ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

クローズアップ

有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

中川英明:70年を迎えた「世界人権宣言」
~今こそ人権と向き合う~

プロフィール

中川 英明(なかがわ ひであき)

公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 事務局長
東京生まれ。1989年から2002年まで国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務。ハノイ、コロンボ、ベルモパン、サラエボに駐在し、国内避難民(IDP)や難民の保護と支援に従事。ジュネーヴ本部勤務を経て帰国した後は、複数の国際協力NGOのスタッフや事務局長としてアジア、アフリカを中心に初等教育、公衆衛生、住環境の改善と所得向上などの支援プロジェクトや東日本大震災被災地での支援活動に携わる。
https://www.amnesty.or.jp/

「すべての」人に同じ権利がある

世界人権宣言は、1948年12月10日、パリで開かれた第3回の国際連合総会で、「あらゆる人と国が達成しなければならない最低限の共通基準」として採択されました。
人権という概念は、なにも世界人権宣言で突然生まれたものではありません。人権概念の誕生には諸説ありますが、近代ヨーロッパで国王が絶対的な権力を持っていた絶対王政に対抗して、人間は自由や平等など生まれながら当然の権利を持っているという思想が生まれました。この思想と市民統治のあり方をめぐってさまざまな考えが提唱され、人権を市民社会の原理として、国家主権(そして帝政)を基礎づける動きもありました。 人は生れながらにして人間として不可侵の権利を有するという考えを法律として初めて明文化したのは、1779年に採択されたアメリカのバージニア権利章典です。フランスでも「人は生まれながらにして自由で平等である」と記した「人および市民の権利の宣言」が1789年に採択されました。しかし、この頃の「人」が指しているのは、基本的に財産を持った白人の成人男性に限られ、女性や有色人種が同等の権利を持つとは考えられていませんでした。その後、各国で人権がそれなりに整備されていきますが、あくまで国内問題であり、国境を越えた人類の普遍的な価値としては、確立されてはいませんでした。
それを変えたのが、「世界人権宣言」です。世界中〝すべての〟人間は生まれながらに基本的人権を持っている、と明示されたのです。お金を持っているとか、立派な経歴があるとか、善良な人であるとか、そういったことに一切関係なく、貧乏な人も、倫理的に正しくないことをした人も、罪を犯した人も、みな同じ権利をもっていると。その根底にあるのは「自由」「平等」「尊厳」です。
世界人権宣言を採択した国際連合は、みなさんご存じのように、第2次世界大戦の惨劇を二度と繰り返さないという反省からつくられました。そこで各国の代表者たちは、人権を軽視することが戦争につながり、戦争でさらに人権が侵害されるという悪循環に陥っていたということを認めました。そして、世界の平和を実現するためには、世界各国が協力して人権を守る努力をしなければならないという決意を、国連憲章に込めたのです。国連は誕生翌年から国際的な人権章典づくりに着手し、それが世界人権宣言という形で結実しました。

70年経って世界はどう変わったか

この70年、国際社会は、世界人権宣言で謳われている権利が守られるために、国家が負う義務に関して合意を積み上げてきました。法的拘束力のある国際条約を制定し、各国がこうした条約をきちんと実施しているかどうかモニターする機関もつくられました。国際的な人権条約は、包括的なものから女性、子ども、障がい者、少数者、移住労働者、その他の脆弱な立場にある人々のための特定の基準を定めたものまで、約30あります。また、地域単位での人権保障の枠組みづくりも進みました。アフリカでは「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」が採択され、その実施保障機関として人権委員会と人権裁判所がつくられました。
ヨーロッパは欧州人権条約の採択、人権裁判所の設置(以前は人権委員会もありましたが廃止されて人権裁判所に一本化)、南北アメリカとカリブ海諸国から成る米州でも、米州人権条約が採択され、人権委員会、人権裁判所が設置されています。アジアでは、人権に取り組む人たちが「アジア人権憲章」をつくるなどの動きはありますが、残念ながら、こうした地域人権保障の枠組みが、まだ存在しません。
国レベルで見ると、多くの国の憲法で、基本的人権の保障が掲げられています。人権を侵害された時の駆け込み寺ともいえる国内人権機関も、120カ国以上に設置されています(日本にはありませんが)。南アフリカのアパルトヘイト廃止や、アメリカの公民権運動に象徴されるように、差別的な制度の廃止も進みました。
各種人権条約の誕生には、アムネスティ・インターナショナル(以下、アムネスティ)が果たしてきた役割も少なくありません。国と国との約束事である国際法の仕組みを用いて、世界的な人権保障体制をつくり上げることに力を注いだのがアムネスティなのです。法制度、特に国際的な法制度を、世界中にはびこる人権侵害の解決のために援用しようというアイデアは、アムネスティの発足当時は、かなり突飛な考え方だと思われていましたが、20世紀後半の世界の実情を実際に変えていきました。
例えば拷問等禁止条約(正式には「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」)。これは、国家による拷問を、いかなる事情があろうと、例外なく禁止するものですが、アムネスティは同条約の成立を主導してきました。国際社会を動かし、条約の草案づくりにも深く関わったのです。
国際、地域、国レベルで仕組みづくりは進みましたが、現状を見ると、世界中すべての人が人権を享受できる世界になっているとは、とても言い難い状況です。そこかしこで紛争が続き、そのために難民となってしまった人たちが過酷な暮らしを強いられていることは、ニュースなどで見聞きしているかと思います。 その他にもアムネスティのもとには、マイノリティに対する差別的政策や迫害、SNSあるいはアートで政府を批判した、神を冒涜した、国王を侮辱したという理由で逮捕されたり、命の危険にさらされているという情報が、日常的に舞い込んでいます。人権より政治的思惑、経済的利権が優先される場面も数多く見られます。
70年前の決意は、いったいどこにいってしまったのでしょうか。

日本は人権が守られている?

アムネスティが人権に関する意識調査を国別におこなったところ、日本では9割の人が、人権が十分に守られていると感じているという結果となりました。法務省・文部科学省がまとめた「人権教育・啓発白書」2018年版でも「人権を侵害されたと思ったこと」が「ない」と答えた人が、84%でした。みなさんは、これをどう捉えるでしょうか。
一方で、私たちが活動するなかで、「日本は人権意識が低い」という指摘も国内外から寄せられています。ある時は、否定的な意味の、またある時は、「意識しなくても人権が守られている幸せな国」という意味の指摘です。では、果たして「人権擁護が進んでいる」といわれている国では人権意識が高いと言えるのでしょうか。
押し寄せる難民の流入を阻止するために、難民の経由地となっている国と人権上の問題がある合意を次々と取り交わすEU。難民・移民排斥を掲げる政党の飛躍。福祉国家といわれるデンマークでは難民の財産を没収する法律ができ、ノルウェーは受け入れを厳格化する方針に転換しました。英米は紛争地に武器を供給し続けています。こうした動きには、他人の人権より自分の既得権益を優先させる人々の意識が透けて見えるような気がしてなりません。
意識が高い、低いという比較は別として、確かに日本では、さまざまな社会問題を「人権」の問題だと捉えることが少ないのかもしれません。
例えば、昨今頻繁にニュースになっている幼児の虐待は、子どもの人権侵害です。高齢者の虐待も、障がい者の虐待も、しかり。生活保護受給者に対するバッシングやケースワーカーの暴言、学校でのいじめ、DV……。セクハラも、過労死も、職場の嫌がらせやパワハラで自殺に追い込まれることも、人権の問題です。
では、人権というのは誰が守ってくれるものなのでしょうか。人権諸条約でも日本国憲法でも、第一の責任は国にあるとしています。国家には、人権を守り、守らせる義務があるのです。国家自らが人権を侵害しないのはもちろんのこと、人権侵害を抑止・阻止し、人権保障を積極的に促進しなければならず、その方法として、人権が守られるように法や制度を整備する、人権侵害を行った者に対し法に基づいて制裁を科す、被害者の救済を行う、人権政策を立てて着実に実行する、などが挙げられます。意識啓発も欠かせません。
近年の過労死問題では、各国の人権履行状況を審査する国連機関から、日本政府に対して、長時間労働を防止する措置を強化し、長時間労働を強いる者には制裁を科すようにと、改善を突きつけられています。また、職場の嫌がらせの問題では禁止・防止を法制化することも勧告されています。
この時の審査は、労働・社会保障・生活・教育などの経済的、社会的及び文化的権利、いわゆる社会権が対象で、最低賃金の水準が最低生存水準を下回っていること、性別による待遇差別、契約形態に基づく待遇差別に対しても懸念が表明されています。DVやセクハラや子どもの虐待についても、別の人権条約機関から懸念や勧告が出されています。
こうした勧告や懸念に対し、日本政府の対応はこれまでのところ十分とはいえません。
人権を守る一次的な義務は国にあるとはいえ、国に任せておけばよいのでしょうか?
人権はすべての人に関わることであり、他人事ではありません。世界人権宣言でも「すべての”人”と国が守るべき共通基準」とあります。私たちも守らなくてはならないものなのです。それは、日々の生活の中で個人個人が守る、ということだけでなく、国に守るように働きかけるという行動で実現できることもあります。
アムネスティは各国に人権を守らせようと行動する世界中の市民の集まりです。そして実際に、さまざまな国の制度や法の改善に貢献してきました。一人の声は小さくとも、その声がたくさん集まれば、変化をもたらすことができるのです。
人権条約機関からの懸念や勧告に対し対応の鈍い日本政府に任せっきりで、問題がある状態が放置され続ければ、ご自分の、あるいは家族の、友人の権利が踏みにじられてしまうかもしれません。未来の子どもたちに受け継ぐ社会が、自由と平等と尊厳が享受できるものとなっているかどうかは、今の私たちの行動にかかっているといったら、言い過ぎでしょうか。

企業人として、消費者として

アムネスティの活動は、制度を変えて社会の仕組み自体を人権保障という方向に変えようとするものであるため、必然的に国家や国際機関への働きかけが中心となりますが、最近では、企業という存在も人権の観点から分析しています。というのも、グローバリゼーションが進み国際的な大企業が国家の枠を超えて活動するなか、国家間の約束事である国際法や国内法を主体とした人権保障とは違う軸の仕組みが必要となっているからです。
実際、グローバルな企業競争のしわ寄せは、弱い立場の企業、弱い立場の個人やコミュニティに行き、安全や健康を犠牲にした環境で、長時間・低賃金で働かされたり、長年暮らしていた土地を奪われたり、汚染などで住めなくなったりしています。「企業が労働者を奴隷のように扱って、強欲に利益を追求している」という非難の声も強くあります。
こうした事態に対し、国際的なガイドライン(国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」)がつくられ、さまざまな業界基準もつくられていますが、まだまだ不十分です。
労働搾取というと製造業を連想する方も多いと思いますが、前述の指導原則では、企業の直接活動だけでなく、バリューチェーンを通した取引先での問題にも責任を負うことを求めています。つまり、金融も商社もサービス業も小売業も、大企業だけでなく中小企業も、あらゆる企業が人権問題に対して責任を負うのです。みなさんがお勤めの企業でも、CSR部門や経営部門などが、自社の事業活動が与える人権への影響の洗い出しに努め、防止策を策定しようとしていることでしょう。もはや、人権リスクは経営リスクであると言えるなか、企業人であるみなさん一人ひとりも、人権に関して、鈍感ではいられません。ハラスメントや雇用待遇差別など、働く人の人権に関しては、多くの企業で研修などが行われ、ニュースにもなったりしているので、みなさんも意識していると思いますが、「事業活動で起こりうる人権問題も、CSR部門などの専門部署だけが考えればよいことではなく、社内のすべての部門における日々の業務の中で起こり得る問題である」と考え、全社的に取り組まなければ問題の解決にはつながりません。
一方、みなさんは企業人であるとともに、消費者でもあります。SDGs(世界が抱える問題を解決し、持続可能な社会をつくるための国際社会の共通目標)に、「つくる責任つかう責任」というものがあります。これは、地球環境にフォーカスしたものですが、人権の分野でも同じことが言えます。
安くて品質の良いものを求めるのは消費者としては当然ですが、そのことで途上国における低賃金労働に加担していないか、誰かの人権を犠牲にしていないか、と立ち止まって考える人がどれぐらいいるでしょうか。なにも途上国だけではありません。日本でも労働者を酷使し、使い捨てにするような企業が問題となっていますが、その先には商品やサービスを受け取る私たちがいます。
こうした問題を、自分の消費と結び付けて考える人が増えていけば、企業も対処せざるを得なくなるでしょう。しかし、ここには「情報の壁」があります。「知っていれば買わなかった」となることもあるでしょうが、消費者には、ほとんどの場合、価格や品質という結果以外の情報が知らされていません。原料の調達、製造という「商品の一生」に人権が関わっていることが、あまり表に出てこないのです。欧米のように、CSRを切り口にした商品の比較情報があるわけでもありません。
もちろん、知る努力は大切です。そして、みなさんにも、そうした努力をしていただきたいと思います。しかし知る努力にも限界がありますし、企業の問題を「責任ある消費行動」として個人に押し付けるのも、おかしな話です。だからこそ、アムネスティはサプライチェーン上の人権に関する情報開示を、企業に求めているのです。
「知る」「知らせる」この双方は、この問題に限らず、すべての人権問題の解決に向けて必要なことです。その触媒になるのが、アムネスティのようなNGOなのです。世界人権宣言70周年を機に、まずは宣言に掲げられた私たちが持つ当然の権利を知ることから、始めてみませんか。

公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本

2019.1掲載

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