ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

クローズアップ

有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

「見た目」の差別
~「見た目問題」を解決して、世界を変える~

プロフィール

NPO法人 マイフェイス・マイスタイル代表 
外川  浩子(とがわ ひろこ)

東京都墨田区生まれ
20代の頃につきあった男性の顔に大きな火傷の痕があったことがきっかけで、見た目の問題に関心をもつようになる。
2006年、実弟の外川正行とマイフェイス・マイスタイルを設立。見た目に目立つ症状がある人たちがぶつかる困難を「見た目問題」と名づけ、交流会や講演などを通して問題解決をめざし、「人生は、見た目ではなく、人と人のつながりで決まる」と伝え続けている。

▲『顔ニモマケズ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語』より。
水野敬也・著、NPO法人マイフェイス・マイスタイル・協力、2017年、文響社

1.はじめに ~私が20年間ずっと考えてきたこと~

「人は見た目じゃない」。まったくその通りで、きっと皆さんも賛同してくださることと思います。でも、正直なことを言うと、「わかっているけど、見た目にこだわっちゃうよね」という感じではないでしょうか。

テレビも雑誌もネットも、「世の中、やっぱり顔だよ!」という情報があふれているのですから、それも当然の感覚だと思います。現代社会は見た目がとても重視されているのです。

そんな社会の中で、私はある出来事をきっかけに、20年間ずっと、「見た目」について考えてきました。

2.問題との出会い ~私のストーリー~

20代の頃、アルバイト先である大学生と知り合いました。普通に出会って、普通に恋をして、普通にデートをして……。ただひとつ違っていたのは、彼の顔に大きな火傷の痕があったことです。

デートで街を歩いても、電車に乗っても、たくさんの視線を感じました。ジロジロ、チラチラと見られたり。一度通り過ぎてから引き返してまで見に来る人もいたくらいです。

今でも忘れられない出来事があります。デートで横浜を訪れたときのことです。ウィンドウショッピングをしていたら、私と彼の間にちょっと距離が空いてしまいました。すると、紺色のブレザーの制服を着たロングヘアの女子生徒二人がすっと間に入ってきて、私の目の前でヒソヒソと話を始めたのです。「ねえねえ、前の人の顔、見た?」「見た、見た」と。

その頃の私にとって恋人は、世界で一番大切な人でした。こんな仕打ちを受けるなんて、絶対に許せない。でも、どうすればいいのかわからない。怒ればいい?無視すればいい?彼は気づいてないみたいだけど、言うべき?黙ってたほうがいいの?

だけど、顔に火傷の痕があるのは彼一人じゃない。他にも生まれつきのアザとか傷痕や変形など、いろんな症状があるはず。みんなはどうしているんだろう。そう思った私は、とにかく、たくさんの当事者に話を聞いてみることにしました。

3.見た目の症状がある人生

見た目の症状がある人たちから聞かされたのは、私の想像を遥かに超える壮絶な人生でした。ジロジロ見られたり、心ない言葉で傷つけられたりするのは日常茶飯事で、「街を歩いているときは、視線のナイフでメッタ刺しにされている気分だ」と言った人もいます。

また、当事者の多くが、子どもの頃にいじめのターゲットになっていました。無視されたり、罵倒されたり、「その顔でよく生きていられるね」「私だったら、自殺するけど」などと言われたり。「おぇっ、気持ち悪い」と目の前で吐くまねをされた人もいます。トイレに閉じ込められ、「汚えから洗ってやるよ!」と上からホースで水をかけられた人もいました。

学校だけではありません。道で「気持ち悪い顔」と吐き捨てられたり、「あれ見て、ヤバい」と指をさされたり。バイトの面接に行けば「お客さんが嫌がるから」と履歴書を返され、コンビニで買い物をすれば、レジで、まるで汚いものには触りたくないかのように、手の上の方からおつりを落とされる。「汚れた血を入れるわけにはいかない」と恋人の親から結婚を反対されたり、職場の同僚から「お前みたいな化け物を外回りに出せるわけないだろう」と笑われたり。とにかく、学校や職場という日常で傷つけられ、就職、恋愛、結婚といった人生の節目では大きな壁にぶつかっていました。

顔にアザや傷痕があるだけで、顔が左右対称ではないだけで、人生がマイナスからスタートしているようなものです。どんなに当事者が頑張っても同じ土俵に立つことさえ許されない。そんな厳しい現実と向き合いながら、生き抜いていかなくてはなりません。

なぜ、これほど明らかに理不尽なことが社会的な関心とならずに放置され続けているのか。しかも、先天的(生まれつき)だけではなく、事故や病気による後天的な症状もあり、誰もが当事者になる可能性がある問題です。

知ったからには、見て見ぬふりはできません。私は本腰を入れて活動していこうと決心し、志を同じくする実弟とともに、NPO活動へと突き進んでいきました。

4.「見た目問題」とは

私たちが活動を始める以前から、見た目の症状がある人はいて、問題も歴然と存在していました。ただ、個人で、あるいは、それぞれの症状ごとに患者会や当事者団体などを作ったりしながら、バラバラに活動をしているような状況でした。

そこで、みんなが連携できるキーワードとして、生まれつきのアザ、事故や病気による傷痕、変形、欠損、麻痺、脱毛など、先天的または後天的な理由で、特徴的に目立つ症状がある人がぶつかるさまざまな困難を「見た目問題」と名付け、問題解決にむけて活動を始めました。

活動を続けていく中で、あらためて気付かされたことがあります。明らかに差別的な扱いを受けているにも関わらず、周りも、本人ですら、仕方がないと受け止めている現実です。

Yさんは生まれつきの症状で、顔が変形しています。大学生の頃、アルバイトをしようと近所のコンビニへ面接に行きました。が、いくつ受けても採用されない。次にファストフードの面接にチャレンジしましたが、やはりなかなか受からない。5つ目か6つ目で、店長がこう言ったそうです。「お客さんの前に出るのは難しいけれど、キッチンなら採用できるよ」と。この店長さんは正直で優しい人なのだと思います。でも、まだ10代の大学生にむけて、「あなたは一生、人の目から隠れて生きなくてはならない」と宣告したようなものです。これって、本当に差別じゃないのでしょうか。

コンビニ、ファストフード、ファミレス、カフェ、本屋、雑貨屋、服屋、等々。世の中にはたくさんの店があり、大勢の人が働いています。でも、「見た目問題」当事者の店員を見かけたことがあるでしょうか。皆さんも、今一度、考えてみてください。

5.「ルッキズム」って、一体なに?

「ルッキズム(Lookism)」とは、「Looks」(見た目、外見)に「ism」(主義)をくっつけた造語で、1960年代後半にアメリカで始まった「太っているだけで差別されるのはおかしい」というファット・アクセプタンス運動の中で使われたのが始まりです。当初は「外見を理由とした差別」という意味でしたが、時が経ち、もう少し広い意味で使われるようになりました。今では、見た目の良し悪しの評価ですべてが決まる、見た目が魅力的な人ほど優遇される、そういう状況や考え方を指していて、「外見至上主義」とも言われています。

例えば、通訳を選ぶときに、本来であれば語学力や表現力などが基準となるはずなのに、そういう能力とは関係なく見た目の良さだけで選ぶということです。ですから、美を追い求めたり、外見を褒めたり、なんだったら恋人を顔で選んだりしても、それは個人のセンスであって、即ルッキズムとして非難されるようなことではありません。

ルッキズムの象徴のように言われるミスコンテストも、美しさを競うこと自体が悪いわけではなく、〝理想とする美しさ〟だけにこだわった差別的な意識が働いていることが問題なのです。

「過去のミスコンテストの優勝者」と言われたら、どんな人を思い浮かべますか。目が2つ、耳が2つ、鼻と口は1つずつ。腕が2本、足も2本。腕も足もまっすぐに伸びていて、その先には、まっすぐに伸びている指が5本ずつ。そういう姿ではないでしょうか。障害も病気も何にもないのを良しとする優生思想と重なる側面があります。つまり、優生思想を差別とみなすのであれば、そこに色濃く紐づいているルッキズムもダメだよって話なのです。

では、ルッキズムは無くなるのでしょうか。思うに、人は社会の中で多くの経験を重ねながら、見た目のようなわかりやすいものだけではなく、さまざまな要素で物ごとを判断するようになります。それは、多様な価値観を身につけるということとも言えるでしょう。そして、身につけた価値観が増えていくに従って、自然とルッキズムのような考え方は影を潜めていく。ちょっと乱暴かもしれませんが、その理屈を、人の集合体である「社会」に置き換えてみても、同じようなことが言えるのではないかと私は考えています。

とはいえ、私たち人間は、人を羨んだり、妬んだり、ときには見下したりします。財産、立場、性別、国籍など、理由はいろいろあるけれど、そのひとつが「見た目」です。なので、ルッキズムが完全になくなるのは無理だと思うのです。ただ、ルッキズムが無くならなくても「見た目問題」は解決できる。私はそう確信しています。

6.「見た目問題」とルッキズム ~「見た目問題」の解決にむけて~

ルッキズムがはびこると「見た目問題」を抱える当事者はますます生きづらくなる。それは容易に想像できます。当事者がどんなに知見を深め、技術を磨いても、ひとたび見た目の美しさが求められれば、力を生かすチャンスすら奪われてしまうからです。

では、ルッキズムが存在している社会で、どうやって「見た目問題」を解決するのか。それは、私たちがめざしている「解決」が何なのかということでもあるのですが、私たちがめざしているのは、「症状がある人もない人も一緒に楽しく過ごせる社会」です。ルッキズムを捨てきれないかもしれないけど、それでも、症状のある人とない人が同じ空間で、同じ時を過ごし、心を通わせることはできるはずだと考えています。

そのためには、私たちのNPO団体(マイフェイス・マイスタイル)をはじめ、患者会や当事者自身の頑張りと躍進が重要です。「見えないものは、ないこと」になってしまうので、この社会には症状がある人たちが普通にいて、私たちと共に生きていることを知ってもらうことはとても大切なのです。

また、今、世の中に反ルッキズムの波が起こっていて、ルッキズムの勢いに陰りが見え始めていることも追い風になっています。実際、人の見た目を茶化すような、いわゆる「容姿いじり」に対する社会の反応も厳しくなりました。企業の姿勢も変化してきました。多様性を主張するためのイメージ写真に「見た目問題」当事者を登場させている企業もあります。

さまざまな価値観を認めあう流れの中で、社会は確実に変化しています。

▲写真展「You do you. あなたらしさはあなたのもの」(2023年10月、下北沢にて開催)


▲『人は見た目!と言うけれど 私の顔で、自分らしく』外川浩子・著、2020年、岩波ジュニア新書

7.おわりに ~「見た目問題」を解決して世界を変える~

私たちがめざしている〝解決〟とは、「症状がある人もない人も一緒に楽しくすごせる社会」です。マイフェイス・マイスタイルという空間では実現できました。これを少しずつ広めていって、やがて世界中に広まったら、世界は変わると思いませんか。

いつの日か、「人生は、見た目ではなく、人と人のつながりで決まる」と心から言えるような社会になることを切に願いつつ、これからも活動に邁進していきます。皆さん、応援よろしくお願いします!

▲写真展「無自覚なボクが、いまいいたいこと」(2020年1月、渋谷にて開催、撮影:冨樫東正)


2026.3 掲載

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