ひろげよう人権|東京人権啓発企業連絡会

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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

若林秀樹:アムネスティと国際人権活動の取り組み

プロフィール

公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本事務局長
国連グローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワーク理事
若林 秀樹(わかばやし ひでき)

1954年生まれ、1976年 早稲田大学商学部卒業、1979年 ミシガン州立大学大学院農学部(林学科)修士課程修了。ヤマハ(株)に入社後、ヤマハ(株)労組副委員長、在米日本大使館経済班一等書記官、電機総研副所長、比例区選出の民主党参議院議員として「次の内閣」経済産業大臣等を歴任。米戦略国際問題研究所(CSIS)客員研究員などを経て現職。著書に『希望立国、ニッポン15の突破口(編著、日本評論社)』、『日米同盟:地球的安全保障強化のための日米協力(CSIS)』など
アムネスティ・インターナショナル日本
ホームページ:http://www.amnesty.or.jp/
ツイッター:若林秀樹@Amnesty_Japan

世界の人権・日本の人権

日本語の「人権」という言葉の響きは、人によって様々であるが、必ずしも肯定的に捉えられている訳ではない。むしろ自分自身にとっては縁遠く、人前で話題にすることさえ躊躇する人も多いのではないだろうか。

また日本では「人権」の意味する範囲が狭く、差別、イジメのように極めて限定的に使われている場合が多い。「ヒューマンライツ」は、日本語では「人権」と訳されるが、それは世界で捉えられている概念とは大きく違うものであり、そのことが世界とのコミュニケーションをはかる上で、むしろ障害になっているとさえ感じるのである。また後半で触れる「ビジネスと人権」においても、人権の捉え方の違いが、日本企業にとって人権問題に苦手意識を感じる要因にもなっていると思われる。 その理由はどこから来ているのであろうか。もともと福沢諭吉が明治初期にアメリカの独立宣言を訳した時は、「権利」を「権理」と訳していた。「Rights」は決して「権力」の「利益(Interests)」のことではなく、「政治社会において、当然そうあってしかるべき権能の理(ことわり)」(石田英敬東京大学大学院教授)なのである。もしこの訳が定着していれば、ヒューマンライツの日本語訳、「人権」はもっと肯定的に捉えられていたかもしれない。しかしいつの頃からか、政府は「権理」ではなく「権利」を使うようになり、その言葉が定着した。どうしても日本語の「権利」の「利」は利益、実利のように、エゴイスティックでネガティブなイメージがつきまとう。また日本では、学校においても「人権教育」が体系的に行われておらず、「人権」が政治と密接に関連し、狭くネガティブに捉えられるようになった。

日本国憲法における人権と世界人権宣言の酷似

「基本的人権」は憲法の重要な三原則の一つであり、その大切さは誰でも知っているところである。その日本国憲法に規定されている「人権」は、日本人が感じる言葉のイメージとは違い、かなり広範囲にわたっている。今日の国際人権条約の基盤とも言える、1948年に国連で採択された「世界人権宣言」の内容とも酷似している。その一部を対照表で見てみよう。
対照表(右図)のようにこの二つの人権文書が似ている理由は、策定された時期が同じであり、米国の影響を強く受けたからだと思っている。米国中心のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本国憲法の草案を作成した時期は、米国ルーズベルト大統領の妻、当時の国連人権委員会委員長のエレノア・ルーズベルトが中心になって、世界人権宣言を起草した時期とほぼ重なっている。エレノアは、人権活動家としても有名であり、夫である大統領にも人権をはじめリベラルな思想について大きな影響を与えたと言われている。

「ヒューマンライツ」は世界の共通言語

このように人権とは、「人間が人間らしく生きるための、幅広い普遍的な権利」である。人権は、差別やイジメだけではなく、生きる権利、表現の自由、教育を受ける権利、労働者が組合を結成し加入できる権利など、非常に幅広い権利規定の集合体なのである。

ヒューマンライツの訳語は、試験では「人権」が正解だとしても、その意味するところを違えて理解していれば、むしろ意思疎通をはかる上で国際的な障害となりかねない。今、日本人がグローバルに活躍するためには、語学力を身につけることが不可欠だとされているが、どんなに上手く英語をペラペラ話せても、国際社会の基盤である人権について正しい理解がなければ、真の国際人にはなり得ない。何のために社会や企業が存在するのか、人間が生きていく上で守るべき大切な権利であるヒューマンライツとは何なのか、その言葉の概念や歴史的背景などの「共通言語」を身につけていなければ、国内外のビジネスで思わぬ落とし穴に落ちかねない。

国際人権NGOアムネスティの取り組み

有刺鉄線は「自由を奪われた人びと」を、そして、ロウソクは暗闇を照らす「希望」を表現しており、「暗闇を呪うより、1本のロウソクをともそう」という中国の格言からイメージしたものといわれています。  このロゴマークには、「どんなに解決が困難に思える人権侵害を目の前にしても、私たち一人ひとりが希望を抱き、行動し続ければ、状況を打ち破ることができる」というメッセージが込められています。

NGOとして初めてノーベル平和賞を受賞

アムネスティ・インターナショナル(以降アムネスティ)は、世界人権宣言が生まれて13年経った1961年5月にロンドンで発足した。当時、軍事政権下にあったポルトガルで「自由のために乾杯」と言った学生が禁固刑を受け、そのことを知った弁護士、ピーター・ベネンソンが「忘れられた囚人」を救おうと新聞に投稿した。これが国際的な共感を呼び、アムネスティの発足の契機となり、一挙に欧米に広がった。日本では遅れること9年、1970年4月、日本支部設立準備会が立ち上がり、同年11月に支部資格が認められ発足した。本年、アムネスティ日本支部は、創立45周年を迎える。

アムネスティが目指すのは、世界人権宣言等でうたわれている人権を誰もが享受でき、人間らしく生きることのできる世界の実現である。発足当時は「良心の囚人(非暴力で、思想、宗教、人種等を理由に投獄されている人)」の釈放、拷問や死刑の廃止運動に力を入れ、今では難民・移民、武器の移転規制、こども兵士や児童労働、紛争等に伴う危機対応、女性への暴力、性と生殖に関する権利、そしてビジネスと人権など活動の幅を広げてきた。またNGOとしては初めて、1977年にノーベル平和賞を受賞、今では世界で300万人以上の会員やサポーターを抱える世界最大の人権団体に成長した。

アムネスティのボランティアによる伝統的な活動は、手紙書きだ。例えば、政府当局に公平な裁判や「良心の囚人」の釈放を求め、一方で囚われの身となった人に励ましの手紙を書いてきた。有名なところでは、後に南アフリカの大統領となったネルソン・マンデラさんや、ビルマ(ミャンマー)のアウンサンスーチーさんの釈放に取り組んだ。日本では、例えば死刑囚となった袴田巌さんの再審に向け、1980年代初頭から世界中で取り組んだ。昨年3月27日、静岡地裁は袴田事件の再審開始を決定し、同日、袴田巌さんは48年ぶりに釈放された。釈放後、拘置所から袴田さんの自宅に送られた段ボール11箱の中で6箱がアムネスティ会員から励ましの手紙だったという。

最近の国際キャンペーンをご紹介しよう。シリアは、2011年の政府と反政府勢力の武力衝突から4年が経ち、今では家を離れた国内避難民が760万人、国外に逃れた難民が400万人を超え、人口の半分の人びとが避難を余儀なくされている。しかし逃れる先は、エジプト、イラク、ヨルダン、レバノン、トルコの5カ国に集中し、世界各国で受け入れを増やさなければ、近隣諸国は破たん寸前だ。そこでアムネスティは、世界中でシリア難民の受け入れが進むよう、国際キャンペーンを開始した。

日本では、2011年から2013年にかけてシリアの人が行った難民申請は52件あった。人道的な観点からの滞在を許可された人はいるが、難民として認定された人は一人もいない。日本全体でも、2013年に新たに難民申請をした人は3260人だが、難民として認定されたのはわずか6人のみで、先進国と比べ、難民認定率は極めて低い状況だ。キャンペーンの詳細は、アムネスティ日本のホームページをご覧いただきたい。

ビジネスと人権の取り組み

経済のグローバル化が進み、企業活動が人権や環境に与える影響が増大してきた。今年に入って記憶に新しいところでは、香港にあるNGOが日本の大手衣料品メーカーの取引先である中国工場での人権侵害を告発し、メディアで大きく取り上げられた。この工場は、同社の自社工場ではなく、資本関係もない。しかし取引先の低賃金と長時間労働、危険性が高い作業環境などの労働問題は、発注元に対しても厳しく責任が問われる時代になったのである。NGOは、同社を訪れ、労働環境の改善を申し入れた。企業にとっても、人権侵害は企業イメージを低下させ、不買運動、訴訟、取引の停止、資本の引き上げなど、企業の死活問題にもなり得る、大変なリスクなのである。

「ビジネスと人権」の問題は、今に始まったことではないが、大きな転換をもたらした事件は、1994年、ナイジェリアで、海外の大手石油会社の石油採掘事業に反対する市民運動を行っていたリーダーらが投獄、処刑された事件だ。政府は石油産業からの収入に依存しており、同社は、この不法な逮捕に対して政府に大きな影響力を持っていたにも関わらず、何ら行動を取らず、厳しい国際的な批判を浴びた。

同社は、長年の採掘で原油の流出や廃棄物の投棄により環境を破壊し、漁業や農業から収入を断たれた住民は、貧困、環境汚染などに苦しんだ。国連開発計画(UNDP)は、1976年~2001年だけで、原油流出が6800回以上発生したとの報告書を発表した。アムネスティも、この「ナイジャーデルタ」(ニジェール川流域で引きおこされた環境破壊)を国際的なキャンペーンとして長年取り組んだ。2015年1月、2008年の流出事故だけで約100億円の賠償金を払うことで合意したが、破壊された環境と生活は元に戻らない。

2020年東京オリンピックに向けて

日本は2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されることになり、今から建設関係などの労働者の不足が予想されている。政府は、「外国人技能研修制度」を中心に労働者の受け入れに必要な規制緩和を計画している。しかしこの制度では、これまでも労働法令が守られず、規定賃金の未払い、パスポート取り上げ等の人権侵害事例が起きている。

移住労働者の問題は中東でも深刻だ。例えばカタールでは、労働力の9割が移住労働者であり、その多くは南アジア出身だ。今、2022年のサッカーワールドカップに向けたインフラ整備やスタジアム建設のために、さらにその数が増えている。しかし外国人労働者は労働法の適用除外になっており、組合の結成や加入も禁じられている。写真の労働者は、ネパールからの移住労働者であり、2011年6月、労働災害で左足に重度の障害が残ったが、補償を受けることもできず法廷で争っていた。アムネスティは、この移住労働者の問題にも取り組み、政府に改善を求めてきた。2013年7月にようやくこの労働者は、補償を受けることができて帰国したのである。

世界には、2020年東京オリンピックに向け、虎視眈々と日本企業を狙っているNGOがある。対象は、必ずしもひどい人権侵害を起こしている企業とは限らない。もし業界のリーディング企業であれば、メディアにも取り上げられ、社会におけるインパクトも大きい。そのことが最終的に取引先や他の産業にも波及し、より大きな成果が得られるとNGOは考えるであろう。

今、資本主義のあり方が根本的に問い直されている。目先の利益中心、市場原理のみで動く時代は終わった。企業は、持続可能な社会の発展のために、社会を構成する一員として、その責任を果たすことが求められている。もし人権問題など社会的課題にしっかりと対応しなければ、市場から撤退を余儀なくされる時代になったのだ。まさに未来に向けた新次元のビジネスモデルの創造が求められており、社会的課題への対応がコストや品質と同時に新たな「責任ある企業競争力」の強化につながることは間違いない。
アムネスティ・インターナショナルの日本支部として、世界各地の人権問題の解決に向けた日本の人びとの参画促進、日本における人権意識の喚起などを図っています。

理事長   庄司 香
創 立   1970年4月
事務局長  若林 秀樹
会員・サポーター数:7,776名(2015年2月末現在)
アムネスティ・インターナショナル日本は、企業の人権問題の分野でも、講演、ワークショップ等の人権教育や、ステークホルダーダイアローグ等でお手伝いさせていただいています。

■お問い合わせ info@amnesty.or.jp (担当:土井陽子)

2015.10掲載

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