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見聞

資料館探訪〜キャンパスに残る戦争遺跡(最終回) 〜過去を知り、現在を見つめ、未来に生きる〜

◆ 登戸研究所

 「第九陸軍技術研究所」俗称「登戸研究所」は、1937年登戸実験所として、現在の小田急線生田駅から徒歩約10分の明治大学生田キャンパス一帯に広がる丘陵に開設されました。そして戦況が泥沼化する中で拡充され、最盛期(1944年)には建物100棟余、所員約1000名もの巨大研究施設となりました。その後、本土決戦体制のため長野県へ移転し終戦を迎えます。そして、終戦とともに陸軍省の通達に従い隠滅されました。

 登戸研究所とは、陸軍参謀本部に直属した毒物の青酸ニトリルや強力電磁波による殺人用怪力光線、米国本土爆撃用最終決戦兵器の風船(気球)爆弾、中国の経済混乱作戦用偽札、スパイ用資材などの開発・製造を行ういわゆる、秘密戦の科学研究機関です。


 この研究所は、中国で活動した関東軍防疫給水部(731部隊)や陸軍中野学校などとも深く関係していました。また、終戦後、主要な研究成果はアメリカに引き渡され、その後の戦争にも形を変え利用されたとも言われています。

【キャンパス内の遺跡】

 老朽化などにより残っていた建物の多くは取り壊されましたが、動物慰霊碑、消火栓、弾薬庫、神社などの貴重な遺跡がキャンパスに残されています。

【登戸研究所資料館】

 現在、唯一残っている当時36号棟と呼ばれた研究棟で、枯葉剤(農作物を枯らす細菌兵器)などを開発していた建物をそのまま利用し、今まで語られなかった戦争の裏面に焦点を当てた全国的にも貴重な資料館として、2010年に開館されました。

 展示室では、当時の研究所の全貌や活動状況だけでなく、史実発掘の過程までも実証的に分かり易く展示されています。また、当時の暗室や流し台などがそのまま展示されていて、当時の様子をうかがうことができます。

〝掘り起こされた研究所〟

▲元所員の方と高校生(木下健蔵氏提供) 公に記録に残されていない登戸研究所の実相発掘のきっかけになったのは、地域平和教育活動でした。

 「話してはならない」とされていたことが、当時の勤務者へのアンケートなどにより、少しずつ解き明かされていきました。特に、移転先の長野県や地元の高校生の平和ゼミでの熱心な活動によって大きく進展していきます。それまで、家族にも語れず、固く口を閉ざしていた元所員の方が、ついに「大人の誰にも話したくなかった。君たちが高校生だから話したのだ」と次世代の若者たちに、自分たちの辛い過去を経験させないために、当時のことを話してくれたそうです。平和と人権へのみんなの想いが、この資料館に詰まっています。




見学は自由です。定例見学会もあります
明治大学平和教育登戸研究所資料館
住所:〒214-8571 川崎市多摩区東三田1-1-1
TEL:044-934-7993
開館時間:水曜〜土曜 10:00〜16:00
ホームページ:http://www.meiji.ac.jp/noborito/index.html
twitter: https://twitter.com/meiji_noborito
facebook:https://www.facebook.com/Noboritoshiryoukan


■定例見学会の申込み先
 登戸研究所保存の会
 TEL:044-911-2726 森田
 ホームページ:http://www.geocities.jp/noboritokenkyujo/



(注)写真は明治大学平和教育登戸研究所資料館提供

2013.8掲載

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