いわゆる「3K」とカオス的状態

 とはいえ、これだけ見たのでは部落問題との関連はわかりにくい。事故や事

件が現代的であるし大規模なものだからだ。が、そこにいて右往左往する日本

人一人ひとりの姿を考えると、それはその一人ひとりの日本人の内面の問題、

発想の問題なのだ。つまりそこに日本人の精神世界が浮かびあがっているので

あるが、その精神世界は、一朝一夕に形成されるのではなく、日本の歴史に深

く関連している。

 が、歴史をふりかえる前に、もう少し小規模で身近なものを例にして考えて

みよう。日本の若者が「3K」の仕事を嫌がるというのは一つの社会的現象だ。

今では「4K」とも「5K」ともいわれる。「3K」とはよく知られているとおり

「きつい、汚い、危険」だ。日本の若者はこうした仕事につきたがらない。し

かし重要なのは、日本の若者が突然このようになったのではないことだ。その

社会的現象は、先行する大人たちの生活、その精神を反映しているということ

だ。ここに大きな問題がある。

 もちろんいうまでもないことであるが「きつい、汚い、危険」なものは、誰

もが避けたいし、嫌なものだ。これは人類の普遍的傾向といってよい。が、誰

にとっても避けたくて嫌なもの、あるいは事態に対して、どのように対応する

か、その仕方によってそれぞれの民族や国民性、あるいは個性がきまる。簡単

にいえば、避けたくて嫌いなものや事態でも、それを自分の責任として、ある

いは自分たち共通の責任として、その処理に積極的に立ち向かうか、嫌いだと

いって避けて、我知らずといった顔をするか、のどちらかだ。日本の若者は後

者のケースだ。そしてそこに歴史的背景がある。

 ここで例として取りあげた「3K」つまり「きつい、汚い、危険」というもの

をもう少し考えてみよう。「3K」を別の言葉でいうとカオス的状態を意味して

いるだろう。そしてこのカオスと人間の心理的葛藤というのは世界的な意味で

さまざまに研究され論述されている。先にいった「3K」は誰にとっても避けた

くて、嫌いなものということも、このような研究や論述の中から出た見解だ。

そしてそれへの対応や処置が様々な形で存在することもある程度わかっている。

例えばコペルニクスの地動説もカオスへの積極的な挑戦だった。あとで触れる

医学の発展、特に解剖医学の発展もカオスへの挑戦から生まれた。

 ところでカオスを日本語でいうとどうなるだろうか。日本語でカオス状態を

表すのは「穢」なのだ。ここで「穢」について細く論述するスペースの余裕は

ないが「穢」は主に、出血・病気・死・災害・災難・犯罪・不幸・不運などが

概念化された日本語だ。

 このように見てくると危機管理意識と部落問題の関連がだいぶはっきり見え

てくる。「3K」が「穢」の概念に包摂されることは誰にでもわかることだろう。

 日本人は歴史的にいって「穢」を避け、その処理を他人に任せたまま我関せ

ずといった顔をしてきた。たとえば自分の家族の死や家畜の怪我や死までをも、

自分で責任を取ろうとせず他人に任せ、その処理を直接行なった者を「穢に触

れた者」として自分たちの社会の構成員として認めずに排外し、差別してきた。

 それだけではない。自分たちの生活を脅かす犯罪者の追補までをも、危険な

ものとして、つまり「穢」として他人にまかせ、その追補者を排外し差別して

きたのである。このような歴史が今でも日本人の精神世界に反映し、それが若

者たちの「3K」から逃げる社会的現象を生み出していると考える。

 部落差別の歴史をそこまで結びつけることに抵抗感をもつ人がいるかも知れ

ない。たしかにそこまで結びつけると飛躍と感じさせる要素が現代日本にある。

しかし反面、部落差別そのものが現在もなお後を絶たず、陰険な形で、まさに

表面に流れる民主主義的な雰囲気にそぐわないことを知っていて、こっそりと、

目につかない形で行なわれていることは、何よりも有言にその結びつきを示す。


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