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クローズアップ

有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

丸山 嘉一:新型コロナウイルスは 差別しない。 差別するのは・・・

プロフィール

日本赤十字社 災害医療統括監
日本赤十字社医療センター 国内・国際医療救援部長 肝胆膵 ・移植 外科
丸山 嘉一(まるやま よしかず)

1960年 日本赤十字社産院生まれ
1985年 日本赤十字社医療センター外科研修医
2000年 日本赤十字社医療センター国際医療救援部・
     消化器外科副部長
2009年 日本赤十字社医療センター国内医療救護部長、肝胆膵外科
2016年 日本赤十字社医療センター国内・国際医療救援部長、
     肝胆膵・移植外科
2018年 日本赤十字社 災害医療統括監

はじめに

新型コロナウイルス感染症をめぐる「差別」には枚挙に暇がありません。感染患者とその家族に対するウェブサイトでの誹謗中傷や雇用止め、医療従事者の子供の登校や登園を拒否するなどの差別も報告されています。感染者だけでなく、都会から帰省してきた人や観光客などに対しても心ない非難が投げかけられています。
青森県では、帰省してきた人の家の敷地内にビラが投げ込まれました。
「なんでこの時期に東京から来るのですか?知事がテレビで言ってるでしょうが!!(中略)この通りは小さい子も居るのです。そして高齢者もです。さっさと帰って下さい!!皆の迷惑になります。安全だと言いきれますか??」
このビラには「知事」という印籠をかざし、「皆=ムラ」というコミュニティが重要であり、小さい子、高齢者を守る「正義の味方」的な意識がちりばめられています。たとえ幼なじみであっても、一旦「ムラ」というコミュニティから外(都会)に出たヒトに対しては、石持て追う「ムラ」の恐さが見られます。
一方で「コロナは存在しない」「コロナはただの風邪」「パンデミックは政府やメディアが仕組んだもの」と発言し、反自粛を扇動する動きが世界各地に散見されています。新型コロナウイルスはフェイクだと信じて疑わない人々が増えれば、感染防止に取り組まない人々の増加を招き、その国・地域の感染状況の悪化につながる恐れさえあります。

新型コロナウイルスの3つの顔

2014年西アフリカでのエボラウイルス感染症流行時に、不安・差別が感染流行地域に広がり、社会の分断につながるような状況を経験しました。医療者等に向けて激しい差別と攻撃が起こり、感染症の封じ込めが遅れてしまいました。日本では、近年このような経験がありませんでしたが、今回新型コロナウイルス感染症には、こうした心理社会的な問題が根本にあります。日本では、当初から病気そのものの予防は繰り返し呼びかけられていますが、このような未知の感染症に起こりがちな「こころの感染」である不安と差別についてはほとんど警鐘が鳴らされていませんでした。
人の命だけでなく、人の尊厳を守ることが赤十字の使命であり、日本赤十字社ではリーフレット、動画等を作成して情報を発信してきました。
その一つが「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!」です。(図1)

図1
新型コロナウイルスは、”体の感染症” “心の感染症” “社会の感染症”という3つの顔を持っており、これらが”負のスパイラル”としてつながることで更なる感染の拡大につながります。

第1の感染症(生物学的感染症)は「病気」そのものです。
このウイルスは感染者との接触で伝染し、感染すると風邪症状や重症化して肺炎などを引き起こします。

第2の感染症(心理的感染症)は「不安と恐れ」という感情です。
この未知の感染症に対する恐怖から不安や恐れが生じます。この不安や恐れは心の中でふくらみながら私たちの気持ちをふりまわし、偽の情報に乗せられてしまうなど、冷静な対応ができなくなるだけでなく、人から人へ瞬く間に伝染していきます。ウイルスへの恐怖が人々に不安をあたえます。その不安や恐れは次の第3の感染症につながります。

第3の感染症(社会的感染症)は「嫌悪・偏見・差別」という行動です。
ヒトは目に見えないものを恐れることが苦手です。そのためわかりやすいものにすり替えて自分を脅威から遠ざけようとします。例えば、感染リスクが高いと思われる職業(医療スタッフや感染者、その家族)や特定の地域などから距離を置く行動として現れます。その結果、差別が生まれ、人と人の信頼関係や社会のつながりが分断されてしまうことになりかねません。

なぜ差別はおこるのでしょうか(図2)

図2
未知なるものを恐れることは動物の持つ防衛本能として当然の反応です。感染症を恐ろしいと感じ、ウイルスに不安や恐れを感じること自体は、過度にならない範囲であれば問題はありません。しかし、ヒトは目に見えないものを恐れることが苦手です。真に恐れる対象である新型コロナウイルスは肉眼では見えません。さらに未知な要素が多く、ますます不安がつのります。
不安や恐れは人間の生き延びようとする本能を刺激し、ウイルスに接触したとされるヒトやモノを脅威・敵ととらえて日常生活から遠ざける行動にでます。さらに特定の属性の対象に対して「ウイルス」「病気」「ばい菌」といったレッテルを貼る心理によって差別や偏見はおこります。見えない敵への不安から、特定の対象を見える敵とみなして嫌悪の対象とし、それを偏見・差別して遠ざけることでつかの間の安心感を得たいというこころの構造です。嫌悪・偏見・差別は、私たちの互いに支え合う力・尊重しあう力を弱め、社会の危機に立ち向かっていく力も弱めます。

負のスパイラル(図3)

図3
新型コロナウイルスの恐ろしさは、3つの顔である”体の感染症””心の感染症””社会の感染症”が連鎖し、拡大していくことです。
新型コロナウイルスの特効薬やワクチンは開発されていません。未知なウイルスでわからないことが多いため不安が生まれます。そして、人間の生き延びようとする本能によりウイルス感染にかかわる人を遠ざけ、差別するようになります。偏見・差別が広がると、熱や咳があっても差別を受けるのが恐くて検査や受診をためらい、結果として感染拡大を助長することになります。新型コロナウイルス感染症同様の症状を呈する病気では、本来治る病気であっても、受診をためらった結果、適切な治療の機会を逸してしまうことにもなりかねません。また、医療従事者やインフラ従事者への差別が行われると社会の仕組みが止まることにもつながります。新型コロナウイルス感染症以外でも、事故や病気で命の危機にある人は日々発生しています。差別や偏見で、病院の機能が停滞してしまうと、それらの人々も助けることができなくなります。インフラも同様に、社会の機能が破綻してしまうことで、事態はより深刻化します。
感染予防(すなわち第1の感染症対策)ばかりに目が向いていますが、実はこのウイルスによってもたらされる影響は、疾病そのものよりも、心理的影響および社会的影響(すなわち第2、第3の感染症状)の方がはるかに大きいともいえます。

負のスパイラルにブレーキをかける

安全かつ確実な特効薬・ワクチンが開発されて世界中に普及すれば、負のスパイラルは断ち切られます。現在、特効薬・ワクチンは無く、我々に出来ることは連鎖のスピードをゆるやかにすることです。
病気を拡げないためには、
(1)手洗い、咳エチケット、人混みを避けるなど感染を予防すること
(2)不安に振り回されないこと
(3)差別に加担せず、他者をねぎらい敬意をはらって社会の連帯感を保つことが必要です。


一人ひとりが心の健康を保ち、自らできることや役割を考えて行動することにより負の連鎖にブレーキがかかります。命だけではなく、人間の尊厳を守るためにも「人の力・自分の力」を高めることがとても大切です。
「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!」では、第2の感染症である「不安」に振り回されないようにするために、「気づく力(Look)」「聴く力(Listen)」「自分を支える力(Link)」を高めるよう説明しています。
「気づく力」を高めるためには、自分と向き合う、自分自身をいろいろな角度から観察してみることです。まず、立ち止まって一息入れてみます。例えば、深呼吸をしたり、お茶を飲んだり。そして、今の状況を整理してみましょう。
「聴く力」を高めるためには、いつもの自分と違う所がないか、生活習慣が乱れていないかを確認してみましょう。例えば、ウイルスに関する悪い情報ばかり必要以上に目が向いていませんか?関係のない話題や事件も感染症に結び付けて考えていませんか?予防すること、警戒することはもちろん大切ですが、必要以上に不安を抱くことは避けましょう。いつも通りでいること、これが最も重要です。
「自分を支える力」を高めるためには、自分の安全や健康のために必要なことを見極めて自ら選択してみましょう。例えば、情報を見るタイミングやルールを決め、ウイルスに関する情報にさらされるのを制限し、距離を置く時間を作ることも有効です。いつもの生活習慣やペースを保ち、心地よい環境を整えることで、予防はしながらも平常心を保ちましょう。そして、今自分ができていることを認め、今の状況だからこそできることを考えてみましょう。読書や勉強、日記をつけるなど、これまでなかなか時間の取れなかったことに取り組んでみることも不安を取り除く方法です。

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差別はなくならない

感染を予防し、振り回されないよう不安と上手に付き合えば、第3の感染症である「嫌悪・偏見・差別」は止められるのでしょうか。
先に取り上げた青森に帰省した男性は、2度もPCR検査を受け陰性を確認されていたそうです。確かにPCR検査は偽陰性率も高く、検査した時点で、ぬぐった場所にウイルスが存在しなかったことを示す結果でしかありません。医学的というよりは、社会的・政治的な状況証拠にしか過ぎないかもしれません。しかし、現在考え得るかぎりの安全を担保していても、「差別」はおこっています。
ウイルスの側から考えると、寄生する宿主である人間を選ぶことはしません。種を保存するためには人間に次から次へと伝染し、殺すことなく、なるべく長く寄生していた方が得策です。新型コロナウイルスは「差別」しません。
「差別」するのはヒトです。人間はひとりでは生きていけない生き物です。集団で生活する上で、自己と他人、自分を含むコミュニティと他のコミュニティを区別します。その集団の中での立ち位置、絶対的・相対的関係を築きながら協調し、協働し、連携して生きています。そして属する集団によって物事を判断する優先順位が異なります。何が優先されるかによって「他者」の立場が決まり、その「他者」を良くも悪くも評価して対応しています。
そして、一度貼られたレッテルはなかなか変えられません。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは「最悪なのは、あらゆる人間を分類して、わかりやすいレッテルを貼ることである。この不幸な習性の持主は、自分が相手に適切だと思うタグを貼りつける時に、その相手について完全に知っていると考える。」と述べています。
また、ウイルスに感染した方に対しては、被害者非難がおこり、差別に拍車がかかります。
日本人には欧米人と比較して、「何か不運な目に遭うのは、その人が悪い人物だからだ。自業自得だ。」と考えやすい傾向があります。例えば、オレオレ詐欺の場合、詐欺に遭うのは被害を被った本人にも責任がある、と非難する声が多く聞かれます。新型コロナウイルス感染症でも、感染者は不運にもウイルスに感染してしまった犠牲者ではなく、ルールを守らなかった結果自ら感染を招いてしまった!というレッテルが貼られてしまいます。感染の原因が自己責任にあるとして、被害者性をはぎ取る被害者非難です。
さらに、感染者は他の誰かに病気を感染させる可能性をもつことから「被害者の加害者化」がおこってしまいます。感染者は、被害者として扱われないだけでなく、「加害者扱い」されてしまうことになります。(図4)

図4

それでも差別を少なくしたい

「理性」
我々人間は、性別、人種、言語、宗教、政治、経済など、そもそも「違い」のある世界で一緒に暮らしています。負の感情から発して自分自身や自分のコミュニティを守るための行動が「差別」です。差別を受けた側も同様な嫌悪・偏見・差別で対応することとなり、ここにも負のスパイラルが形成されてしまいます。
差別を少なくするために、感情から直線的・反射的に行動するのではなく、感情と行動の間に「理性」をはさむことが重要と考えます。
行動に移す前に、いったん離れて内省することが理性です。自分のこころの中をのぞき込み、自身の感情を再考します。自分の価値観だけでなく、様々な視点から検討することです。立場、時間、ポジティブ、ネガティブ、虫の目、鳥の目、魚の目などを駆使してのぞき込んでみます。
怒り、不安、つらさという感情を否定しない作業は時として苦しい作業になりますが、おそらく苦悩する能力を持つ存在は人間だけであり、我々に与えられた特権ではないでしょうか。ヴィクトール・E・フランクルの言うように「人間は苦悩する存在 ホモ・パティエンス」です。
近年SNSに纏わる問題が多く、メディアリテラシーの重要性が高まっています。メディアリテラシーとは「理性」を持つことと解釈しています。何かの情報を見聞きしたときに反射的にコメントするのではなく、いったん立ち止まり、一呼吸置いて内省してみることです。

「差を認める、公平、寛容」
ウイルスは差別しません。平等です。差別するのはヒトです。
しかし、人間は「差・違い」を認めて、差に応じて平等に対応することが出来ます。これが「公平」です。
ひとつのリンゴを二人に分ける場合、均等に半分ずつ分けるのが平等です。一方、状況によっては全てをひとりに渡すこともありうることが公平という考え方です。
人間の尊厳を守るために、個々の人間をその多様な存在のまま尊重しなければなりません。そして、個人を尊重するために不可欠なものは「差・違い」に対する「寛容」さです。
東京大学の熊谷晋一郎先生は「コロナによって誰もが障がい者になった。」とおっしゃっています。ウィズ・コロナを生きる我々は、不公平な満足を享受してきた時代から、平等な不満足を受け容れる時代になったのではないでしょうか。あきらめではなく、受容することです。苦しい現実を受け止め、新型コロナウイルスとともに生きていく「覚悟」を持たなければなりません。

まとめ

差別や偏見を完全になくすことはできませんが、一人ひとりの努力で少なくすることはできます。
新型コロナウイルスを「正しく恐れ」、自分自身の中でウイルスに対する「不安」を軽減すること、具体的には、できるだけ普段の生活を心掛け、心の穏やかさを保つ工夫をしましょう。
また、不自由さを覚悟し、他者に寛容に接し、それぞれ自分のできること、役割をこなすこと(Do your part)、それぞれの立場で、場所で行っていることに尊敬の念を持つこと(Respect)が大切です。社会の中に「ともに病気と戦う姿勢」「共同体感覚」を作りだすことで、差別や偏見を減らすことができると考えています。
そして、次の世代を担う子ども達は、じっと我々大人の姿を見ているんだ!ということを、忘れてはいけないことのひとつとして肝に銘じておかなければなりません。

最後に、2020年4月に国際連合が発表した「COVID-19(新型コロナウイルス)と人権ーわたしたちはこの危機をともにしているー」から、事務総長の「人権のための行動呼びかけ(Call to Action for Human Rights)」の一部を抜粋します。
「私たちが共有する人間のありようと価値観は、分断ではなく、結束の源であるべきです。私たちは人々に希望と未来がもたらすビジョンを示さなければなりません。人権システムは、人々とリーダーの関係の再構築や、私たちが依存する地球規模の安定、連帯、多元主義、包摂性の達成といった21世紀の課題、機会、ニーズを満たす手助けをします。このシステムは、希望を具体的な行動に変え、人々の生活に実際に影響を与える方法を示してくれます。人権を権力や政治の口実にしてはなりません。なぜなら、人権はそれらの上位にあるからです。」

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2021.3掲載

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