ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

クローズアップ

有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

田瀬 和夫:「ビジネスと人権」「企業の人権担当者に、今お伝えしたいこと。」

プロフィール

SDGパートナーズ有限会社
代表取締役CEO
田瀬 和夫(たせ かずお)

1967年福岡県生まれ。東京大学工学部卒。
1992年外務省に入省、国連日本政府代表部一等書記官等を歴任。2001年より2年間、緒方貞子氏の補佐官を務めた。2005年外務省を退職し、国際連合事務局・人間の安全保障ユニット課長、国連広報センター長を務めた。2014年国連を退職し、デロイトトーマツコンサルティング執行役員に就任。2017年に独立、SDGパートナーズを設立。2019年SDGインパクツを設立。2021年Think Coffee Japan株式会社を設立し、現在上記3社の代表取締役。
私生活においては9,000人以上のメンバーを擁する「国連フォーラム」の共同代表理事を務めている。

人権という考え方

いま、世界は激変の中にあります。この原稿を書いているあいだにもウクライナにおいてはロシアの軍事侵攻が続いていますし、アフガニスタンも、ミャンマーも、あるいはイエメンにおいても極めて深刻な人道状況、すなわち人々の命が奪われようという状況が続いています。世界がSDGsの目標を追求し脱炭素に向かう中で、こうした普遍的価値に真っ向から反する動きがいまだに多くあることをとても残念に思います。

力の強いものが弱いものを圧倒し、力づくで言うことをきかせ、あるいは屈服させる、場合によっては殺してしまうというのが歴史上累々と行われてきた人類の所業です。殺される側は誇りも尊厳もすべて奪われ、時には子どもや孫という「希望」までも奪われます。報復のために殺し合いが続いていき、憎悪と暴力の連鎖が生まれる。これがいまでも人類が抜け出せない「力の罠」です。人間は自然状態では決して平等でも対等でもありません。

こうした憎しみと悲しみの連鎖を断ち切るために、人類が考え出した大発明が「人権」であると私は考えます。「人には生まれながらにして権利というものがあるのだ」と宣言するだけではものごとは何一つ変わりませんし、誰も守ってくれません。一方で、その権利の裏側に同量の「義務」があり、その義務を遂行する責任が国家にあるのだ、と多くの人が納得すれば、それはとてつもない力と需要を生み出します。13世紀の英国で宣言された「マグナカルタ」(王といえどその権力は絶対ではない)から累々と積み上げられてきたこの人権という概念、人々を守りつつ巨大なニーズとサプライを政府を通じて生み出すという点で、人類が発明した最も偉大なビジネスモデルとも言えるのではないでしょうか。

この人権という大発明、英国における17世紀の「権利の請願」、18世紀には大西洋を渡って「バージニア権利章典」と発展し、着実に「人には生まれながらにして権利というものがあるのだ」ということを「国家の義務」として整備するプロセスが踏まれます。そして、第二次世界大戦後の1948年、「世界人権宣言」が国連で採択されるに至って、「欧州とアメリカだけのことではなくて、全世界で人間には生まれながらに権利があり、すべての国家にはそれを実現する義務があるのだよ」ということが了解されることとなりました。

ここで申し上げたいのは、人権は「権利」の体系であると同じくらい、実は「義務」の体系である、つまり、「だれが権利を守るべきなのか」ということが最も重要な枠組みであるということです。そして、この稿においては、いよいよその「義務」が国家から企業へとシフトしてきていること、その意味で国際法が大きな転換点を迎えていることについてお話します。すでに企業にとって「ビジネスと人権」はESG上の大きな論点となっていますが、この背景にはとてつもなく大きな国際規範形成の津波があるといっても過言ではありません。



1990年代のグローバル化と企業による人権侵害

上記で、もともと人権とは、それを実現する義務を国家に負わせたものである、ということを申し上げました。実際国際連合は、1945年の終戦以来、あるいは1948年の世界人権宣言の採択以来、すべての国家に対して「みなさん政府に義務があるんだからそれをちゃんとやってください」ということを徹底的に説得してきたという経緯があります。いまでもそうですが、特に途上国においては国家自身が自らの国民を迫害するという現実がいくらでもあり、まずはそれぞれの国が「人権」について理解し実践することが目標であったのです。

しかし残念ながら、人権について納得する国ばかりではありませんでした。例えば中国は現在でも、「個人個人の権利よりも中国民族が集団として発展する権利のほうが優先である」として集団的な「発展の権利」を主張しています。これは裏返せば、集団の発展のためには個人の権利は認めない場合があるということです。こうした政治的な思想が現在の香港の状況にもつながっているということは読者の皆さんもお感じになると思います。

また、思想には賛成するけれどもお金がないから残念ながらできない、という状況だった国もあります。例えばタイ国は1970年代から人権概念の必要性についてこれに寄り添う姿勢を取ってきました(日本よりも進んだ国内人権委員会が整備されていたりします)。ただし、いまのように高度な経済成長を経験する以前は、例えば国境周辺の貧困農村の人々の暮らしについても、できることしかできないという状況があったわけです。

こうして、人権という考え方(国家にその義務がある)に対して世界の国々の一致が見られない中で、好き勝手なことを始めたのが1989年の冷戦終了後にグローバル化した企業たちでありました。途上国に法律が整備されていないことをいいことに、天然資源の乱開発、それに伴う環境破壊、児童労働、強制労働など、途上国の人々を搾取するような経済活動がまかり通ってしまったのが1990年代です。サッカーボールの縫い目から「SOS」という児童労働者のメッセージが出てきたという、まことしやかな都市伝説もこうした文脈から来ています。

ある意味、CSR(企業の社会的責任)という概念はこうした時代に対するビジネス界の「贖罪」であると捉えることも可能でしょう。ただ、CSRではサプライチェーンの現場の人権搾取は解決しません。そこで、ビジネスと人権の関係についてきちんと整理を行い、企業にどのような責任が求められるのかを明確にしたのが、2011年に国連の人権理事会で採択された「ビジネスと人権に関する指導原則」です。この指導原則がいかに飛び抜けたものであるかを次のセッションでご説明しましょう。

ビジネスと人権に関する指導原則の特異性

企業における、特に途上国を含むサプライチェーンでの人権侵害について、これをなんとかすべきとして動いたのは、2005年当時の国連事務総長だったコフィ・アナン氏と、その補佐官を務めておられたジョン・ラギー教授です。ラギー教授は当時コロンビア大学の学長でおられました。2021年にお亡くなりになりましたが、この方の国際社会における規範形成の足跡は、人類の発展にとって極めて大きなものであると私は感じます。

どうしてそう言えるのか。それは、これまで国際法の主体はもっぱら「主権国家」であり、例えばインドの人々の生活は排他的にインド政府に責任と権利があるとされていたところに、いやいやグローバル企業の人たちは場合によっては政府よりも人々の生活に影響力があるのだからちゃんと責任概念を組み込みましょうよ、として、国際法そのもののパラダイムを変えてしまったからです。

「ビジネスと人権に関する指導原則」においては、(1)これまでの「国家の義務」を追認するとともに、(2)明確に「企業の責任」を定めています。そして、(3)人権が侵害されている人々が救済されるべきだ、という点も明確にしています。この中で特に「企業の責任」の部分、これがいま世界中でソフトローからハードローに変わりつつあり、まさに人権デューデリジェンスの実施要請といった形で、読者の皆さんの日々の業務にも大きな影響を及ぼしているといえるでしょう。

この国連の指導原則はあくまでも「原則」であり、企業に対する法的拘束力はありません。いわば国際的なソフトローのようなものです。しかし、一旦各国政府がこの原則を基に法律を作れば、そこで原則はハードローとなり、現場を明確に縛るようになります。これを最初にやったのが英国でした。英国は2013年に国連の指導原則をベースとして「国別行動計画(National Action Plan: NAP)を作成し、2015年には法制化しました。これが有名な「英国現代奴隷法」です。

英国現代奴隷法においては、企業の国籍に関わらず、英国で全部ないし一部のビジネスを行う、世界での売上が50億円以上の企業に、現代的奴隷を防止し人権を守るための方針について企業の最高意思決定機関である取締役会で決定し、その方針とそれを実現する方策を企業のウェブサイトに公開することを義務付けました。そして、同様の法律がオーストラリア、フランス、アメリカ、オランダと広がり、いまやEU全体で人権デューデリジェンス法が成立しようとしています。



日本企業はどうすべきか

日本でも遅ればせながら、2020年10月に国別行動計画が政府によって発表されています。しかしながら、その内容については残念ながらかなり「ゆるい」ものとなっており、現時点において企業に人権デューデリジェンスの実施を求める法制化はかなり遠い話のように思えます。心配なのは、グローバル基準がどんどん先に行ってしまって、これに対応できない日本企業がグローバル市場において「選択の対象とならない」状態が生まれてしまうことです。つまり、世界規模のサプライチェーンから外されてしまう可能性があるのです。

また、日本国内においても国際的な批判の対象となりそうな人権に関するリスクもいくつか浮上してきています。例えば、(1)外国人技能実習生の搾取についてはここ数年大きな問題としてすでにメディアなどにおいても取り上げられていますし、(2)大企業が働き方改革を行う中で、下請けやサプライヤーに対して仕事の「しわ寄せ」が大幅になされ、下請けサイドで過重な残業やパワハラが横行しているといった問題、さらには(3)ITプログラマーなど大きな需要がある産業において、「八次請け」といった多重下請け構造があり、下層においては過酷な長時間労働が行われている、といった現実もあるようです。

「人権に関するリスク」とは、もともと権利を侵害される人たちの人生に対するリスクであり、企業にとってのリスクではありません。ただ、自らのビジネスの陰で犠牲になっている人たちの現実を放っておけば、それは自らのリスクとなって跳ね返ってきます。訴訟を伴う法務リスク、不買運動などのレピュテーションリスク、ストライキなどのオペレーションリスク、そして投資家離れを含む財務リスクなど、企業の存続さえも危うくするような大きな危険がいくらでも生じうる、それが、今の社会で人を大切にしない企業に対する報いとも言えましょう。

こうした人権リスクに対応し、「良くて強い企業」をつくりあげるためには経営トップを含めた組織全体のコミットメントが欠かせません。いくら事務的に努力しても、組織としての腹落ちと決意がなければ、ちょっとコストがあがるというだけで人権に関するプロセスがすべてストップしてしまいます。その意味からは、CEOや社長を含むトップを含めて関係者が真剣に勉強し、確固たるリーダーシップを取ること、このことがこれからの時代において持続的に稼ぎ、また社会に貢献できる会社をつくる、第一歩と言えるのではないでしょうか。


2022.8 掲載

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