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見聞

金子 みすゞ〜 人々の心に寄り添う童謡を創作した「幻の童謡詩人」(その1)

金子 みすゞ
▲金子 みすゞ

 金子みすゞ(本名は「テル」。以下、ペンネームの「みすゞ」※と記載します。)は、日本で子どものために作られた歌謡・詩(以下「童謡」といいます。)が発展した大正末期に優れた作品を発表した童謡詩人です。「私と小鳥と鈴と」など、みすゞが創作した童謡についてご存知の方は多いでしょう。

 今回は、その作品が今も人々に影響を与えているみすゞの生涯について、ご紹介します。


※「みすゞ」とはイネ科の植物スズタケのことです。「みすゞ」というペンネームは、みすゞが「信濃の国」の枕詞「みすゞ刈る」が好きだったことに由来するといわれています。


◆ 誕生

金子文英堂
 ▲金子文英堂  みすゞは、1903(明治36)年、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に父・金子庄之助、母ミチの長女として生まれました。みすゞが2歳のときに父が亡くなったため、その後、一家は仙崎に金子文英堂という書店を開き、生計を立てていきます。

 みすゞには兄(堅助)と弟(正祐)がいましたが、父の死後、弟が、叔母フジの婚家である書店、上山文英堂の養子となって下関に移ったため、みすゞは祖母、母、兄と4人で暮らすようになりました。


◆ 故郷

お魚
 みすゞの故郷、仙崎は、仙崎湾と深川湾に挟まれた、江戸時代から明治まで捕鯨の基地として繁栄した町で、現在も沿岸漁業が盛んです。みすゞにとって、海や魚は身近な存在であり、後にみすゞが最初に雑誌に投稿する童謡「お魚」その他の作品の中に描かれていきます。また、仙崎は、国の名勝であり天然記念物に指定されている青海島を目前にする風光明媚な町であり、みすゞは後に「仙崎八景」と呼ばれる、仙崎周辺の風景を描いた八編の作品を残しています。



◆ 学生時代

 1910(明治43)年、みすゞは瀬戸崎尋常小学校(現・仙崎小学校)に入学します。小学校時代、みすゞは読書が好きで、友達ともよく遊ぶ子どもだったようです。みすゞが小学4、5年の時の担任であった大島ヒデ先生は、小学生の頃のみすゞについて「草花を押し花にして、だいじに教科書にはさんでいたのを覚えております。あのころから、野の花を見ても心ひかれるというふうでした(抜粋)」と語っています。

 1916(大正5)年、みすゞは大津郡立大津高等女学校(以下「女学校」といいます。)に入学しました。みすゞが女学校の3、4年のとき、金子家にとって大きな出来事がありました。みすゞの叔母フジが病気のために亡くなり、その後、みすゞの母ミチが叔母フジの夫であった上山松蔵と再婚し、仙崎から下関の上山文英堂に移ったのです。みすゞは、祖母と兄との3人暮らしになりました。

 1920(大正9)年、みすゞは卒業生総代として答辞を読み、女学校を卒業しました。


◎写真提供・金子みすゞ著作保存会
◎出展・金子みすゞ童謡全集(JULA出版局)
◎参考文献・「没後80年金子みすゞ」「金子みすゞ こころの宇宙」

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