大阪ボランティア協会事務局長 早瀬 昇

  プロフィール

1955年 大阪に生まれる。
1973年 「大阪交通遺児を励ます会」の活動に参加。
1991年 現職の大阪ボランティア協会事務局長に就任。
1995年 阪神・淡路大震災時に、全国の市民団体と連携し「被災地の人々を応援する市民の会」を結成。
現 在 大阪大学人間科学部 客員助教授、大阪ボランティア協会の他に多くの社会福祉・ボランティア団体にて指導的立場で活動を展開。
著 書 「元気印ボランティア入門」/ボランティアと人権1問1答」/「ボランティア白書2001」等多数。

ボランティアは出家?

 実は私には、こんな原体験があります。大学では電子工学という先端技術を学びながら大阪ボランティア協会という草の根の市民団体で働き始めた私の生き方を私の父親はまったく理解してくれませんでした。私と顔を会わせるたびに「自分のこともできないくせに、なんでお前がそんな仕事をするんや。心配する親の気持ちも考えろ」などと怒ってばかり。そんな父親に、ある日、たまりかねた母親が諭しました。
「お父さん、あきらめましょうよ。お地蔵さんになったと思って…」。  真顔でそう言った母親に、私は唖然としてしまいました。「いくらなんでも、お地蔵さんはないだろう!」と思いましたが、母親からすれば、私が「出家」したものとでも考えたようです。
 しかし、これが笑い話で終わらないのが現実ではないかと思います。というのもボランティア活動のイメージには、ある種の「暗さ」が付きまといがちだからです。無償の活動、禁欲、滅私奉公…。他者の幸せのために自らを犠牲にする奇特な活動。そんなイメージを抱いている人も少なくありません。
 ボランティア活動がこうしたイメージでとらえられるのには理由があります。公共的な活動だということで、行政のイメージがダブるのです。
 行政の取り組みは、それが一つの制度となるわけですから、長期的に継続できるものとなるよう慎重に吟味されます。様々な立場の人たちの意見を聞き、どこからも批判のでないプログラムとなるよう努めなければなりません。もちろん、その効果は公平・平等に配分され、特定の対象に有利に働いてはならない…。
 しかし、このような形で活動を進めるのは、実に窮屈なことです。「思いつき」は許されない。独創的な発想は危険だ。そして、好みや関心などの自らの気持ちを抑え全体に奉仕する姿勢が求められる。このような「心構え」が求められ、その上、無償の活動だとなると、「お地蔵さん」扱いも当然だと言えましょう。
 しかし、実はボランティア活動には以上のような「心構え」は必要ありません。行政の取り組み方とボランティア活動のそれは、随分違うものだからです。
ボランティア活動では、ちょっとした出会いや気付き、こだわりや思いつきから活動が始まることが少なくありません。最初は、単なる好奇心である場合さえあります。当然、続けることが「前提」にないこともあります。たとえばボランティア講座を ”試しに“受講してみる。意外に楽しそうだ。そのうちに、職場、近隣以外の仲間ができる。一緒に何かしたいね…。そんな出会いの広がりと深まりの中から、次第に活動が自分にとって掛け替えのないものになっていく。
 実は熱心なボランティアの中には、こんな経過をたどって活動に打ち込むようになった人たちも少なくありません。「最初に周到に計画をねり、その遂行をノルマとして自らに課す」という世界とはかなり違います。感動、怒り、充実感…。そうした思いが重なり合って活動は進められていきます。
 不幸にして(?)、そうした感動や充実感を得られなかった場合、意欲が減退し活動のペースを落としていく人もいます。それはそれで仕方ない。というのも、ボランティア活動が自発的な活動である以上、それは”しなければならない“活動ではないからです。自発的ということは、言われなくてもすることですが、逆にいえば言われても(自分が納得できなかったら)しないことです。元来、活動を休みたくなったら、休んでも良い活動なのです。
 しかも、この活動は他人の意見に支配されず自由に取り組めます。活動に伴う負担を引き受けるなら、公序良俗に反しない限り、何をしても良いのです。逆に言えば自分のこだわりを核にできなければ、活動は一挙に停滞してしまいます。
 もちろんその結果への責任は、他ならぬ自分自身が負わねばなりません。しかし、たった一人の「戦い」ではありません。ボランティア活動は、夢や願いを共有する様々な仲間と出会える活動でもあります。「共感という連結器」の威力は絶大です。職場や地域、年齢や時には国籍の違いを超えた仲間を得ることができることも少なくありません。

 
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美杉村社会福祉協議会
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ちよだボランティアセンター「いちえ会」