ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

クローズアップ

有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

稲尾 和泉:ハラスメント相談の最新動向 ~法制化を受けて企業が取るべき対策~

プロフィール

株式会社 クオレ・シー・キューブ 取締役
稲尾 和泉(いなお いずみ)

市職員、ソニー(株)、中学校カウンセラーを経て、2003年(株)クオレ・シー・キューブカウンセラーおよび研修講師。2017年(株)クオレ・シー・キューブ 執行役員に就任。現在、取締役シニアコンサルタント。厚労省や人事院のパワーハラスメントに関する委員会等にて委員を歴任。カウンセラー、官公庁や多数の民間企業における研修講師として、ハラスメントやダイバーシティの分野で活躍。


【著書】『上司と部下の深いみぞ~パワー・ハラスメント完全理解』(紀伊国屋書店)共著、『あんなパワハラ こんなパワハラ』(全国労働基準関係団体連合会)著、『パワーハラスメント』(日本経済新聞出版社)共著など多数。

2020年6月、大企業にハラスメント防止法が施行され、事業主の措置義務が明確化されました。2022年には中小企業にも適用されることになり、ハラスメント問題は企業経営に大きなインパクトを与える課題となっています。

しかし、その取り組みはまだ十分とはいえず、ハラスメント相談は増加する一方です。この問題の背景や潮流をしっかりと捉え、先手を打ってハラスメント対策を進めるにはど うすればよいか、いくつかの切り口から考えます。

ハラスメントを取り巻く社会情勢

ハラスメント問題は、国際的にも大きな節目を迎えています。ILOが採択した「仕事の世界における暴力及びハラスメントの撤廃に関する条約」は、2021年6月に発効され、具体的には「ハラスメントを禁止する法整備」を加盟国に求めています。

きっかけになったのは、2017年ごろから世界的に大きなムーブメントを起こした「#MeToo」です。Twitter等のSNSを中心に「私もこんなひどい性暴力やハラスメント行為を受けた」という発信を、個人が行える時代になりました。この潮流は、それまでは被害について沈黙していた人々が連携し、「ハラスメントや性暴力について、もう黙らない」という世論形成につながりました。

一見、すでに社会的地位や大きな発言力を持っていると思われていたハリウッド俳優や、著名な大学教授の女性たちまでもが、過去や現在のひどいハラスメント行為を告発したこのムーブメントは、「こんなにも仕事の世界で暴力的行為が見過ごされてきたのだ」という現実を、世界中に突きつけることになりました。国連の機関であるILOとしては、世界平和と基本的人権の尊重を理念として、さまざまな活動をしてきたつもりでも、実際には不十分だということを認めざるを得ない状況であったことでしょう。#MeTooから 2年弱で条約・勧告が採択されたことをみれば、ILOが加盟各国に対して、職場でのハラスメントや性暴力を許さない社会づくりを求めていることがわかります。

一方、日本ではハラスメント防止法は整備されたものの、ハラスメントそのものを禁止する法整備には至りませんでした。もちろん、パワーハラスメントに関する事業主の措置義務が整備されたことは喜ばしいことです。しかし、世界ではそれ以上の対策を求めているのが現状です。グローバル企業において、就業規則や行動規範を整備するにあたっては、この動向を無視することはできません。

また、人権問題という視点で考えれば、世界ではBlack Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター、略してBLM)のきっかけになった黒人差別やアジアンヘイトが表面化し、生命の危機につながるような事態も多発しています。コロナウイルス感染症のパンデミックの影響もあり、人々は不安の中でそのはけ口を、身近にいる弱者や少数派に向けており、被害が深刻化しています。生活全般を覆う不安やストレスは、間違いなく職場にも悪影響を与えています。これらの問題は根っこでつながっており、表に見えているハラスメント問題に対応しているだけでは、被害が繰り返されてしまう可能性もあります。

Black Lives Matter

つまり、一定の法整備は進んだものの、ハラスメント問題が発生するリスクは一層高まっているということを踏まえた対策が急務であるといえるでしょう。今一度、職場で守られるべき基本的人権とはなにかを考えるきっかけにしていただければと思います。

昨今のハラスメント問題「リモハラ」と「カスハラ」

コロナウイルス感染拡大によって、私たちの職場環境は大きく変わりました。緊急事態宣言により、リモートワークが進んだり、出勤人数に制限を設けたり、時差通勤を推奨するなどの対応を迫られ、現場も混乱を極めました。ここで起こったハラスメントとして広く知られるようになったのが「リモートハラスメント」、いわゆるリモハラです。

これまでは職場で行っていた打合せを、自宅からZoomやTeamsなどを使って行うようになってから、「部屋のカーテンかわいいね」や「すっぴんの方がかわいいよ」など、プライベートに踏み込むようなコメントに違和感を持つという訴えが増えました。一方、カメラ機能をOFFにすると、お互いの表情や状況がよくつかめず「業務中のカメラは常にONにするように」という指示が上司からくることが「自宅にまで上司が押しかけてくる感じがする」、「これはパワハラやセクハラではないか」という訴えにもつながりました。オンライン会議をする上でのマナーやルールを職場で話し合う余裕もなく、やりながら考える状況が生まれたためです。こ“カメラ機能をONにするのかOFFにするのか”については、会社によっても意見や習慣が大きく分かれるという特徴があります。さて、皆さんの会社では、どちらの意見が多いでしょうか。

リモート会議

カメラ機能の使い方について、これが正解というものはありません。リモートワークの状況によって、カメラ機能を使ったコミュニケーションの目的が異なるからです。基本的には、人はコミュニケーションをする上で、相手の状況を理解するのに表情や身振り手振りなどの視覚情報を頼りにしているので、カメラ機能がONになっていたほうが安心感につながります。しかし、部屋の様子や服装・メイクへのコメントは、よほど日頃からの信頼関係がなければ不信感となってしまいます。

また、上司が部下の勤務状況を把握するためにカメラ機能を常にONにするよう指示するのは、部下にとってはプライベートの監視と感じられるでしょう。確かに上司側には部下の労務管理をする責任がありますが、部下の姿が見えないことから「サボっているんじゃないか」という上司側の不安の解消が目的になると、信頼関係にひびが入りかねません。オンライン環境ではカメラに一人ひとりの顔がはっきり映り込み、より見つめられている感覚が強くなります。リモートワーク時の労務管理法については、出勤退勤時の報告や業務の進捗確認など、別の方法を模索するべきでしょう。

職場風景

もう一つ、今後対策強化が必要な問題は「カスタマーハラスメント(カスハラ)」です。店頭での無理難題の要求や執拗な罵倒、セクハラ行為などや、取引先から取引停止をにおわされ無理難題を強いられるなど、従業員が疲弊しメンタル不調を引き起こすような深刻な被害が次々と報告されています。

セクシュアルハラスメントに関しては、すでに顧客や取引先のみならず、フリーランスや就活生に対する行為について措置義務が課されており、今後パワハラに関しても法整備が進むことが予想されます。

お客様などからの苦情対応は、その先のサービス改善や発展にも寄与するきっかけにもなりますが、カスハラの場合はただの不満のはけ口や金品の不当な要求などで、そのまま受け入れることはできません。これは重大な人権侵害であり、決して許されない行為であるという姿勢をしっかりと企業が示し、従業員を守ることが求められます。大事な顧客や取引先であっても、そのような行為があれば速やかに事実確認をし、事実があれば抗議をしたり申し入れをしたりするなど、会社として毅然とした対応を行いましょう。

ハラスメント防止法施行後の変化と求められる対策

2021年の6月に発表された令和2年度の精神障害の労災認定の数値に、大きな変化がありました。新たに加わった「上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた」という項目が99件、「同僚等から、暴行または(ひどい)いじめ・嫌がらせを受けた」という項目が71件となり、双方合わせてパワーハラスメント関連の認定が170件と、これまでの倍以上の数値に跳ね上がったのです。セクハラ被害の労災認定数も44件となっており、今回の法整備を受けて労災認定数はさらに増えていくことが予想されます。今後は、ハラスメント問題が原因で従業員が心身のダメージを受ける前の「予防対策」に力を入れる必要があります。

大企業においては、法制化の前から教育研修の実施や相談窓口の設置を進めていた企業が多いというデータもありますが、今後はさらなる予防対策が必要となるでしょう。例えば、現場の管理職の部下育成力の強化は必須です。短期的、数値的な成果を求めるだけでなく、部下育成の貢献度や上司としてのマネジメント能力を公正に評価できる制度づくりなどに踏み込んでいる企業も見受けられます。

また、ハラスメント未満の職場トラブルについて、早めに相談窓口が対応することも、大きな問題に発展することを防ぐために重要です。相談窓口の担当者教育はもちろんですが、社内で対応しきれない場合には社外の相談窓口を設置して連携するなど、さらなる体制強化を進めていきましょう。

そして、2022年4月には中小企業へもパワハラ防止措置義務が課されます。弊社にも2022年の法制化に向けて、中小企業からのご相談が増えていますが、大企業に比べると中小企業の対策は遅れ気味です。ワンマン経営者がハラスメント問題の重要性に気づかず放置している例もありますが、頑張って対応している企業でも、従業員数が少ないと異動などの措置が取りづらく、本質的な問題解決が難しいという面もあります。個々の企業によって抱えるハラスメント問題の形態も異なるため、画一的な対策は難しいでしょう。自社で起こっているハラスメント問題には調査等を行いながらしっかりと向き合い、どのような対策が必要か、丁寧に進めていく必要があるでしょう。

大企業は子会社との連携強化を

対策が進んでいる大企業が今後考えなければならないのは、関連会社や子会社でのハラスメント問題への対応です。子会社でのハラスメント案件で最も相談が多いのが、“親会社からの出向者が子会社のプロパー社員へパワハラ行為をしている”というものです。子会社の従業員を見下して罵倒したりしても、在籍している親会社からは目が届かないためお山の大将となってしまい、子会社ではだれも注意喚起できず手が打てない、というケースが後を絶ちません。

しかし、冒頭の社会情勢でも触れたように、ハラスメント被害を受けた人が黙って我慢する時代はすでに終わっています。個人がスマートフォンを持ち、いつでも録画や録音ができる時代には、個室で起こったハラスメント問題をなかった事にはできません。行為者が言動を改めなかったり、会社の相談窓口が真摯な対応を取らなかったりすれば、あっという間にSNSに拡散されてしまいます。そうなれば親会社への影響も避けられません。

対策として、子会社への出向前に、出向者自身が持っている影響力の自覚を促すようなハラスメント予防研修を実施しているケースもあります。また、親会社でも子会社の従業員の相談を受け付けて連携することや、子会社の相談窓口担当者の対応スキルアップ研修を繰り返し行っているケースもあります。子会社だけでは解決できない問題に、親会社がどれだけ支援できるか、再度確認していきましょう。

出勤風景


2022.3 掲載

一覧へ戻る