『インターネットと人権』(その2)
東京大学社会情報研究所教授 浜田 純一

         

3.ネットワークのリスク
(1)人格権の侵害
 しかし、こうしたネットワークの大きな利点の反面で、それがもたらしうるリスク、とりわけ人権侵害の問題についても、十分に意識しておかなければなりません。そうしたリスクを示す一例として、新聞などでも話題になったパソコン通信における名誉棄損事件を取り上げておきましょう。

 この事件は、あるパソコン通信サービスのフォーラム(電子会議室」への書き込みをめぐって、事実無根の中傷で名誉を傷つけられたと主張する女性会員が、損害賠償を求めて裁判所に訴えたものです。この訴えについて、1997年に出された東京地裁の判決は、名誉毀損的な発言の書き込みをした会員に賠償責任を認めただけでなく、このサービスを運営するプロバイダーと電子会議室の管理者についても、そうした発言の書き込みを「具体的に知ったと認められる場合には、必要な措置をとるべき条理上の作為義務があった」と判断した点で注目されました。

 それと同時に、この事件では、ネットワーク上の表現に伴う典型的な問題が数多く現れていることを見逃せません。たとえば、ネットワーク上の表現が匿名でなされたために、被害者の側から加害者の特定が困難であったこと、匿名性と仮想空間での表現という特性のゆえに、感情的で節度を欠く言論が行われたと見られること、などです。また、当然ながら、ネットワークの特質から、問題のある表現が、瞬時に全国の多くの人々に知れわたる状況が作り出されたことも、指摘しておかなければなりません。

 ここで見られるように、ネットワーク上の表現であるがゆえに、その問題点が拡大されるという状況は、パソコン通信やインターネットが社会にもたらしうるリスクの大きさと深刻さを、如実に示しています。ここで取り上げた名誉毀損的な表現だけでなく、たとえば、個人のプライバシーに関する情報も、それがネットワークを通じて流布される場合には、きわめて重大な被害を生み出すことになります。これまでは、プライバシー侵害といえばもっぱら新聞・雑誌・本といった、マス・メディアによってなされるのが、一般的でした。かりに、個人が悪意で人のプライバシーを社会に広めようとしても、用いることのできる手段は、口頭やビラ程度の、流通力のきわめて限られたものでした。しかし、インターネットという手段が普及すると、単なる一個人であっても、ひそかに、強力な表現手段を行使することが可能になります。

 こうした事情は、被差別部落などに対する差別表現の問題にも、あてはまります。差別表現は、しばしば悪意や安易な意識によってなされることが多いことから、匿名性や表現の容易さを特徴とするネットワークは、そうした表現感覚を助長しがちであり、その強力な伝播力とあいまって、差別表現の問題に新しい局面を生み出している、と評価すべきであるように思います。実際、パケット通信やパソコン通信、あるいはインターネットを利用した、きわめて悪質な差別表現事例が、最近数多く報告されています。とりわけ、被差別部落の所在地域に関する情報のネットワーク上での流布などは、新たな犯罪類型の設定も考慮せざるをえないほどに深刻なものであって、ネットワークがもちうる人権に対するリスクの大きさが示されています。

4.ネットワークのリスク
(2)犯罪への利用
 上にあげた事例にも示されているように、コンピュータ・ネットワークは、匿名で、また迅速なコミュニケーションが可能なメディアです。この特性が、犯罪の手段としての有用性を高めている側面があることは、否定できません。

 その典型的な問題の一つは、わいせつ表現物の陳列・販売頒布の問題です。また、わいせつにまでは至らなくても、とくに学校教育などでインターネットは青少年にも広く利用されるようになってきていますから、青少年保護の見地からも、ネットワーク上の性表現への対応を考えておかなければなりません。この点を考慮して、昨年、風俗営業等規制法の改正が行われ、ネットワーク上での性表現物の流通に対する規制が新たに設けられました。

 こうした問題をめぐっては、刑法によるわいせつ表現物の規制は、あくまで印刷物やビデオなど、「有体物」の存在を前提にしており、デジタル・データの形での表現物は取り締まれないのではないか、という考え方もありました。ただ、現実問題としては、今日のコンピュータ社会でこの種の表現物を規制の外に置くことは、刑法のわいせつ表現規制を撤廃するのとほとんど同様の効果をもつことになるでしょう。裁判所の判決は、いずれも、デジタル・データであるわいせつ表現物に対しても、規制を認めています。

 最近、新しく、児童ポルノに対する規制立法がなされたことも、この問題に関係しています。この種の表現物は、今日、ネットワーク上で流通・取引されることが多いからです。それだけでなく、さまざまな犯罪行為一般について、ネットワークが悪用される事例が増加していつることが、最近の大きな特徴です。たとえば、毒劇物や薬物等の販売・入手のためにパソコン通信やインターネットを利用するといった事例がそれであり、とくにバーチャル空間でのやりとりということで、罪悪感の低下ないし欠如の見られることも、少なくありません。

 このような事例も、広く人権の保護にかかわる問題であり、それらについても、他の手段によってなされる犯罪と同様の規制が及ぶことは、言うまでもありません。ただ、厄介なのは、そうした犯罪の予防ないし取締りの方法です。ネットワーク上では、しばしば、犯罪を犯した者を特定すること、また、犯罪行為にかかわる連絡等を適時にキャッチすることが困難な場合があります。実際、こうした場面では、「通信の秘密」という伝統的な憲法価値との慎重な調製が不可欠です。実務上は、この種の犯罪において、ネットワークの接続事業者に対する捜索や検証等もしばしば行われていますが、犯罪にかかわるデータが他の大多数の無関係なデータと混在してサーバの中に蔵置されているのが通例であるために、犯罪捜査には直接関係ないデータまでチェックされるのではないかという危惧が、当然にありえます。「通信の秘密」という観点からは、こうした場面での捜索・検証等の手法や、その濫用防止のための措置などについて、今後、一定のルール化が必要となるでしょう。最近議論を呼んでいる「通信傍受法案」の問題も、これに関連する事柄です。

5.「インターネットと人権」論の広がり
 コンピュータ・ネットワークと人権をめぐる問題は、これらだけにとどまりません。パソコン通信やインターネットの発展は、人間の社会がこれまで遭遇しなかったような新しい課題を、私たちに投げかけています。人々の日常生活がこれからますますネットワークに依存するようになる時代を迎えて、こうした諸課題をどのように解決できるかが、これからの人権論の根本的な課題であると言っても、言い過ぎではないでしょう。たとえば、ネットワーク上の取引の安全をめぐる問題にしてもそうです。これからの時代に、バーチャル・ショップ(仮想商店)のように、ネットワークが、日常生活のさまざまな物品やサービスの購入に広く利用されるようになるとき、ネットワークにおける本人確認やセキュリティの確保、紛争の際の処理のあり方などが重要な問題になってきます。これらがいかなる形で解決されるかは、実は、もっとも基本的な生活のレベルにおける人権の問題なのです。

 また、ネットワーク上で流通する個人データのプライバシー保護も、今後、きわめて深刻な問題となるでしょう。ホームページの閲覧やバーチャル・ショッピングなど、ネットワークの利用にともなうさまざまな個人記録がデータベースとして蓄積され、個人のプロファイリングに利用されるようになってきています。そうしたデータが蓄積され勝手に流用されるリスクに対していかなる防御措置を考えるかは、これからのネットワーク社会における人権を考える時に、基本的な課題の一つになります。

 このように、コンピュータ・ネットワークは、私たちの生活のあらゆる場面で、新しい問題を投げかけています。それは、別の言い方をすれば、パソコン通信やインターネットという、新しい情報手段をきっかけに、私たちの人権に対する意識が問い直されている、ということでもあります。インターネットと人権というと、何か新しい課題のようですが、ネットワーク上において人権がいかに保障されるかというのは、つまるところ、社会全般における人権意識の反映とならざるをえないのです。

 そして、個人だけでなく、企業も、こうした社会の仕組みや意識の大きな変化の直中に置かれています。企業は、ネットワーク社会の利便を享受できる一方で、プライバシーにかかわる個人情報の保護をはじめ、いっそう明確な人権意識をもってネットワークを利用していくことが求められるでしょう。また、個人・消費者がネットワーク上で強力な表現手段を手に入れることによって、企業の広報活動にも対抗できるような力をもちうる状況が生まれていることも見逃せません。ネットワーク上の取引における消費者保護のあり方なども大きな問題になってきていますが、企業と個人・消費者との関係全般が新たな時代を迎えつつあることを、十分に認識しておく必要があるでしょう。


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