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クローズアップ

辻井 いつ子
「今日の風、なに色?」〜息子・辻井伸行と歩んだ道のり〜
(その2)

音楽への反応がどんどん豊かに

 生後8カ月のとき、伸行の音楽への特別な反応に気づきます。彼は『英雄ポロネーズ』の音楽を聴くと、手足をバタバタさせてとても喜んでいたので、毎日のようにCDをかけていました。しかし、あまりに毎日聴きすぎたため、とうとうCDの表面にキズがついてしまいました。そこで新しい『英雄ポロネーズ』のCDを買って再びかけても、伸行の機嫌が直らないのです。「あんなに喜んでいたのに、どうしてだろう」「もう一度、喜ぶ顔が見たい」と思い、以前のCDとよく見比べてみると、ピアニストが違っていたのです。急いで前のCDの演奏者・ブーニンが弾く『英雄ポロネーズ』のCDを買って聴かせると、伸行はすぐに上機嫌に! 手足をバタバタさせて反応するのです。全身で喜びを表現しています。そのとき、この子は私たち以上の耳をもっている。音楽に敏感なんだ、と気づきました。
思い出の白いピアノと一緒に
▲思い出の白いピアノと一緒に。私の歌に合わせてジングルベルを弾いた!
 それからというもの伸行の音楽への反応は明らかに豊かになっていきます。私をさらに驚かせたのは、伸行が2歳3カ月のとき、クリスマス・イヴの出来事でした。伸行が生まれてから12歳までをまとめた著書『今日の風、なに色?』(アスコム刊)には、こう綴っています。
<今年は楽しいクリスマスになりそうだと、私自身、いつもよりウキウキした気持ちではりきって料理をしていたのです。
 するとどこからか、私の口ずさむメロディーに合わせてピアノの音が響いてきました。一瞬空耳かと思いました。けれど耳を澄ますと、はっきりと私が口ずさんでいる『ジングルベル』のメロディーの伴奏になっています。しかもその音は、ふすまを隔てた隣の部屋から聞こえてくるのです。
——伸行だわ。伸行がピアノを弾いている。しっかりとしたメロディーラインで!
 思わず私は、料理の手を止めて伸行の部屋に駆け込みました。
 目の前には、カワイの白いおもちゃのピアノがありました。その前に座って、伸行が両手の10本の指を開いて鍵盤を叩いているではありませんか。それまでは、ピアノが好きとはいってもただやみくもに鍵盤を叩いていただけだったのに。伸行が奏でる音がはっきりとメロディーラインを描いています。
 まだおむつも取れない伸行がピアノを弾いている。しかも私の歌声に合わせてキーを取って??。
 その時の私には、無邪気にピアノを弾き続ける伸行の後ろから、柔らかい光が差し込んでいるようにも思えました。それまで新米の母親として何ひとつ子育てに自信がなく、すべてを手探りで、つまずきながら進んできた道の前方に、かすかな灯りが見えたようにも思えたのです。

何か1つだけこの子が自信を持てれば

 でもこの時点では、息子を音楽家にしようなどと、そんな大それた気持ちは一切ありませんでした。親としての願いは、「この子がこの子らしく生きていけるものがほしい」「何か1つ、この子が自信をもてるものがあれば」「生きる希望や喜びを感じてほしい」というものでした。それが伸行にとって音楽でしたので、私は、精一杯彼を応援していこうと思いました。
 私は伸行を育てるにあたって、「障害者らしく」育てるのではなく「伸行らしく」育てることを第一に考えてきました。福沢さんからいただいた言葉のように、海へ、山へ、自然のなかへせっせと連れ出します。
 「ピアノを弾くのだから、指をケガしたら大変」という心配する声がありましたが、遠足や登山などの学校行事も積極的に参加させました。伸行は、たくさんの自然に触れることで、枯れ葉を踏むと音がする、風が吹くと葉っぱが鳴る、鳥がさえずる、小川の冷たい水を飲む、風がささやく……など、それらを身体一杯に感じていたようです。

小さい頃から水泳が大好き
▲小さい頃から水泳が大好き。ピアノ以外にもたくさん経験させた
小学校の修学旅行で海へ。大海原の広大さを波の音で確かめる
▲小学校の修学旅行で海へ。大海原の広大さを波の音で確かめる

『今日の風、なに色?』
▲伸行0歳〜12歳までの物語
 そして私は、伸行がやりたい、ということはできる限り積極的にやらせました。水泳やスキーなど、彼が興味を持ったことは、「あなたにはできない」「まだ早すぎる」とは決して言わず、すべて望み通りに経験させました。ヴァン・クライバーン優勝後も、アメリカでのコンサートの合間に、初めての乗馬を楽しんでいました。
 やりたいことにストップをかけない、そして、大自然などの本物に触れさせることが、結果的に音楽の幅を広げることにつながっていたようです。
 伸行が小さい頃、こんなことがありました。色を理解させるために、「りんごの赤」「バナナの黄色」などと教えていたとき、伸行は「じゃ、今日の風はなに色?」と聞いてきたのです。大好きな食べ物に色があるなら、同じく大好きな風に色があっても不思議はありません。思えば、音色という言葉があるように音にも色があります。ですから、風にも色があってもいいわけで、それは伸行にとってはごく自然なことだったのです。そんな伸行らしさを大切にしたいと思い、私の1冊目の本『今日の風、なに色?』のタイトルにしました。

次回に続く

  • 聴衆との幸せの好循環
  • 明るく、たのしく、あきらめない

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