立療養所 栗生楽泉園

 草津の湯には、江戸時代からハンセン病を病む湯治客も集まりました。明治時代に入ると、草津町は健病同宿と混浴を避けるようになり、1887年(明治20年)、患者たちを草津の東のはずれ、熊笹が覆う湯川の谷間の湯之沢地区に移住させました。

  湯之沢のハンセン病患者たちは荒地をきり拓き、自分たちの自由療養村の建設に意欲を燃やしました。そこでは、独立した社会生活を維持した人もいましたが、一方で少なからぬ人たちが、差別と病苦のため貧困に陥っていました。

 そのような中、1915年(大正4年)イギリス人宣教師コンウォール・リーが訪れ、苦しむハンセン病患者たちを献身的に支援しました。後に「リーかあ(母)さま」と親しみをこめて呼ばれます。

 その湯之沢地区も、1931年(昭和6年)「癩予防法」成立の翌年に「栗生楽泉園」が開設され、強制隔離政策の進行から自治は衰退しました。移住には、患者たちの強い反発があり、地区の解散までに約10年を要したそうです。

 栗生楽泉園の敷地内には、全国の療養所の中で唯一『重監房』が設けられました。各地の療養所からは、秩序を乱したとして不良患者のレッテルを貼られた患者が、恣意的に収監されました。そこでは、想像を絶する扱いがあったのです。(重監房資料館は次ページでご紹介)

 栗生楽泉園は、草津湯畑から車で10分くらいの白根山を望む自然豊かな環境にあり、入所者数のピークは1944年(昭和19年)の1335人ですが、2014年11月現在95名で、平均年齢は84.9歳です。

 福祉課の小林さんに、納骨堂、供養塔、福祉棟、郵便局、居住区域等を案内していただき、社会交流会館(資料展示コーナー併設)では当事者から体験談をお伺いしました。

当事者の体験談

▲入所者自治会長 藤田三四郎さん
(1926年生89歳) 1945年(昭和20年)7月、宇都宮陸軍病院で「伝染病」とだけ宣告され、何一つ知らされぬまま、鉄道で荷物と一緒に、犯罪者のように護送されてきたそうです。しかし、いかに苛烈な状況にあっても「肉体は朽ち果てても心は日々新たなり」と、常に感謝の念をもって人権の回復に取り組まれました。

 入所から70年も経ってなお、差別の空気に家族の絆すら危うく、故郷の墓参りも自重するそうです。それは冒頭の、故郷を遠くに思う心境に繋がっているのです。

▲前草津栗生郵便局長 黒岩伸一さん 黒岩さんは、親子3代にわたる郵便局長として、入所者の生活と希望を支え、外の世界との窓を託されてこられました。この郵便局は、療養所の開設当初から郵政省直轄で併設されました。それは移住を強いられた患者たちの、強い希望だったのです。

 局内はごく普通のたたずまいですが、かつては局員の白衣着用や、すべての郵便物の消毒が義務づけられた歴史があります。しかし、視力を失うなど不自由な入所者のために、貯金の入出金や梱包も助け、入所者たちに寄り添い続けてきました。

 「ある時、そば打ち名人が来て、入所者たちにおいしいそばを振る舞ってくれた。ある入所者の食べ残されたそばを勿体ないと思い、もらって食べたところ、その方が感極まって落涙されたのに驚いた。どんなにつらくても泣かない方なのに…」と、思いを新たにされたお話に胸を打たれます。

リーかあさま記念館

 現在の湯之沢地区は「大滝乃湯」という温泉があり、往時を示すものは「湯之沢橋」の名前くらいです。聖バルナバ教会内の記念館には、当時の写真などが分かりやすく展示されています。困窮するハンセン病患者たちのホームをはじめ、病院や学校などを設けたリーかあさまの行跡と、彼女に支えられた人々の生活が偲ばれます。

種を蒔く

 黒岩さんに、「どのように偏見を無くして業務ができたのですか」と質問してみました。すると、「子どもの頃からここが遊び場で、当たり前に接していたので、最初からなんとも思わない」と即答されたのです。

 まずは偏見ありきと思い込んでいた私たちは、おおいに恥ずかしく思い、また正しく知ることや率直に接することで、予断と偏見は無くせるものだと実感しました。大切な収穫を得た思いです。

 藤田さんはご自身を、「差別を無くすための種を蒔く一人」とおっしゃいます。私たちもその一人となり、新たに知った事実に言葉に表しきれぬ感動を添えて、種を蒔いていきたいと思います。

※おことわり・・・ここでは現代において不適切とされているハンセン病を表す言葉、「癩」及び「らい」「ライ」について、時代背景等の関係上この表現を用いた方が分かりやすい部分に限り、国立療養所栗生楽泉園入所者自治会のご了解を得て使用しておりますので、予めご承知おきください。
※施設の写真は、栗生楽泉園ガイドブックより使用しております。


2015.12掲載

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