ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

「つながらない権利」とは何か?
その背景と実現についての考え方

プロフィール

青山学院大学法学部 教授
細川 良 (ほそかわ りょう)

早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程(労働法専修)満期退学。
2012年より(独)労働政策研究・研修機構労使関係部門研究員(2018年より副主任研究員)として、主に厚労省の政策立案にかかわる調査研究に従事。その後、2019年より現職。

専門は日本およびフランスの労働法・労使関係・労働政策。
近年は、「つながらない権利」のほか、プラットフォームワーカーの保護、非正規雇用の均衡処遇についての日仏比較研究に取り組んでいる。

近年、「つながらない権利」という考え方が日本でも徐々に注目を集めるようになってきています。他方で、日本においては法律などで定められているわけでもないことから、それがどのような考え方であるのか、何のために必要であるのか、どのように実現するのかといったことについては、まだまだ知られていないように思います。そこで、本稿では、
1.「つながらない権利」とは何か?、
2.なぜ必要とされているのか、
3.「つながらない権利」を実現するためにはどのように考えたらよいのかについて、述べてみたいと思います。

1.「つながらない権利」とは何か?

「つながらない権利」を法律で明記しているフランスでも、実は、この権利の定義は明確に定められているわけではありません。一般的には、「勤務時間外において仕事とつながらない権利」、言い換えれば、「業務に関連するアクセスから遮断される権利(アクセス遮断権)」と説明されることが多いです。

ここで強調しておきたいのは、「勤務時間外において仕事とつながらない」ことは、法律等で規定されることによってはじめて認められるというものではない、という点です。そもそも、休憩時間や就業時間後、休日は、就業時間ではありませんから、本来、労働者は仕事と関わる義務がないはずです。実際、フランスでは、2016年に「つながらない権利」が立法される以前から、休憩時間に上司からの電話に対応しなかったことを理由とする懲戒処分を無効ーすなわち、休憩時間中は、上司からの電話に対応する義務はないーとした判決があります。日本でも、夜勤中の仮眠時間が労働時間か休憩時間かが争われた事件で、最高裁は、休憩時間は単に業務から離れるというだけでなく、労働からの解放が保障されることを意味する旨を述べています。たとえ仮眠していても、何かあったときにはすぐに対応することが義務付けられている状態は、いわば「スタンバイ状態」にあることを業務として命じられているのであり、休憩時間ではなく労働時間に当たると判断されたのです。

このように、勤務時間外であれば、仕事と「つながらない」のは、本来は当たり前のはずです。実際、以前であれば、たとえ長時間労働であったとしても、職場から離れ、あるいは休日であれば、持ち帰り残業のような特殊な場合を除けば、仕事から解放されるのが一般的でした。しかし、2000年代以降、情報通信技術(ICT)が急速に発展する中で、職場から離れたとしても、スマホやタブレットなどのデバイスと、メールやSNSなどのツールを用いて、いつであろうと、どこにいようと、業務に関するやり取りを行うことが容易になりました。その結果、かつては、「勤務時間外には仕事とつながらないのが当たり前」であったのが、いつの間にか、「勤務時間外であっても、四六時中、仕事とつながるのが当たり前」になってしまったわけです。

以上のような状況を受けて、「つながらない権利」という考え方が注目されるようになったのです。これを踏まえると、「つながらない権利」とは、単に「勤務時間外において業務から遮断される権利」というだけでなく、「勤務時間外における業務からの遮断を積極的・実際的に実現する権利」と捉えるのが良いと思います。

2.「つながらない権利」が必要とされる背景

1.では、「勤務時間外にもいつでも仕事とつながるのが当たり前」になってしまった結果、「つながらない権利」が注目されるようになったことを説明しました。では、「勤務時間外にいつでも仕事とつながる」状況がなぜ問題なのか、言い換えれば、この状況において、なぜ「つながらない権利」が必要とされているのか、という点について、この考え方をめぐる議論の経過や背景を踏まえつつ、述べたいと思います。

「つながらない権利」という考え方が初めて提唱されたのは、2002年のことです。この時期は、ちょうど電子メールやインターネットが本格的に普及を始めた時期です。その後しばらくの間、「つながらない権利」は、働く人の私生活に仕事が入り込んでくることへの警戒感・忌避感との関係で議論されていました。例えば、フランスの世論調査会社が企業の管理職層に対して実施したある調査では(この調査そのものは2016年に実施されたものです)、彼らの8割はバカンス中もオンラインで仕事にアクセスしていると回答しました。その多くは、これらのツールが業務を遂行する上でプラスに作用していると回答する一方で、バカンス中の仕事へのアクセスにストレスを感じると回答しています。また、バカンス中に仕事にアクセスすると回答したうちの1/3が、家族等の近親者との間に不和をもたらしていると回答しています。家族と過ごしている最中に、タブレットとにらめっこをしながら仕事のやり取りをしていたら、家族が不満になるのは当たり前のことですよね。この働く人の私生活の尊重が、「つながらない権利」が必要とされる理由の1つです。

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2010年代に入ると、労働者の過重労働との関係で「つながらない 2010年代に入ると、労働者の過重労働との関係で「つながらない権利」が注目を集めるようになります。日本と同様、フランスでも第三次産業化が進み、ホワイトカラー化が進む中で、働く人に対する過重な肉体的・精神的負荷が深刻化した結果、2010年代には働く人の負荷の軽減が重要な政策的課題となりました。その一環として、働く人の負荷を軽減し、あるいは休息による体力の回復を確保するための「つながらない権利」が注目されるようになったのです。

日本でも、2018年の働き方改革関連法により、長時間労働という労働の物理的な負荷を解消するための施策が本格的に導入されるに至りました。しかし、働く人の健康を考えると、負荷の軽減に加えて休息による体力の回復の確保も重要となります。この点、産業医学における研究成果として、業務連絡が届く可能性があると認識して睡眠をとる場合と、そのような連絡・対応がないと認識して睡眠をとる場合では、体力の回復に差が生じるとの例もあるようです。労働者の体力の回復という点では、上記の働き方改革関連法の中で、いわゆる「勤務間インターバル」の考え方が取り込まれていますが、きちんと回復できるような「休み方」の確保も、働く人の肉体的・精神的健康の確保のために重要です。これが「つながらない権利」が必要とされるもう1つの理由となります。
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3.「つながらない権利」を  どう実現するか?

1.で「つながらない権利」とは、「勤務時間外における業務からの遮断を積極的・実質的に実現する権利」と理解すべきである旨を述べました。では、これを実現するためにはどうしたらよいのでしょうか。フランスではすでに「つながらない権利」を立法化していることを紹介しましたが、それは、例えば特定の時間において、従業員に業務に関するコンタクトをとることを法律で禁止するような内容なのでしょうか。

実は、フランスにおける「つながらない権利」に関する法律は、具体的に特定の時間における業務に関するアクセスを禁止するといったことを規定しているわけではありません。この法律は、第一に、働く人に「つながらない権利」が存在することを確認すること、第二に、「つながらない権利」を実現するための行動計画を労使で協議して合意(労働組合がない職場等においては、使用者が作成)することを義務づけているにとどまります。現実的に考えて、業種や職種によって働き方が大きく異なることからすれば、一律に特定の時間について、仕事に関するアクセスを禁止するというのは無理があると言わざるをえません。そこで、フランスの立法は、「つながらない権利」を実現するための具体的な方策については、企業の労使に検討と実現を委ねているわけです。これを受け、フランスの企業ではさまざまな対応がとられています。一例を紹介すれば、終業時刻から翌日の始業時刻までの一定の時間及び週末につき「原則として業務に関する連絡を行わない時間(緊急時などの例外や、業務の性質上やむを得ない部署等は連絡可能)」とする、これらの時間にメールを送ろうとすると「メールをいま送る必要があるのか」を確認するメッセージが現れるツールや、勤務時間外に外部から来たメールは受信せずに勤務時間外である旨の自動返信をするツールを導入するといったことが行われているようです。

このように、「つながらない権利」を実現するための方法は、企業や業種、職種によってさまざまに異なってくると思いますが、フランスでの取り組みも参照しつつ、いくつかのポイントを整理してみたいと思います。

第一に、フランスで「つながらない権利」に関する立法が行われる過程で、特に強調されていたのは、これを実現するための技術的なツールについてではなく、経営層、管理職層、現場の従業員のそれぞれに対する啓発・教育の重要性でした。1.でも述べたように、「つながらない権利」が必要とされるようになった背景には、本来は業務時間外には「つながらないのが当たり前」であったのが、いつの間にか「つながるのが当たり前」になってしまったという、いわば文化的な問題があります。究極的には、この風潮を変えることが必要とされるのであり、そのためには、経営層が「つながるのが当たり前ではない」ということを認識しメッセージとして発信すること、管理職層がその意味を理解し、具体的な方法も含めて現場に伝達すること、現場の従業員も、単に言われるままに実施するのではなく、考え方を変える必要があることを理解して取り組むことが重要です。

第二に、日本で「つながらない権利」を実現する取り組みを導入しようとする場合に、しばしば問題となるのは、部署による働き方の違いだと思います。単に、部署によって実現可能性や実現可能な手段が異なるという問題に加え、その影響の違いも含めて、部署ごとの不公平感が生じる可能性がある点も懸念材料となるでしょう。これは、いわゆる「ジョブ型」と呼ばれ、自分が担当する仕事以外にはあまり関心がない欧米の労働者とは異なり、企業に対する所属意識が強く、その結果として所属企業内における格差に敏感になりがちな、日本の企業ならではの課題といえるでしょう。この課題を克服する方法は容易ではありませんが、1つには、「部署によって実際に連絡を取る必要が生じる可能性は異なるにせよ、勤務時間外は、本来はつながらないのが当たり前」という考え方の共有を出発点とすることが考えられます。もう1つには、「つながらない権利」の実現それ自体が目的ではなく、それによる私生活・家庭生活の尊重や、休息・体力の回復の確保という最終的な目的の共有と実現です。すなわち、それぞれの部署の業務や職種の性質を踏まえつつ、この目的を実現する方法を、「つながらない権利」と組み合わせて検討することでしょうか。例えば、勤務時間外でも業務上の連絡が必要とされやすい仕事や部署においては、「業務に関する連絡も可」とする休みと、「緊急時以外は連絡不可」とする休み、例えば、子どものイベントごとなどの重要な日を使い分けるといったことも考えられそうです。

第三に、「つながらない権利」をめぐる問題は、究極的には、技術革新に対して、「働き方」という視点からどのように向き合うかという問題でもあります。実際、企業の中には、勤務時間中にも「つながらない権利」を導入する例もあるようです。これは、情報通信技術の発展のゆえに、あまりに過剰な情報が流れ込んでくることで、かえって自身の業務遂行に支障が生じる事態への対応を目的としています。また、コロナ禍でのテレワークの普及が明らかにしたように、技術革新によって、これからは、場所や時間を選ばずに働くことがより広範囲で可能となってくることが予想されます。そうであるならば、働く人が事業所に出勤することを強いられる必然性は後退し、むしろ企業の側が、働く人の生活に合わせて働く場所や時間についての配慮をすることを積極的に求められる事態が来るかもしれません。このような、技術革新に伴う働き方の変化にどのように向き合い、働く人の多様なニーズの実現にどのように生かしていくかという点も、重要な視点と言えるでしょう。

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2023.8 掲載

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