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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

坂下 史子:ブラック・ ライヴズ・ マターとは 何(だったの)か
~現在進行形の運動を理解するために~

プロフィール

立命館大学 文学部 国際コミュニケーション学域 教授
坂下 史子 (さかした ふみこ)

神戸女学院大学文学部、同志社大学大学院アメリカ研究科を経て、ミシガン州立大学大学院文芸研究科博士課程修了。博士(アメリカ研究)。専門はアフリカ系アメリカ人の歴史と文化。リンチ反対運動の歴史や人種暴力をめぐる記憶の問題などについて研究。

著書:『よくわかるアメリカの歴史』(共編著、ミネルヴァ書房、2021年)、『「ヘイト」の時代のアメリカ史—人種・民族・国籍を考える』(共著、彩流社、2017年)ほか、BLMに関するメディアへの寄稿多数。

コロナ禍での大規模デモ

2020年夏、コロナ禍のアメリカ合衆国で、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動と呼ばれる抗議デモが再燃した。直接の契機は5月下旬にミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警官に殺害された事件だが、その前後にも黒人が警官に射殺される事件が多発していた。8月にはウィスコンシン州で新たな警察暴力事件が起こり、大坂なおみ選手などアスリートによる抗議運動も広がった。背後から7発銃撃されたジェイコブ・ブレイクさんは、一命はとりとめたものの、下半身不随となった。

近年の警官による殺人のうち、黒人が犠牲となった比率は白人の約2∙5倍。また、黒人が逮捕され収監される比率は白人の5~6倍で、これは黒人男性の3人に1人、トランスジェンダーの黒人女性の2人に1人が一生に一度は刑務所を経験し、黒人女性の2人に1人が伴侶を収監された経験を持つ計算である。



コロナ禍の人種格差も明らかになった。米国疾病予防管理センター(CDC)の2020年8月の統計によると、黒人の陽性者率は白人の2∙6倍、入院率は4∙7倍、死亡率は2∙1倍。社会のインフラを支える仕事に従事する人や、人口過密な貧困地域に住むことを余儀なくされている人が多く、医療保険未加入率が高いことも格差の一因だった。

アメリカでは、刑事司法制度における不当な扱いや、医療・所得・教育の格差、雇用・住宅の差別など、黒人というだけで不平等に直面せざるを得ない社会の仕組みが存続している。こうした社会構造の変革を求める声がBLMという大きなうねりとなり、国内外で支持されたのである。

ニューヨークタイムズ紙によると、事件発生翌日からわずか2週間で、アメリカのすべての州と首都ワシントンDCの2千箇所以上で抗議デモが確認されている。デモとは無縁だった小さな町でも抗議デモが行われ、多様な人種・性別・世代の人々が参加した。6月に実施された世論調査では、黒人の86%が、白人やアジア系などそれぞれのグループでも6割以上がBLM運動を支持していた。アメリカ国内のみならず、日本を含む世界中に運動が拡がったことも特筆すべき現象であった。

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ブラック・ライヴズ・マターとは

BLMと呼ばれるムーヴメントが誕生したのは2013年である。共同代表はアリシア・ガーザさん、パトリース・カラーズさん、オパール・トメティさんという3人の黒人女性で、当時すでに市民活動家としてさまざまなコミュニティの運動に携わっていた。うち2人はクイアと呼ばれる性的マイノリティである。(今年に入り、ガーザさんとカラーズさんの回想録の邦訳が相次いで刊行されているので、ぜひお勧めしたい)

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ガーザさんは2013年7月、前年にフロリダ州で黒人の高校生トレイヴォン・マーティンさんを射殺した男性に無罪評決が出た際、SNS上で怒りの心境を吐露した。その中に出てきたのが「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」という言葉である。友人のカラーズさんが#blacklivesmatterをシェアすると、ハッシュタグは瞬く間に拡散した。その後、3人はBLMグローバルネットワークというオンラインコミュニティを立ち上げ、反人種主義の議論と組織化を展開する。2014年、ミズーリ州で白人警官による高校生のマイケル・ブラウンさん射殺事件に対する抗議デモが起きた時に初めてBLMのスローガンが用いられて以降、同様の抗議デモはBLM運動と呼ばれるようになった。

2015年には、BLM運動に関わる50以上のグループの連合団体であるムーヴメント・フォー・ブラック・ライヴズが設立された。そのビジョンには、「補償」「投資―脱投資」「経済的正義」「コミュニティコントロール」「政治力」が挙げられている。なかでも警察や刑務所などの予算を教育や福祉に回すという「投資―脱投資」は、制度的人種主義撤廃の一例としてBLMの中核をなす訴えである。

BLM運動の最も重要な特徴の一つは、女性や性的マイノリティなど、これまで周縁化されてきた人々を運動の中心に置いている点である。公民権運動に代表される過去の黒人解放運動は、異性愛でシスジェンダーの黒人男性を中心に展開され、フェミニズム運動も白人女性が中心だった。いずれの運動も黒人女性や性的マイノリティの黒人を周縁化してきたことから、BLM運動はこうした人々の抑圧の経験を重視し、先住民やアジア系、ヒスパニック系など黒人以外のマイノリティや、障がい者とも連帯している。

BLMのL(ライヴズ)は、単に命だけを指すのではない。後述するように、奴隷制から人種隔離制度、現代の刑罰制度まで、黒人を社会の底辺に据え置くための仕組みが時代ごとに形を変え、連綿と続いてきた歴史(そしてその変革を求めるBLMの立場)を踏まえると、「ライヴズ」とは黒人が平等かつ安心安全に暮らせる権利全般ー生と命ーを指していることが分かる。

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制度的人種主義の歴史

BLM運動が着目するのは、偏見やヘイトスピーチ、暴力などのあからさまな差別ではなく、見えにくい人種の格差や不公正の問題であり、制度的人種主義や構造的人種主義と呼ばれる。制度的人種主義とは、特定のマイノリティ集団が不利となるような仕組みが社会に組み込まれ、不平等が再生産される社会構造を指す。アメリカでは、人種隔離撤廃をめざした公民権運動の成果として1960年代半ばに公民権法と投票権法が制定され、法的な平等が実現したと考えられたが、都市部での黒人に対する暴力や人種格差は続いた。法的平等が実現したにもかかわらず残存するこうした人種問題に着目し、それを説明する概念として生まれたのが制度的人種主義である。

その顕著な例が奴隷制である。建国前の17世紀初頭以降、西アフリカ諸国から連行され強制的な隷属状態に置かれた黒人男女およびその子孫への労働搾取により、アメリカ南部の白人農園主は莫大な利益を得た。初代大統領ジョージ・ワシントンをはじめ、建国から半世紀の間に大統領を務めた7人のうち5人が奴隷所有者だったことも、奴隷制という非人道的な社会構造が長く続いた要因だったと言えよう。

1865年に奴隷制が廃止され、250年近く続いた黒人への監視と統制の仕組みがなくなると、今度は南部諸州を中心に、公共交通機関や宿泊・遊興施設、学校、レストラン、トイレや墓地までをも人種別に分ける人種隔離制度が敷かれ、20世紀半ばまで続いた。新たな制度的人種主義の登場である。また同時期には、黒人を標的としたリンチ(私刑)と呼ばれる人種暴力致死事件も多発した。

人種隔離制度に取って代わったのが刑事司法制度である。1960年代末から犯罪対策として進められた監視・取締り強化政策は、都市部貧困地域の黒人を主な標的とし、人種的に不当な逮捕や大量収監を加速させた。これには1980年代のレーガン政権下で推進された空前規模の刑務所建設と、民間企業の刑務所経営参入が関係していた。受刑者の増加が膨大な利益を生み出す仕組みが生まれたことで、政策決定を左右する大企業などの利権集団が、「獄産複合体」や「監獄ビジネス」と呼ばれる構造を支えてきたのである。受刑者の労働搾取も批判され、刑事司法制度は「現代の奴隷制」や「新しい人種隔離制度」とも称される。まさにこのこと自体が、奴隷制から人種隔離制度、刑事司法制度に至る制度的人種主義の系譜を物語っている。

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人種格差とその要因

冒頭で紹介したようなアメリカ社会に根強く残る人種間の格差は、こうした制度的人種主義の歴史的遺産である。もちろん、就職の際に外見や名前で不採用となるなど明白な人種差別の例もあるが、そうしたケースは見えやすいので対処しやすい。むしろ注視しなければならないのは、これまで見てきたような過去のさまざまな慣行や制度に基づく人種格差の問題である。

たとえば現在、全米各地の都市では人種別に住み分けをしているような状況が見られるが、これは1930年代に住宅所有者資金貸付会社が行った慣行に起因している。融資の際のリスクを査定するため、職業や収入、人種、民族的背景、住宅の築年数などを基準に、居住区を色分けしていたのである。融資可の地域は白人の居住区、融資不可の地域は黒人の居住区と重なっていた。かつての白人居住区は、現在もその7割以上が白人の多く住む地区であり、当時の黒人居住区の6割以上が今も非白人居住区となっている。

地区住民の税金によって自治体に予算が配分されることから、この居住区の色分けは教育環境や医療環境の人種格差とも重なった。貧困地区は融資対象から除外されたため、人々がその地区に留まらざるを得ない状況も生み出した。さらに、都市部貧困地域の黒人に対する不当逮捕の増加によって、刑事司法における格差も起こった。そして、教育環境の格差は学歴の格差にも影響した。刑事司法の格差や学歴の格差から、雇用・職業の格差が生まれ、それがまた居住格差につながるという、負のサイクルが確立したのである。

雇用・職業の格差は黒人にエッセンシャルワーカーが多い状況を生み出し、すでに述べたように2020年のコロナ禍の格差につながった。居住の格差や医療環境の格差もコロナ禍の拡散を引き起こした。つまりBLM運動は、コロナ禍や警察暴力事件で発現した不平等や格差の問題はすべて関係していること、そこには奴隷制以来の制度的人種主義の歴史が影を落としていることを問題視し、その撤廃を訴えたのである。

BLMから何を学ぶか

このように、BLM運動とは、黒人をはじめとする周縁化された人々の命や暮らしが軽視されてきた歴史を問い直し、複合的な抑圧構造に対して声を上げる新しい闘争のかたちである。運動を牽引する人々は、黒人への警察暴力が制度的人種主義の歴史に起因することを鋭く指摘し、その撤廃を訴えるために具体的な方策を提言してきた。それは、コミュニティが直面する問題を監視や取締りによって解決しようとする為政者側の発想とは全く異なり、福祉・医療・教育の充実により解決を図る、新しい社会のあり方を模索する動きである。

2020年のBLMデモが広く長期間にわたって続けられたのは、さまざまな団体がBLMという言葉の誕生する何年も前から各々のアジェンダに基づいて組織化を行い、活動を成熟させてきたことが大きい。BLM運動は、目に見える形の抗議活動だけではなく、地道な草の根の運動でもあった。路上での抗議デモが姿を消した後も、BLM諸団体は11月の大統領選挙に向けて有権者登録運動を続け、たとえば黒人に対する組織的な投票妨害が指摘されていた南部ジョージア州に、民主党候補の勝利という予想外の成果をもたらした。接戦の大統領選挙をバイデン候補が制したのは、こうした地道な活動のおかげでもあった。

2020年のBLM運動では、多数の名だたる大企業が寄付などで運動を支持する動きも目立った。ESGや責任投資といった潮流の一環とも言えるこうした動きは喜ばしいことではあるが、「差別をしない」「多様性を尊重する」といった賛同は、実はBLMの哲学とは異なったものである。求められているのは、既存の構造を改善し撤廃するための具体的行動なのである。


2022.1 掲載

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