ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

クローズアップ

有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

前野 隆司:個人・組織・社会の ウェルビーイング

プロフィール

慶應義塾大学大学院
システムデザイン・マネジメント研究科 教授
前野 隆司 (まえの たかし)

1984年東京工業大学卒業、1986年同大学修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て現在慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼務。博士(工学)。

著書に、『ウェルビーイング』(2022年)、『ディストピア禍の新・幸福論』(2022年)、『幸せのメカニズム』(2014年)など多数。

ウェルビーイングとはなにか?

近年、ウェルビーイングに注目が集まっています。最近は「幸せ」に近い意味でウェルビーイングという言葉が用いられることが増えてきましたが、英単語のwell-beingとは、読んで字のごとく「良い状態」を表します。英和辞典を引くと、健康、幸せ、福利、福祉とあります。つまり、well-beingは身体的、精神的、社会的に良い状態を表し、「幸福」や「幸せ」よりも広い意味を持つ単語です。一方、happinessは感情的に幸せな状態、すなわち、短期的な心の状態を表しており、「幸福な人生」のように長期的な心の状態も表す「幸福・幸せ」よりも狭義の単語だというべきでしょう。本稿で「幸せ」という時にはwell-beingを意味すると捉えていただければと思います。

憲法において人権の筆頭に挙げられる「幸福追求権」ですが、世間でも近年、幸せやウェルビーイングの重要性が叫ばれています。京セラ、KDDI、JALなどの経営を行ってきた故稲盛和夫氏はかつてより経営理念を「全社員の物心両面の幸福」としてきましたし、最近では、トヨタ自動車が「トヨタの使命は幸せを量産すること」と掲げたり、積水ハウスが「『わが家』を世界一幸せな場所にする。」と表明したり、パナソニックホールディングスの新ブランドスローガンが「幸せの、チカラに。」になるなど、従業員や顧客の幸せが語られる機会が増えています。また、自民党内で「日本Well-being計画推進プロジェクト」が行われたり、デジタル田園都市国家構想の指標にウェルビーイングが採用されたり、人的資本経営の目的はウェルビーイングであると言われるなど、政治の世界でもウェルビーイングが注目されています。

学術的には、もともと心理学分野で行われてきた幸福研究が、近年では、行動経済学、医学、脳神経科学、テクノロジーなど、幅広い分野で行われるようになってきました。多くの研究の結果、幸せにはさまざまな事柄が影響することも明らかにされています。すなわち、幸福度とGDPや収入との関係、幸福度と格差の関係、幸福度と従業員の創造性・生産性・欠勤率・離職率との関係、長続きする幸せと長続きしない幸せ、幸福度と環境・健康・寿命・心的要因の関係などです。

Well-being

「経済成長」から「心の成長」へ

日本国憲法第13条には幸福追求権が明記されているように、幸せをめざすことは人類共通の権利と言えるでしょう。ところが、幸せ・ウェルビーイングという言葉がもてはやされるということは、見方を変えれば、人類が長らく幸せを中心とする社会を作ってこなかったということでもあります。第二次世界大戦後の世界が経済成長重視に偏り過ぎていたと言われていますが、もうすこし長期的な視点で考えてみましょう。

京都大学の広井良典教授によると、人類は拡大・成長期と定常・成熟期を繰り返してきました。人類が誕生した20万年前から1万年前までは狩猟採集社会における拡大期と定常期です。1万年前から300年前までは農耕革命による拡大期と定常期。300年前以降が産業革命による拡大期であり、現代は第三の定常・成熟期への移行期とみなせるのではないか、と広井教授は言います。

幸せに関する研究と重ね合わせて歴史を俯瞰すると、拡大・成長期は物的な豊かさをめざす時代、定常・成熟期は心の豊かさをめざす時代に対応づけられそうです。人類史を見ると、第一の定常・成熟期は「心のビッグバン」(今から5万年前、装飾品や絵画など文化的・芸術的作品が生まれた時代)、第二の定常・成熟期は枢軸時代(紀元前5世紀前後、ギリシャ哲学、諸子百家、仏教などが生まれた時代)と重なり、経済成長は緩やかである反面、人類の心の豊かな成長が見られる時代でした。第三の定常期への移行は、環境・貧困・パンデミッック等の課題を解決すると同時に、人類が精神面で大きく成長し文化や芸術を享受する時代への転換とみなすべきなのではないでしょうか。経済成長という価値軸から見ると成長から停滞への転換に見える世界も、心の幸せから見ると逆に停滞から成長への転換とみなせるのかもしれません。

多くの現代人は戦後の経済成長パラダイムに慣れ過ぎているから、心の成長パラダイムに抵抗感を持つのではないかと言われますが、さらに大きく歴史を俯瞰すると、産業革命以来300年、いや、農耕革命以来1万年間も経済成長パラダイムが主流の世界に生きてきたから、人類はこの大きな転換点に戸惑ってしまうということなのではないのでしょうか。

幸福度の高い人は楽観的で視野が広く、幸福度の低い人は悲観的で視野が狭いという学術研究結果もあります。広い視点から人類の生きるべき未来を俯瞰し、これからの社会のあり方について考えてみるべき時が来ているのでしょう。

日本は不幸な国なのか

幸福度の国際比較はさまざまな形で行われています。毎年、3月20日の国際幸福デー前後に発表される世界幸福度報告によると、日本の幸福度順位はいつも50番台から60番台を行き来しています。日本は先進国中最も幸福度が低いという結果です。ただし、結果の解釈には注意が必要です。この調査は、人生満足度を0から10の11段階で答えてもらったものの平均値を国別に順位づけしたものです。このやり方で調査を行うと、欧米などの個人主義的社会に属する人は高めに、東アジアなどの集団主義的社会の人は低めに答える傾向があることが知られています。つまり、出過ぎないことを重視する謙虚な人は低めに答える傾向があるのです。このため、この順位は差し引いて考えるべきでしょう。ただし、日本の順位が4年間下がり続けているという事実は素直に受け止める必要があるでしょう。

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他の結果も見てみましょう。オランダのエラスムス大学が毎年発表している世界幸福データベースを見ると、日本の幸福度は先進国のなかで中程度です。こちらの結果はジニ係数(※1)と反比例する傾向が見られます。すなわち、所得格差が大きい国ほど幸福度が低い傾向が見られます。

この理由は、行動経済学者・心理学者でノーベル経済学賞受賞者であるダニエル・カーネマン教授による研究結果から説明できます。カーネマン教授のアメリカでの研究によると、個人の所得が7万5千ドルに至るまでは所得と感情的幸福(感情面で計測した幸福度)には比例関係が見られるものの、それを超えると所得と感情的幸福に有意な相関は見られませんでした(図1)。すなわち、所得と幸福度の関係は、限界効用逓減の法則(※2)と同様な曲線を描きます。このため、所得格差の大きい国や地域では、所得が低く不幸になる人が多く、一方、所得が高い人もある程度までしか幸福にならないこともあり、全体としての平均値が低めになるのです。

図1

幸せな人は生産性・創造性が高い

働き方改革や健康経営の重要性が叫ばれるなか、幸福経営に注目が集まっています。なぜでしょうか。働き方と幸せについて考えてみましょう。

企業の目的は利益を上げることでしょうか、従業員を幸せにすることでしょうか。この問いを5年くらい前にSNSで投げかけた時、炎上しました。「企業の目的は株主の利益のため。そんな基本もわかっていないのか」と教え子にまで批判されたものです。

それから数年。SDGs、社会企業、ESG投資などの概念が脚光を浴びるとともに、アメリカでも企業の目的は株主利益ではなくマルチステークホルダー(※3)の利益だと言われ始めるなど、ウェルビーイング中心の社会への大きな価値転換が進んでいます。

学術的には、従業員を幸せにする経営の有効性について世界中でさまざまなエビデンスが得られています。幸せな従業員は不幸せな従業員よりも創造性が3倍高い、生産性が30%高い、欠勤率が低い、離職率が低いなど、多くのことが明らかにされています。また、幸せな従業員は、利他的で、他人を助け、チャレンジ精神が強く、仕事への満足度が高く、エンゲージメント(会社や仕事への愛着や没頭の傾向)が高く、モチベーションが高く、レジリエンス(危機から立ち直る力)が高く、出世も早いことが知られています。

これらより、幸福経営は科学的に考えてすでに必須です。従来の合理的経営とは、精神論は抜きにして、資源を適切に分配し生産性が高く効率的な経営を行うことでした。しかし、合理性・生産性の価値軸が変化したのです。いまや精神論は科学になりました。ワクワク生き生きと幸せに働く従業員は創造性・生産性が高く離職率・欠勤率が低いのですから、従業員が幸せに働いているか否かというパラメータも考慮して経営を行うことが科学的・合理的な経営となったのです。もっと言うと、短期的な利益よりも従業員の幸せを重視した方が長期的な利益につながると考えられます。幸福経営は流行ではなく科学なのですから止められません。近い将来、従業員の幸せを考えない経営は基本的人権の侵害、ないしはハラスメントとみなされる時代が到来するでしょう。怒鳴ってでも叱ってでもノルマの分だけ働かせるのが合理的という前近代的な考え方は幸福論・精神論の科学が発展する前には存在し得ましたが、現在および未来にはありえなくなりました。経営者・管理職・人事担当者は最先端の幸福経営学を学んで新しい合理的経営を行うべきなのです。

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幸せの4つの因子

これまでに、ウェルビーイング中心社会への転換がいかに必要かについて、歴史的、経済的、経営的視点から観てきました。では、どんな人が幸せな人なのでしょうか。私たちが行った研究結果を中心に解説しましょう。

経済学者ロバート・フランク教授は、他人と比較できる財を地位財、比較できない財を非地位財と名付けました。地位財には、金、もの、地位などがあります。これらによる幸福感は長続きしない傾向があると言われています。それは、慣れの効果や、より上をめざす効果によると考えられています。一方の非地位財は、幸福感が長続きする財です。こちらは、心的、身体的、社会的に良好な状態(ウェルビーイング)が影響すると言われています。

私たちが行ったのは、心的幸福の因子分析です。1980年ごろから、どのような心的要因が幸せに寄与するのかについての多くの研究が行われてきました。そこで、私たちは、幸せの心的要因についての87個の質問を1500人の日本人に対して行い、回答内容を因子分析しました。その結果得られたのが幸せの4つの因子です。

第一因子は、やってみよう!因子(自己実現と成長の因子)。やりがい、強み、成長などに関係する因子です。やってみようの反対は、やらされ感、やる気がない、やりたくない。そんな人は幸福度が低い傾向があります。

第二因子は、ありがとう!因子(つながりと感謝の因子)。感謝する人は幸せです。また、利他的で親切な人は幸せ。多様な友人を持つ人は幸せです。逆に、孤独感は幸福度を下げます。つながりが醸成された社会・コミュニティーを作ることが重要です。

第三因子は、なんとかなる!因子(前向きと楽観の因子)。ポジティブかつ楽観的で、細かいことを気にしすぎない人は幸せです。リスクを取って不確実なことにチャレンジし、イノベーションを起こそうとするマインドもこの因子に関連しています。

第四因子は、ありのままに!因子(独立と自分らしさの因子)。人と自分を比べすぎる人は幸福度が低い傾向があります。自分軸を持って、人と比べすぎずに我が道を行く人は幸せです。

これら4つの因子を満たしている人は幸せです。ぜひ、皆さんも、ご家族、職場の皆さん、コミュニティーの皆さんも、4つの因子を満たして幸せに生きてください。

働く人の幸せ・不幸せの14因子

幸せに働く人は生産性・創造性が高く、欠勤率・離職率が低いことを、前に述べました。では、人々が幸せに働くためにはどのような要因が必要なのでしょうか。

慶應義塾大学前野研究室とパーソル総合研究所は2020年7月に「はたらく人の幸せに関する調査」の結果を公表しました。ここでは、幸せと不幸せは単なる反意語ではなく、幸せな働き方の条件と不幸せな働き方の条件は異なるのではないかという仮説のもとに、はたらく人の幸せの7因子、不幸せの7因子を求めました。2020年2月に国内の4634人に対して行なったアンケートの結果を因子分析して求めたものです。

また、これらの結果が生産性やエンゲージメントに関係することや、業種ごとの値の違いも分析しました。

はたらく人の幸せの7因子は、自己裁量因子、自己成長因子などの7つから成ります。また、はたらく人の不幸せの7因子は、オーバーワーク因子、自己抑圧因子などの7つです(図2)。これらの値は、各因子につき3問、14因子合計42問のアンケートに答えることによって求まります。オンラインサイト(※4)も開設していますので、アンケートに答えて全国平均との差を確認してみることもできます。また、調査結果に基づいて話し合ったり、幸せ改善提案活動を行ったりすることによって、幸福度を向上させることができるでしょう。

図2
ただし、アンケートのような定量調査に傾注しすぎないことも重要です。まず、アンケートには残念ながら誤差や不正確性が付きまとうからです。また、私は従業員が幸せに働く多くの会社を見てきましたが、極めて幸せな会社は数値では測りきれないやる気とつながりに満ちています。よって、質的な方法も重視すべきでしょう。また、バイタルデータの計測や人工知能の利用など、テクノロジーを用いる方法も今後発展することでしょう。今後、さまざまな手法で働く幸せが模索されていくと考えられます。

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幸せと健康・長寿

皆さんは長生きしたいですか? 幸せな人は不幸せな人よりも寿命が7年から10年長いという研究結果があります。また、幸せな人は免疫力が高く、健康であるという研究結果もあります。つまり、私たちが「健康に気をつける」ように「幸せに気をつける」べき時代がやって来たのです。

「幸せに気をつける」という表現が不自然に感じられるとすると、もともと幸せはさまざまな事柄の結果であり、物事の原因ではないと考えられてきたからかもしれません。しかし、これまでに述べてきたように、幸せは原因にもなります。多種多様な研究によって、幸せな心の状態が作る結果として、人は利他的になったり、創造性が高まったり、生産性が高まったりすることが知られています。ちなみに、逆の因果もあります。利他性・創造性・生産性が高い人は幸せになります。つまり、幸せは原因にも結果にもなるのです。

話を戻しましょう。幸せだと健康・長寿が得られるので、幸せに気をつけましょう、という話でした。

では、横軸に年齢、縦軸に幸福度を取ったグラフはどのような形を描くのでしょうか。世界中のさまざまな調査の結果、おおむねUカーブを描くことが知られています(図3)。時々異なる結果も報告されていますが、私が日本人を対象に行った調査でもUカーブでした。すなわち、20代の幸福度は高く、40代あたりが底となり、60代になると再び幸福度が高まるような、U字状のカーブを描くのです。

図3

また、スウェーデンの老年学者、故ラーシュ・トーンスタム教授が1980年代後半に提案した老年的超越という概念があります。それによると、90歳を超える高齢者は、自己中心性が減少し、寛容性が高まり、死の恐怖が減り、空間・時間を超越する傾向が見られるようになり、高い幸福感を感じることが知られています。

従来型の価値観では、脂の乗った40代あたりをピークとする逆U字状の幸福感が想定されていたのではないでしょうか。人はこの世に生まれた後、学び、成長して青年期を迎える。その後は衰え、老いていく。しかし、ウェルビーイングの科学は教えてくれます。それは上下が逆なのです。人生100年時代。40代を越えると幸福度は上がり続け、90〜100歳で老年的超越を迎える。

先に述べた幸せの4つの因子を高めながら、皆で老年的超越をめざし、皆でそれを支える社会を作れれば、世界で最初に超高齢化社会を迎える日本は、世界一幸福な国になれるのではないでしょうか。

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※1「ジニ係数」:社会における所得の不平等さを測る指標

※2「限界効用逓減の法則」:財の数量が増加するにつれて、その追加1単位分から得られる効用は次第に減少するという法則

※3「マルチステークホルダー」:従業員、取引先、顧客、債権者、地域社会をはじめとするあらゆる利害関係者(ステークホルダー)を含み、広義には社会全般を意味する

※4「はたらく人の幸福学プロジェクト」:https://rc.persol-group.co.jp/thinktank/spe/well-being/



2023.7 掲載

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