ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

有森裕子:知的障がい者スポーツとスペシャルオリンピックス日本の使命・取り組みについて

プロフィール

有森 裕子(ありもり ゆうこ)

1966年12月17日、岡山県生まれ。‘92年のバルセロナオリンピックで銀メダル、’96年のアトランタオリンピックで銅メダルに輝き、日本女子陸上界初の2大会連続オリンピックメダル獲得の快挙を達成。現在はスペシャルオリンピックス日本理事長、認定NPO法人ハート・オブ・ゴールド代表理事、厚生労働省いきいき健康大使などを務める。

森さんとスペシャルオリンピックス(以下、「SO」)日本との出会いは、いつ頃だったのでしょうか?

2002年、東京で開催された「スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム・東京」の時に当時SO日本理事長の細川佳代子さん(現SO日本名誉会長、元内閣総理大臣細川護煕夫人)から連絡があって、SO日本ドリームサポーターへの就任の依頼をいただき、その時は、SOのことを知りませんでしたが、内容を伺って、就任を引き受けさせていただいたのが始まりです。当時、自分自身もNPOの団体を立ち上げたりしていたので、「私に何か(お手伝い)できることがあれば」との思いがありました。障がい者スポーツにしっかりと取り組んだのはこれが初めてでした。知的障害に関しては、実家の近くに養護施設があったり、親族にも障がいのある子がいたので、「特別」という意識はありませんでした。
そして、SO日本ドリームサポーターから、理事、副理事長、そして2007年に理事長に就任し、現在に至ります。

2012年SO日本冬季ナショナルゲーム・福島 写真提供:スペシャルオリンピックス日本

頑張れるチャンスの大切さ

SOに携わって、有森さんの心境に変化はありましたか?
以前から「障がいのある人もそれぞれが持っている可能性を引き出したい」という漠然とした思いはありましたが、どのようにサポートをしたらよいか分かりませんでした。
SOに携わり分かったのは、障がいのある人にも、ごく普通に接することが重要だということです。
障がい者スポーツの大会などを見て感じるのは、日本では障がいのある人に過剰に手助けを行っているな、ということです。何でも運んであげたり、手伝ってあげたりしていると感じることがあります。SO活動でもそういったシーンはよく目にします。知的障がいのある人は、自分たちの声や思いを上手に伝えられない場合がありますので、サポートする人が手取り足取り行ってしまうことがあります。そういったことから、彼らは「自分のことは自分でやる」ということや「何かにチャレンジする」という機会(チャンス)をなかなか与えられてこなかったり、機会がなかったから、何かをする時、上手くできないのではないかと思います。もちろん障害の度合いによって、できる事やできない事はありますが。
SOではスポーツを通じて、チャレンジする機会(チャンス)を提供しています。SOの創設者ユニス・ケネディ・シュライバー(アメリカ合衆国故ケネディ大統領の妹)はそういった想いから、この活動を始められました。SOに参加する知的障がいのある人(アスリート)たちはスポーツを通じて、喜んだり、悔しがったり、涙を流したりとさまざまな経験を積み、それぞれ成長しています。私は、SOのアスリートを見て、頑張れるチャンスの大切さをまず感じました。 障害があるという〝違い〞と〝不便さ〞はあるけれども、接し方は普段通りのままで、障害があるから何でもサポートするのではなく、時には、厳しく接することも必要だと感じました。といっても、これまで彼らに過剰に接してきたことについて、否定するものではありません。それが必要であったことも事実ですし、それがあったからこそ、今の時代があるのだろうと思います。ただ、時代とともに変わっていかないと彼らの成長もないでしょうし、私たちも変わっていかないと、彼らと共に生きていけないと思います。よい意味で普通になっていかないといけないと感じています。〝特別感〞は、もうなくしてもよいかな、と思います。SOに携わって、その点を冷静に考えさせられることがものすごくありました。

2013年SO冬季世界大会・ピョンチャン 写真提供:スペシャルオリンピックス日本

ディビジョニングと全員表彰

どんな方が『アスリート』として活躍されているのですか、また、大会に出場できるのですか?
会社で働きながらSOに参加している人もいますし、学生の人もいます。知的障害といっても障害の度合いはさまざまです。SOは年間を通じてスポーツトレーニング・プログラムと競技会・大会を提供していて、一人でも多くの人に参加いただけるよう性別、年齢、競技能力などによってグループ分けを行う〝ディビジョニング〞というSO独自の仕組みを取り入れています。ディビジョニングを行うことで同じ競技レベルのアスリート同士で競い合い、自分自身の最大の能力を十分に発揮できる環境を作っています。 また、SOの競技会・大会では参加したアスリート全員を表彰していて、ディビジョニングでクラス分けを行った後、クラスごとに全員を表彰し、1位から3位にはメダルを、4位から8位まではリボンを掛け、最後まで競技をやり終えた事に対して、一人ひとりに変わらぬ拍手を贈ります。
称えられることや褒められることで次も頑張ろうと思う気持ちは、私たちと同じです。極端な表現になりますが、こういうことは人間にとってとても大事なことではないかなと感じています。スポーツに限ったことではなく、社会で生きていく上で大切なことを伝えていく必要があると思います。

全員表彰(2009年SO冬季世界大会・アイダホ) 写真提供:スペシャルオリンピックス日本

ユニファイドスポーツと共生社会

スポーツを通じた障がい者と社会のつながりについて、どのようにお考えでしょうか?
私自身はもっとスポーツを通じて、共生社会を発信していきたいと思っています。そういう意味では、SOの〝ユニファイドスポーツ〞は、この社会にとって大事なスポーツの形であると思います。今、社会で障がい者との共生とよくいわれていますが、それがスポーツで当たり前に実現できれば、すばらしいことではないでしょうか。ユニファイドスポーツは、知的障がいのある人とない人でチームを作り、練習や試合を行い、スポーツを通じてお互いに相手の個性を理解し合い支え合う関係を築いていく取り組みです。SO国際本部が推進しているプログラムのひとつで、世界中で展開されていて、SO世界大会公式種目としても実施されています。障害の有無を越え、スポーツを通じて喜びや悔しさ、達成感など、さまざまな経験を共有することにより、お互いの理解を深め、友情を育むことをめざしていて、共生社会の実現を促進することを目標としています。
障がい者アスリートとの関わる方法が、サポートとしてだけではなく、チームメイトとして関わり、一緒に競技ができたとすれば、そして、それが子どもの時からできていたとしたら、これはすごいことだと思うんです。
一緒にスポーツをしている子どもたちは、彼らを障がいのある人ではなく、チームメイトや仲間と言うでしょう。障害があっても「そういうことができるんだ」、ということが自然に社会で理解されるようになります。
自分にないものを持っている相手から学び、考え、理解していくことで尊敬するようになるんです。そういうことが、もっと日常的に、子どもたちのスポーツの現場に増えていけば、社会はすごく変わっていくと思います。
例えば、身体障がいのある人の車いすバスケットボールでは、子どもたちからすれば、「あの車いすカッコイイー!」なんです。この発想がとても大事で、障がいのある人に対してかわいそうなどではなく、プラスのイメージから物事を知るということは素晴らしいことであり、その入り方や流れを作っていきたいと思います。
ユニファイドスポーツの取り組みでは、今年の12月に大阪でユニファイドサッカー全国大会を開催します。知的障がいのある人とない人がチームを組み大会にエントリーし、2日間にわたって試合を行います。今後、さまざまな競技でこういった大会を展開し、地道な活動でもこのユニファイドスポーツを社会に浸透させていくことが大事だと思っています。

バスケットボールユニファイドチーム(2015年SO夏季世界大会・ロサンゼルス)
写真提供:スペシャルオリンピックス日本

SOを広く皆さんに知ってもらうことについては、どのように考えられていますか?

2005年に長野で開催されたSO冬季世界大会は、国内で初めてのSO世界大会ということもあり、注目もされ、国内でのSOの認知が初めて広まり、SOへ関心を持っていただけるようになりました。SO世界大会にボランティアとして参加した人が所属する企業の担当者から、「ボランティア参加した後、社員の働く姿勢によい変化が起きました」とお話しいただきました。その後、その企業から多くの社員の方々がボランティアに参加してくださるなど支援を続けてもらえるようになり、私たちの活動を日本国内で広げる大きな機会となったと思います。ただ、世界と比べても日本でのSOの認知は低いのが現状です。
これから、さらにこの活動を広めるには、どう上手く伝えていくべきかなど、もっといろんな工夫が必要だろうと思っています。ただ単に、皆さんにボランティアで参加いただき、SOを知ってもらうというよりは、アスリート自らが発信していくことが大切かなと思います。自分たちが、自分たちのことを知ってもらうためにどんな活動をすべきか、そのことを彼ら自身が考えることも必要ではないかと思います。相手が用意してくれる、準備してくれるのを待っているのではなく、自分たちから積極的に発信していくこと。その方法は、まだまだこれから試行錯誤をしながら考えていくことになると思います。

「スペシャル」な気づき

有森さんにとってSOの意義はどのようなものでしょうか?
彼らと接して印象的なのは、気持ちを前面に出し、勝ったら喜び、負けたら悔しがる姿です。そして、基本的に相手に対して卑下したりすることはありません。私たちは自分の感情を隠したり、素直に感情を表現しないことがあり、彼らと接していると、私たちの方が心に問題があるのではないかと感じることがあります。
SOの〝スペシャル〞の意味は、彼らが特別ということではなくて、〝彼らと接することを通して、私たちに気づきを与えてくれる〞、という意味と私は思っています。時代や環境が変わってくると、人や組織も変化していかなければいけない。SOは、人に、そして社会に変化を起こせる組織でなければいけないと思っています。
そして、私もそうですが、スポーツを通じていろんな経験をし、成長するきっかけを与えてもらえたからこそ、今の自分があるのだと思います。彼らも同じで、スポーツという機会を通じて、変化(成長)してもらいたい。そして私たちは、そのアスリートたちに対して全力で応援し、彼らに自信と勇気を持ってもらいたい。それがSOの最大の使命であると思います。その後、アスリートたちは自分自身の生き方を家族や周りの人と一緒に考えていってもらいたいと思います。

」

表彰台にてアスリートとボランテ ィア(2014年SO日本夏季ナショナルゲーム・福岡)
写真提供:スペシャルオリンピックス日本

他の障がい者スポーツとの関係はどのようになっているのでしょうか? 少し複雑な感じがするのですが。

「障がい者スポーツ=パラリンピック」というイメージが一般的なのかなと思いますが、パラリンピックだけでなく、デフリンピック()、そしてSOもあり、障がい者スポーツにもさまざまあります。それは、それぞれの障がいのある人に対しての取り組みがあるからであり、各組織が最終的にめざしているゴールは一緒だと思います。なので、各組織がどのような取り組みを行っているかをもう少し明確にし、また、それぞれが情報を出し合いながら連携していくことで、よい方向に進んでいけるのではないかと思います。今、パラリンピックは社会との共生という意味でも認知をされているので、各組織それぞれも障がい者スポーツと社会との繋がりについて、皆さんに理解してもらえるよう伝えていくことが大事かと思います。

アスリートとボランティア(2014年SO日本夏季ナショナルゲーム・福岡)
写真提供:スペシャルオリンピックス日本

共に生き、共に働く仲間として

そういう流れの中で、障がい者アスリートの自立についてはどのような状況なのでしょうか?
障がい者アスリートの自立は、非常に難しい問題になっています。さまざまな関係団体が障がい者アスリートに対する支援活動をしていますが、独立してやっていけるアスリートはごく少数です。
これからは、特に企業の皆さんにも、障がい者スポーツをもっと応援していただきたいと思っています。決して特別に接していただく必要はなく、障がい者アスリートが、共に社会で生きていけるということを認め、応援していただきたい。
2020年東京オリンピック・パラリンピック以降もサポートを続けてもらい、障がい者の存在が普通のことで、共に生き、共に働いていく仲間であるという認識を企業の皆さんにもさらに理解してもらいたいです。パラリンピックがあるなしに関係なく、共生していく流れを作っていくことが大事だと思っています。 世界大会などの大きな大会があると、障がい者スポーツの存在が強く認識されるのですが、彼らは特別な存在でなく当たり前の存在だと、社会で認識されるよう、もっと日常的に感じてもらえるよう、根付かせていく取り組みが必要だと感じています。

最後に、こうして企業の皆さんにSOを知っていただく機会をいただきましたことを感謝いたします。
ありがとうございました。

(注)デフリンピック(Deaflympics)は、4年に1度世界規模で行われる聴覚障がい者のための総合スポーツ競技大会。
2017年には第23回夏季デフリンピック大会がトルコのサムスンで開催予定。

スペシャルオリンピックスとは?

知的障がいのある人たちに年間を通じて、オリンピック競技種目に準じたさまざまなスポーツトレーニングと競技の場を提供し、参加したアスリートが健康を増進し、勇気をふるい、喜びを感じ、家族や他のアスリートそして地域の人々と、才能や技能そして友情を分かち合う機会を継続的に提供する国際的なスポーツ組織です。
スペシャルオリンピックス日本

スペシャルオリンピックスの始まり

1962年に故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー夫人が、自宅の庭を開放して開いたデイ・キャンプがスペシャルオリンピックスの始まりでした。当時、知的障害があるために、まだ一度もプールで泳いだり、トラックを走ったり、バスケットボールをしたことがない人たちにスポーツを提供することがユニスの願いでした。実は彼女の姉ローズマリーには、知的障害がありました。1968年にジョセフ・P・ケネディ Jr.財団の支援によ り組織化され、「スペシャルオリンピックス」となり、全米から世界へと拡がり、現在は世界170ヶ国以上で約470万人の知的障がいのある人(アスリート)と100万人以上のボランティアが参加しています。日本では47都道府県で活動を展開し、約8,000人のアスリートが活動に参加しています。※2016年5月末時点

スペシャルオリンピックス日本の主な活動内容

(1)日常的なスポーツトレーニング
スペシャルオリンピックスの最も大切な活動は、各地で行われる日常的なスポーツトレーニング・プログラムです。アスリートたちはスポーツを楽しみ、チャレンジする勇気を身につけ達成する喜びを感じます。
(2)ナショナルゲーム(全国大会)の開催
スペシャルオリンピックス日本では、地域での日常的なスポーツトレーニングの成果を発表する場として、4年に1度、夏季・冬季のナショナルゲームを開催しています。大会・競技会は、日常のスポーツトレーニングとは全く違う環境で、アスリートが不安や緊張と戦いながら自分のできるようになったことのすべてを発揮するチャレンジの場です。
(3)世界大会への日本選手団派遣
スペシャルオリンピックス日本では、世界大会等に日本選手団を派遣しています。
世界大会では、他地区のアスリート、コーチと選手団として活動し、選手団の活動を通して競技性の向上だけでなく、より多くの人との出会い、生活面での自立などアスリートの社会性を広げ、新たな目標や次へのステップにつながる機会となっています。

スペシャルオリンピックス創設者
ユニス・ケネディ・シュライバーの想い

スペシャルオリンピックスの最大の目標は、アスリートたちのさまざまな能力を高めること、彼らに自信と勇気を持ってもらうこと、そして彼らの心と体を成長させることにあります。

▲創設者 ユニス・ケネディ・シュライバー 写真提供:スペシャルオリンピックス日本
『スペシャルオリンピックスで大切なものは最も強い体や目を見張らせるような記録ではない。
それは各個人のあらゆるハンディに負けない精神である。
この精神なくしては勝利のメダルは意味を失う。しかし、その気持ちがあれば決して敗北はない。』

創設者 ユニス・ケネディ・シュライバー
ホームページ:http://www.son.or.jp

2017.1掲載

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