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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

宇野 カオリ:レジリエンスで人生上々
~「イルビーイング」の只中にあっても「心理的に豊かな人生」を実現する術~

プロフィール

一般社団法人日本ポジティブ心理学協会
代表理事
宇野 カオリ(うの かおり)

ポジティブ心理学創始の地、米ペンシルベニア大学大学院で修学し、「ペン・レジリエンス・プログラム」の学校介入研究に従事。アジア・アフリカ地域で、女性や子どものレジリエンスとウェルビーイング向上のためのプログラムを導入。
筑波大学研究員、同志社大学ウェルビーイング研究センタープロジェクトディレクター。国内の大学等で毎年2千人強の学生にポジティブ心理学を講じる。ポジティブ心理学の主要著書の翻訳書など多数。

はじめに

たとえ幸せな人生でなくとも、あるいは幸せを犠牲にしてでも、「心理的に豊かな人生」を送りたいとする人が世界中に少なからずいるという事実が、最近の心理学研究で報告されている。「よい(良い・善い)人生」(good life)というと、幸せや生きがいに満ちた人生を思い浮かべがちだが、そうした人生とは異なる、いわば「味わい深い人生」を可能とする心理的に豊かな人生をも含めてよい人生であるという側面は見落とされている、と同研究では指摘されている(※1)。なお、誤解なきよう明記するが、「心理的に豊か」と書いて、「モノの豊かさ」から「心の豊かさ」へとシフトすべき、などと言っているわけではない。そのような主張は、一見すると、今の時代に呼応しているようだが、実のところ科学的根拠のないものだ。

心理的に豊かな人生を実現している人の特徴として、視点(ものの見方・考え方)が多様な変容を遂げることや、あらゆる興味深い経験をすることが挙げられるという。人生山あり谷ありと言われるが、かなり長い時間をかけて谷底を這うような経験をしなければならない人も多い。日々、朝から晩まで、困難や逆境に直面することが決まり事となっているような職業や立場にある人もいる。そのような人のなかには、個人的にでも、状況的にでも、他者の「ウェルビーイング」(well-being)(※2)が優先されるあまり、自身は「イルビーイング」(ill-being)(※3)に陥ってしまっているという人もいるだろう。しかし、どのような現実を生きていようと、心理的に豊かな人生を送ることは十分に可能なのだ。そして、この心理的に豊かな人生を実現するには、「レジリエンス」を発揮することが鍵を握っている。

レジリエンスとは何か

「レジリエンス」(Resilience)という言葉は複数の分野で使用されており、それぞれの文脈で独自の定義を持つ用語だ。本稿で扱うのは「心理的レジリエンス」である。これもまた幅広い概念であるものの、総じて、「逆境や脅威、大きなストレス源(人間関係や、健康上の悩み、仕事の問題など)に直面したときに、うまく適応すること」を指す。

「レジリエンス」自体は、もともとは工学や物理学由来の言葉だ。物質や物体に対して、外からの力が加わると変形する。そのときに、物質や物体がどのくらいその外力を吸収したり、取り除いたりして、元の形に戻れるか。このときの一連の力のやり取り、また、その過程(プロセス)や結果に影響を及ぼす、物質や物体の持つ性質をも含めて「レジリエンス」と称する。

人間は所詮、自然の一部である。この物質界の自然現象が、まさに人間の心の作用としてのレジリエンスにも当てはまる。心においては、外から加わる力を「ストレス」と言う(ちなみに、ストレスも、もとは物理学の用語だ)。ストレスが過度に、ネガティブな方向でかかり続ける状況のことを、人間界では「逆境」や「困難」などと表現するが、ストレスという圧力に対して、もとの心の状態が変化してしまうことがある。「心がへこむ」「心が折れる」といった表現が出てくるのもこうした状況下においてである(図1)。しかし、心もまた、物質や物体と同じように、ストレスを、いわば吸収したり、取り除いたりして、もとの状態に戻ろう(「回復」しよう)とする。これを、心理学では「適応」と言う。だが、人によって、適応の過程、および適応の結果が、うまくいったり、うまくいかなかったりする。それは、そこに、特性や能力(共に、生得的なものと、後天的なものがある)の個人差があるからだとされている(図2)。

図1

図2

「ペン・レジリエンス・プログラム」~学校から軍隊へ

「レジリエンスを高める」ことが喫緊の課題とされた組織がある。米国防総省である。2005年時の米退役軍人省によるデータによると、前世紀の戦争で従軍した約9万人の帰還兵は、その約3割が精神障害に陥り、毎週約120人ものペースで自殺を遂げた(未遂を含むと人数はさらに増える)。国防総省は、従来型の心理カウンセリングの限界を認め、アフガニスタン紛争・イラク戦争に従事した帰還兵の受け入れ態勢の整備を急務とした。ペンシルベニア大学心理学部教授のマーティン・セリグマンがアドバイザーとして国防総省に招聘されたのは、自身が創始した、新しい「ポジティブ心理学」による「秘策」を求められてのことだった。

セリグマンが紹介したのは、「ペン(ペンシルベニア大学の略)・レジリエンス・プログラム」という、児童や青少年のレジリエンスを高めることを目的とするプログラムであった。具体的には、児童や青少年におけるうつ病や不安障害の「予防」と、学習力つ病や不安障害の「予防」と、学習力や社会的スキルの「促進」に対して有意な効果を得ていた。ポジティブ心理学とは、最もよく知られた、ウェルビーイングに関する科学的な研究の総称であるが、その取り組みの一つとして、心の病に対する従来の「単なる予防」に取って代わるアプローチの構築をめざしている。

「ペン・レジリエンス・プログラム」における「学校」という文脈は、即座に、「軍隊」の文脈へと「翻訳」されたが、その試みには何の支障もなかった。例えば、多数の兵士、特に帰還兵が、憂うつ感や、やる気の減退、感情対処の問題(怒りっぽい、すぐにイライラするなど)に直面していたが、いずれも、児童や青少年が日頃抱える問題とさほど変わらなかったのだ。

こうして開発されたのが、「総合的兵士健康度・訓練プログラム」であり、訓練は「マスター・レジリエンス・トレーニング」と名付けられた。同トレーニングの受講対象となった陸軍兵士の総数は約110万人だが、レジリエンスを高める特有の思考法や行動様式を、本人を取り巻く環境全体で促進していく必要性があることから、兵士の家族もまた、オンラインで受講する形式でトレーニングの対象者となった。結果、受講者数は総計約500万人にも上るとされている。百万人単位の人員を有する軍隊を対象とした実践研究は、大規模なデータを取得できることから、心理学の歴史に金字塔を打ち立てる。「ペン・レジリエンス・プログラム」のインパクトは、現在、世界中のレジリエンス研修が、同プログラムの内容を模したものとなっていることからも見て取れる。

レジリエンス・トレーニング

レジリエンスが可能とする能力

陸軍のレジリエンス・トレーニングでは、レジリエンスの高い人に共通する能力(レジリエンス・コンピテンシー)を次のように特定した上で、これらの能力開発につながるスキルの習得を行った(図3)。

◆レジリエンスとは、成長し、またさらに力強く成長する能力であり、苦境にあっては耐え抜く力である。〈メンタルタフネスの発現〉
◆レジリエンスの高い人は、リスクを予測し、かつリスクを引き受ける力を備えていると同時に、自分に与えられたチャンスをフルに活かす力を備えている。〈最適なパフォーマンスの発現〉
◆レジリエンスの高い人は、リスクをチャンスと捉えるが、やみくもな楽観主義ではない「現実的な楽観性」を会得している。〈柔軟性の高いリーダーシップの発現〉
◆レジリエンスの高い人は、問題解決を見据え、自分の感情を把握しコントロールする術に長けている。〈目標達成能力の発現〉

また、同トレーニングでは、レジリエンススキルが発現された具体的なイメージとして、実在した人物に言及しながら説明を行った。

レジリエンス・トレーニング


「逆境を耐え抜く力」のイメージ~ネルソン・マンデラ
母国の南アフリカ共和国で、人権闘争と人種的融和の運動に一生を捧げたネルソン・マンデラは、まさに「レジリエンスの生き証人」である。マンデラが、獄中で愛吟し、心の支えとしたという詩に、19世紀のイギリスの詩人、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーによる「インビクタス(負けざる者たち)」がある。

故ネルソン・マンデラ

「インビクタス(負けざる者たち)」
私を覆う漆黒の夜 鉄格子にひそむ奈落の闇
私はあらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを
無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ 血を流しても
決して屈服はしない
激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死が浮かび上がる
だが、長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ

ヘンリーの詩の最終行、「私が我が運命の支配者 私が我が魂の指揮官」の一節は、レジリエンス・トレーニングにおいて、困難や試練を受けとめるだけの能力(望ましい結果を得るよう、自分の思考や感情、行動、生理学的状態を変化させられる「自己コントロール力」)が自分にはあると思えることの重要性を理解してもらうのに用いられる。

「つながり、助け合う力」のイメージ~チーム・ホイト
父親のディック・ホイトと息子のリック・ホイトで「チーム・ホイト」と称する、全米では大変有名な親子であるが、その人生は「レジリエンスの物語」として紹介される。リックは生まれつき脳性麻痺を患っており、ディックが、競技用の車椅子に乗るリックを押したり、抱き上げたりしながら走り、高齢となり引退するまで、マラソンやトライアスロンなどの競技に一緒に出場し続けた。ゴールに向けてスピードを上げて回転する車椅子の車輪には、「人生は上々だ!」(It’s A Good Life!)と書かれている。

陸軍のレジリエンス・トレーニングでこのチーム・ホイトが紹介されたのは、軍隊では、自身がピンチに陥ったとき、仲間に向かって「助けて!」と声を上げることが、自身の弱さを見せることとして恥とされる文化があるためだ。羞恥心は、ネガティブな感情のなかでも極めて有害なものだが、恥の意識から「助けて」と言えないことは、戦地ではまさに命取りになる。他者を助けたり(自律的な姿勢)、他者に助けられたりすること(他者と信頼関係を築き維持する力)を可能とする組織文化には、「心理的安全性」(※4)がある。心理的安全性が、レジリエンスの有力な予測因子であることも解明されている。

父親のディック・ホイトと息子のリック・ホイト

レジリエンスへの新たなアプローチ

従来の心理学では、レジリエンスを人為的に養成することは難しいと考えられている。それは、レジリエンスが、私たちの幼少期からの成長過程において、あらゆる失敗をしては、そこから教訓を学び取り、立ち直る(回復する)という、いわば「七転び八起き」の経験を積み重ねることで培われるとされているためだ。子どもに失敗するように仕向け、回復の経過や結果を観察することなど、倫理的にも不可能な話なのだ。21世紀のポジティブ心理学が科学的に解明しようとしているのは、「心理的に豊かな人生」を促進する要素が、レジリエンスを促進する要素として機能するのではないか、ということだ。事実、レジリエンス・コンピテンシーは、失敗や立ち直りの経験からだけで得られるものばかりではない。

仏教では、「一切皆苦」と、人生はそもそも自分の思い通りにはならないと教える。イルビーイングは、ウェルビーイングと共存する形で、今までも、そしてこれからも常に、私たちの社会に一定数、存在し続ける。幸せでなく、生きがいも持てぬまま過ごすような人々の只中にもしかし、レジリエンスは、命を支える確かな灯火として存在する。


※1 Oishi, S., & Westgate, E. C. (2021). A psychologically rich life: Beyond happiness and meaning. Psychological Review.

※2 ウェルビーイング(well-being):米国心理学会による定義で、「苦痛や困難の度合いが低く、身体的・精神的な健康状態や見通しが全体的に良好で、幸福感や満足感がある状態、または生活の質(クオリティ・オブ・ライフ:QOL)が良好な状態」。

※3 イルビーイング(ill-being):「イル」とは「病気」「不幸」「悪い」などの意。ウェルビーイングの反対語ではあるが、心理学では両者を反対概念としては扱わない。

※4 心理的安全性:自分に及ぶかもしれないネガティブな影響を恐れることなく自主性を発揮できる能力、または、職場の人間関係においてリスクを取っても安全だとする共有された信念。



2022.8 掲載

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