ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

東俊裕:被災障がい者と人権
〜支援の網の目からこぼれ落ちる障がい者〜

プロフィール

東 俊裕(ひがし としひろ)

1953年1月1日熊本県生まれ。生後1歳半で小児麻痺。中央大学法学部卒。2003年から2006年まで国連の障害者権利条約特別委員会の政府代表団顧問。2009年12月からは障害者権利条約批准に向けた障がい者の制度改革にかかわり、条約批准を機に2014年3月、内閣府障害者制度改革担当室長を辞め、現在は弁護士および熊本学園大教授に復帰。熊本地震発生により「被災地障害者センターくまもと」事務局長に就任。
主な著書は『障害者の権利条約と日本 概要と展望』共著、生活書院、2008年

はじめに

(2016年8月時点での現状)

4月14日と16日の熊本地震により、激震地である益城町が壊滅的な状態になっただけでなく、熊本市を含めた周辺地域も経験したことのない極めて大きな被害を受けている。熊本市では外形的には平常時に戻りつつある。しかし、被害の大きかった益城町やほかの周辺町村では仮設住宅への入居なども進んではいるものの、今もって地震による惨状にたいした変化はない。

障がい者と社会資源とのつながり

ところで、災害が発生した場合の障がい者への支援を考えるうえで、日頃障がい者がどういった社会資源と結びついているのかの考察が重要と思われる。こうした観点から考えると、

①障がい者施設などに入所している障がい者もしくは、グループホームなど夜間介護体制があるもとで生活している障がい者
②通所している障がい者
③在宅で居宅介護などの在宅障害福祉サービスを受けている障がい者
④在宅で生活しているが、障害福祉サービスを受けていない障がい者

などの分類が考えられる。
こうした分類に基づけば、災害が発生した場合に、④以外の障がい者は、日頃結びついている社会資源による支援を受けられる可能性が高い。しかし、それでも上記分類ごとに異なる社会資源のサービス体制や災害時における対応能力によって、障がい者が受けられる災害時支援には格段の差があると言ってよい。ましてや、④の在宅で生活しているが、障害福祉サービスを受けていない障がい者に対しては、福祉サイドからの支援は望めない。
熊本市は、市内在住の障がい者(約4万2千人)の一部について、安否確認の調査をしたが、その過程で65歳未満で日頃障害福祉サービスを受けている障がい者(上記の①から③までに分類される障がい者)は7千人程度に過ぎず、本来であれば、障害福祉サービスを受けてしかるべき重度の障がい者がそのほかに約9千人いることが明らかとなった。重度障がい者に該当しない人も含めると、実に多くの障がい者が障害福祉サービスを受けていないのである。
また、何らかの障害福祉サービスを受けているとされる7千人についても、東日本大震災と異なり熊本の場合は地震がいずれも夜に発生しており、災害発生時点においては、多くの場合、福祉や医療といった社会資源との結びつきが切れている時間帯であったこと、②や③のサービスを提供している事業者自体が被災し、事業再開が困難な状態であったこと等を考えると、①以外に分類される大部分の障がい者は特に災害当初は福祉サイドからの支援が期待できない状態であったと言える。
さらに、上記の分類に加え、障がい者団体などに会員登録している障がい者であるか否か、という観点からの分類もあり得る。障がい者団体は公的なものではなく、基本的には自助組織であるが、震災時の対応能力を持っている団体であれば、所属組織の支援を受けられる可能性もある。しかし、そういった対応能力を持つ団体はそう多くはない。

障がい者が寝起きできる場所の設置(熊本学園大学)障がい者が寝起きできる場所の確保(熊本学園大学)障がい者を収容した夜の風景(熊本学園大学)

障がい者を拒む一般避難所

こうした中で、震災が起きた直後においては、大多数の障がい者は障がいのない人同様、最も身近な避難所へ避難するしかないことになる。しかし、多くの障がい者は身近にある避難所を利用できない状況に陥る。
たとえば、車いすでも利用できるトイレのない避難所では車いすの障がい者は避難生活を送れない。視覚障がい者は動けたとしても、足の踏み場もないほどにごった返している避難所では、トイレまで移動したり、救援物資の配給の列に並ぶこともできない。精神障がい者や自閉傾向の強い障がい者はごった返す人の中でパニックになったりして、避難所の管理者から人に迷惑をかけるなら出て行けと言われる。介助を必要とする障がい者はそもそも一人で避難所で生活することは極めて困難であるにもかかわらず助けてくれる人がいないのである。

「福祉避難所」の役割

一方、市町村では、一般避難所で避難生活を送ることが困難な要援護者のために、市町村が予め指定する施設を「福祉避難所」として開設することになるが、災害時にすぐに開設されるものではなく、一般避難所での避難者の状況により、行政の判断に基づき開設されるものである。
熊本市の場合、福祉避難所への入所は熊本市が判断・決定するとしているので、災害が発生したからといって勝手に福祉避難所に入ることはできない。費用に関しても、市の決定を経たものでなければ、食費、居住費等の費用を行政は負担しないとしている。
また、福祉避難所に指定される施設のほとんどは、平素は障がい者や高齢者の入所施設である。熊本市の場合、高齢関係117施設、障がい関係54施設、その他2施設、合計173施設が指定を受けた施設であるが、もともとの入所者に加え、どれだけの人数を受け入れることが可能であろうか。1施設10人としても1700人程度に過ぎない。
さらに、熊本市としては、発災直後に福祉避難所に多くの障がい者が押し寄せてこられて、その事業所自体がパンクすることを恐れ、その施設名や住所、受け入れ人数等については、公開していない。
これでは、発災直後から水道、電気、ガスなどのライフラインが復旧するまでの最も緊急で、しかも行政としても機能麻痺に陥っている時期に、福祉避難所が在宅の障がい者にとっての避難所として期待することはできない。そうなると一般の避難所も福祉避難所も利用できない状況が生まれることになる。そういった意味で、一般の避難所の問題を取り上げないまま、福祉避難所が機能すれば障がい者も他の人と同じように避難生活が送れるといったマスコミの論調は事態を正確に把握したものとは言いがたい。むしろ、「障がい者は一 般の避難所ではなく、福祉避難所の方に行くべきだ」という誤った認識を醸成する可能性がある。
従って、福祉避難所には、例えば、避難所で緊急医療が必要な避難者が発生した場合には病院がその避難者の対応に当たると同じように、一般の避難所では対応が極めて困難な重度の障がい者のための二次避難所としての役割が与えられるべきである。そして、そういった役割分担ができるためには、一般の避難所でも多くの障がい者が避難生活を送ることができる状況をいかに作るかが前提問題として重要であるが、現状は述べたとおりである。

学生による炊き出し作業(熊本学園大学)支援に集まったボランティア(被災地障害者センターくまもと)

公的支援の網の目からこぼれ落ちる障がい者

こうなると、多くの障がい者は発災直後、避難所に顕在化されることなく、壊れかけた家に留まるか、家族とともに車の中で生活をするか、遠く離れた親戚を転々とするかなどの手段を選ばざるを得ない。東日本大震災の時に比べると避難所にいる障がい者の数は多かったようであるが、それでも特に最も緊急な時期に障がい者の姿を避難所に見つけることは困難であった。

そもそも、避難所には、多量の支援物資、組織的な人的支援、避難生活やその後の復旧復興に向けた情報が集約される。しかし、避難所に顕在化することのない多くの障がい者は避難所での災害支援から始まる公的な支援の仕組みに乗ることもできず、支援の網の目からこぼれ落ちて、見えない存在となってしまうのである。

「被災地障害者センターくまもと」の立ち上げと「SOSチラシ」の配布

こうした状況が発生することは、すでに阪神淡路大震災や東日本大震災でも言われてきたことであるため、熊本では発災後間を置かずに地域の障がい者団体をベースとして「被災地障害者センターくまもと」が立ち上り、全国の福祉経験者をボランティアとする障がい者に特化した災害支援のスキームができた。 当初、どこにいるかわからない障がい者に支援の存在を知らせるために、このセンターの連絡先を書いた「SOSチラシ」を作成し5千枚ほど避難所、役所、社会福祉協議会などに配布したところ、配布直後からSOSの電話が鳴り出し、5月1カ月だけでも延べ300人ほどの支援者による支援を行った。
緊急事態が続いていた頃は、緊急物資の提供、夜間の介護、入浴介護、洗濯支援などのSOS、その後は住環境・生活環境の復旧に関するSOSや住宅探しや引っ越しなどのSOSが増えていった。
しかし、6月になると、SOSが次第に減りだした。それは、おそらくSOSチラシを避難所や役所などに配布しただけでは、被災した障がい者の手元に充分行きわたっていないからだと思われた。
そこで、熊本市に掛け合い、熊本市内の障害者手帳を所持する約42,000人に対して、市のお知らせとしてこのSOSチラシを郵送してもらうことになった。その結果、最近では多い日に新規のSOSや継続支援、その他も含めて1日70本もの電話が鳴り出すようになり、センターとしてはてんてこ舞いの状況に至っている。 これらの支援は、障がい者に対する法定の障害福祉サービスでは賄えないものがほとんどであり、行政の現在の障がい者に対する支援の枠組みでは解決できないものであるため、ボランティアによる無償の支援に頼らざるを得ないのが現状である。

支援物資の提供作業(被災地障害者センターくまもと)

障がい者通所作業所の修復作業(被災地障害者センターくまもと)

トイレやお風呂には入れない仮設住宅

アパートや自宅の損壊により住む場所を失った障がい者も多く、新たな住まいの場をどこに求めるのか、緊急避難状態の後に出てくる大きな課題である。 住宅確保の公的な仕組みとして主要なものは、
①障がい者などの要援護者に対する公営住宅等への優先入居
②民間賃貸住宅の借上げ(みなし仮設)
③仮設住宅の提供
などがあるが、障がい者にとってバリアフリーな住宅の確保は簡単ではない。特に、仮設住宅の1割ほどにスロープが設置されてはいるが、入口や空間が狭すぎて車いすではトイレもお風呂も使えない状態である。熊本県が採用した仮設住宅の標準仕様は、屋外のスロープ設置を除いて、建物本体については障がい者の存在が想定されていなかったのである。この点は熊本県と交渉し、改良工事を行うことやバリアフリーな仮設住宅を新たに建築する方向になったが、実現化するまでには至っていない。

被災障がい者からの電話を受ける筆者(被災地障害者センターくまもと)

「障害者差別解消法」と合理的配慮の提供

ところで「障害者権利条約」の批准にむけた国内の障がい者制度改革の中で、「障害者差別解消法」が制定され、行政機関等に対しては障がい者への合理的配慮の提供が義務づけられている。施行は熊本地震が起こる直前の本年4月1日である。
従って、被災時の公的サービスは、障がい者も障がいのない人と同じように避難生活ができるような合理的配慮の提供を行政は行わなければならないところ、行政から指定を受けた避難所であれ、仮設住宅であれ、実態は障がい者の利用を拒む結果となっている。
そういった中にあって、私学の熊本学園大学では、指定の避難所ではなかったが、避難してきた近隣住民に学校施設を開放し、7百人ほどの避難住民の中にいた50人ほどの障がい者にも同じように避難生活ができるようさまざまに工夫を凝らし、震災直後から新たな住環境が整う最後まで避難生活を支えた唯一の事例であると思われる。
民間でさえやろうと思えばできる合理的配慮について、今後想定される災害においても、災害のさまざまな段階で要援護の高齢者や子どもも含め、障がい者に対してどのように提供していくかといった大きな課題が浮き彫りにされている。

SOSチラシ表面(裏面は提供支援内容が記載されている)

炊き出し作業の学生と筆者(熊本学園大学)

2017.3掲載

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