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有識者から当会広報誌「明日へ」に寄稿していただいた記事の転載です

冨手淳:三陸鉄道 東日本大震災からの復興(最終回)

プロフィール

三陸鉄道株式会社 旅客サービス部長
冨手 淳(とみて あつし)

1983年3月 神奈川大学卒業
1983年7月 三陸鉄道株式会社入社、総務課勤務のあと車掌、運転士、指令主任など
1997年1月 業務部営業課へ
2010年4月 旅客サービス部長(現職)

復旧へ

おおまかな被害状況が確認され、その結果、社長より指示が出た。被害が少なく運転可能な区間から運転を再開していくというものである。そして、被害状況の詳細な調査は運転再開を優先する区間から進めるというものだった。震災の状況から現場からは異論がでたが、社長からの指示は変わらなかった。まず、久慈―陸中野田間から運転再開することになった。そして家族や家が被害を受けた者は落ち着いてから出社するようにとの指示が出た。3月16日に久慈―陸中野田間が運転を再開した。余震が続いていることから最高速度は20km/hに抑えられた。運賃は無料で震災復興支援列車とした。3月20日に宮古―田老間、3月29日には田老―小本[おもと]間で運転を再開した。自力での復旧はここまでであった。運転再開をしていることが伝わると支援がどんどん届くようになった。企業や個人からも続々、支援が寄せられた。マスコミでも盛んに報道されるようになった。社長は政府関係や県への支援の依頼を精力的に行っていた。また、各方面からの視察も相次いだ。 現実には、復旧費のほかに会社を存続できるのかというのも問題であった。被災した区間のレールを復興祈願レールとして加工して販売、不通区間の乗車券を支援の一環として購入していただく、ヘッドマークオーナーとしヘッドマークを広告として車両に取り付け販売するなどの増収策をすすめた。1/3の区間の運転で利用客も少なく運賃収入が激減していたための施策であった。一部社員は、IGRいわて銀河鉄道で短期の移籍ということで受け入れしていただくなど人件費の抑制もおこなった。皆さまからのご支援が復旧までを支えていただいたと心から感謝している。それがなければ復旧する前に三陸鉄道は無かったとさえ言えたのである。そして、2011年秋に国から全面的な支援をいただけることが決まった。国が1/2を負担、残りを地元自治体負担とし、この自治体負担分も地方交付税でまかなうことで実質、国の全面支援となったのである。これで全面復旧の道が開けたのである。

復旧工事の経緯

震災直後から復旧に向けた計画を検討、鉄道・運輸機構に支援要請を行っていた。そして、第1次復旧とし田野畑―陸中野田間、第2次復旧として盛―吉浜間、第3次復旧として残りの小本―田野畑間、吉浜―釜石間と進めていく計画をまとめ7月の株主総会で了承を得た。もともと津波を想定しているルートであることからルートの変更は行わず、築堤の強化などで復旧していくことになる。ルート変更となると工事期間も3年では済まず、いつ復旧できるかなど予想がつかなくなるのである。しかし国からの復旧工事費の支援がなければ着手できるものではなかった。それが、国からの支援の見通しがたった。これにより11月3日に復旧工事の起工式を実施することができたのである。

第1次復旧区間工事の田野畑―陸中野田間については被害があったのは野田玉川―陸中野田間の2kmであり基本的には軌道を敷設し直すもので、ほぼ半年で工事が完了し2012年4月1日に予定通り運転再開となった。第2次復旧工事は南リアス線盛―吉浜間。工事は順調であったが津波で浸水し使用不能となった車両の代替が必要であった。そんな時クウェートから原油が日本政府に復興支援で送られてきた。これを換金のうえ日本赤十字をとおし被災3県に配分された。このうちの一部(「一部」なのである)を使って三陸鉄道の車両8両を購入することが決まった。まず3両(36‐700形一般車)が2013年4月の南リアス線の運転再開にあわせて投入された。残り5両は2014年3月に納入された。南リアス線に新レトロ調車両が1両、北リアス線にはお座敷車1両と36‐700形一般車3両が投入された。

第3次復旧工事区間の工事では北リアス線の島越駅周辺復旧は高架橋ではなく築堤となった。駅は久慈方の第1島越トンネル手前に移動し避難路に近くした。駅観光センターは運転再開には間に合わなかったが7月27日に仮オープンし夏の観光シーズンに間に合わせた。駅前はまだ工事中であるが完成すると道路にはスロープでつながり、震災前は長い階段で高齢者などには不便であったものを改善する。竣工は2015年になる見込み。

南リアス線では釜石駅手前の大渡川橋梁、吉浜―唐丹間の荒川橋梁の復旧工事が中心となった。3年で復旧できたのは復旧決定が早かったことがあげられる。少し遅れたらおそらく予定通りにいかなかった可能性が大きい。現在、復興事業は工事費用の高騰、資材の不足、作業員の不足で遅れが出始めているところがでてきている。工事費用も108億円を予定していたが、いろいろな協力のおかげで、91億円となった。早い着手で復旧工事費がアップせずに済む結果ともなった。

全線運転再開後の課題

4月6日に全線運転再開となったが、このあとが課題山積である。

観光客やファンの乗車で震災前を上回る乗車人員であるが、地元利用が低迷している。

特に定期利用が震災前を大きく下回っているのが気がかりなところである。このため沿線外からの交流人口拡大をすすめていかなければならない。震災直後から被災地フロントライン研修をスタートさせ被災地視察の案内を行っているほか、現在、震災学習列車が好評である。観光客の誘致も新車両を売り込むほかJR東日本との連携で8月には期間限定により盛岡―宮古―久慈で山田線・北リアス線直通列車を運転する。

それだけではなく地域利用の促進のため駅中心の町づくりを要請、小本駅は建て替えのうえ地域の中心施設になる予定である。島越、陸前赤崎駅は移設しバリアフリー化と安全対策強化を図った。全線運転再開後の三陸鉄道に是非、いらしていただき復興しつつある三陸の現状を見ていただければと思っている。
三陸鉄道 東日本大震災からの復興(その1)
・三陸鉄道 東日本大震災からの復興(最終回)

2015.6掲載

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