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見聞

浅川 巧〜朝鮮を愛し、愛された日本人(その2)

◆ 林業技手として

巧が植えた朝鮮松(樹齢80年)の切り株
▲巧が植えた朝鮮松(樹齢80年)の切り株  林業試験所での巧は樹木の養苗に関する試験や調査に携わります。当時の朝鮮の山は、乱伐や盗伐などによって荒廃していました。そんな朝鮮の山を緑化することを夢に、巧の林業に関する調査研究は植栽や病害虫、肥料など多方面に及びました。そして、養苗に使う種子を採取するために朝鮮人の作業員と朝鮮各地を回り、その先々の暮らしを見聞きしながら、人々とも触れあいました。
 巧の仕事で最大の功績とされるのは、当時、人工的には難しいとされていたチョウセンゴヨウマツなどの種子の発芽を可能にする、「露天埋蔵発芽促進法」の開発がありました。この方法はよくいっしょに歩いた作業員の話をヒントに、自然に学ぶ巧の基本姿勢から生み出されたものでした。

◆ 朝鮮の民芸品に魅せられて

 巧は林業技手として働く傍ら、兄・伯教の朝鮮陶磁器の研究調査に協力するとともに、これまで誰も評価することがなかった、朝鮮に古来から伝わる民衆の工芸品(民芸)の美に惹かれ、その研究にも没頭します。こうして、朝鮮での暮らしの見聞に基づく巧の研究は、著書『朝鮮の膳』『朝鮮陶磁名考』となって結実します。
 壊されていく朝鮮文化の保存の必要性を強く感じた巧と兄・伯教、柳宗悦の3人は、朝鮮民族のための美術館を設立しようと、「白樺」の同人と協力し合い、寄付を募り、その実現化に奔走します。そして、豊かとはいえない生活費の中からさまざまな工芸品を買い集め、1924年、ソウルの景福宮内に「朝鮮民族美術館」を開館させます。この美術館の名前に“民族”という文字を入れたのは、日本の同化政策に抵抗する彼らの思いが込められていました。

高根町の知人にあてた巧の年賀状
▲高根町の知人にあてた巧の年賀状 巧巧の著書『朝鮮の膳』
▲巧の著書『朝鮮の膳』

■大正12年9月19日の日記
巧直筆の日記
▲巧直筆の日記  一体日本人は朝鮮人を人間扱ひしない悪い癖がある。朝鮮人に対する理解が乏しすぎる。(中略)[関東大震災について]自分はどうしても信ずることが出来ない。東京に居る朝鮮人の大多数が窮してゐる日本人とその家とが焼けることを望んだとは。そんなに朝鮮人が悪い者だと思ひ込んだ日本人も随分根性がよくない。
 よくよく呪はれた人間だ。自分は彼等の前に朝鮮人の弁護をするために行き度い気が切にする。今度の帝都の惨害の大部分を朝鮮人の放火によると歴史に残すとは忍び難い苦しいことだ。日本人にとつても朝鮮人にとつても恐ろしすぎる。
 事実があるなら仕方もないが、少なくも僕の知る範囲で朝鮮人はそんな馬鹿ばかりでないことだけは明かに云ひ得る。それは時が証明するであらう。

協力・写真提供 浅川伯教・巧兄弟資料館

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