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塩見 鮮一郎 「東京の同和問題と浅草弾左衛門」 (その9)

解放令の意図

挿絵  明治維新を迎えたのちにも、弾左衛門は相変わらず穢多頭として存在出来ました。つまり新しく入ってきた官軍にとっても、やはり死へのケガレ観というのは根強くあったと思います。当時の江戸は、百万近かった人口が約半分になりました。旗本が去り、武士という階級がなくなり想像を絶する衝撃であったと思われます。塵一つないほどきれいだと言われた江戸の町は荒れ果て、治安も乱れ、犬や猫の死体がお堀に浮いたままの見るも無残な姿に変わってしまったのです。弾左衛門をそのままの処遇にした理由は、多分そうした死体の処理という清掃に使おうとしたからではないかと思われます。ですから弾左衛門は、東京府の一員として雇われ、新政府との間で蜜月のような時期がしばらく続きます。そこで彼は、改めて東京府に対して身分引き上げの要求を始めます。しかし、いろんなことがあって解放令がだされることになりますが、こちらは弾左衛門が考えていたものとはまったく違うものでした。解放令は全ての賤民身分をいっぺんになくしてしまったというラジカルなものでした。彼は、一挙でなく順番にしかも自分の裁量で賤民を平民に引き上げていくことを望んでいたのです。解放令を主導的に実行に移したのは大久保利通であったろうと推察しています。大久保利通の狙いは江戸幕府がつくった土地の永代売買禁止令等を廃止し、土地の私的所有を認めて自由売買を実現することであったと思います。そのためには賤民身分の人達が持っていた土地の免税措置を取り払う、その上で全ての土地に対して課税できるようにすること、そこを売買できるようにすることを考えたのではないかと思います。

挿絵  どこにいって住もうが、どこでどんな仕事につこうが勝手であるというのが解放令の意味です。この時点で制度としての賤民は日本にはいなくなりました。その瞬間から、彼らは人間になったのだと思います。解放令や五カ条の誓文等々、またあの当時福沢諭吉が言っていたセリフからも明治維新は人間主義の時代に入ったということです。つまり人間として扱われていなかった人々が人間として認められる。人間になったとたんに、そういう人間がいたのかという意識が芽生えて、近代の差別というものが始まるわけです。

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