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レッツトライ

「同和問題」理解度チェック(その1)

解説編

問1.同和問題とは・・・? 正解:YES

 同和問題(部落問題)とは、封建時代の身分制度や歴史的、社会的に形成された人びとの意識に起因する差別が、現在もなおさまざまなかたちで現れている日本の社会構造に根ざす重大な差別問題です。人間は自分の意志で生まれるところを選ぶことができません。にもかかわらず、被差別部落の出身という理由でさまざまな差別を受け、基本的人権を侵害される事態が発生しています。これが部落差別の問題です。
<とうきょう広報1998>

問2.被差別部落の起源は・・・? 正解:YES

 被差別部落の起源については、従来、政治的起源説が定説とされてきましたが、今日ではその見直しがされています。
 国の同和対策審議会答申(1965年)は、「同和地区は、中世末期ないしは近世初期において、封建社会の政治的、経済的、社会的諸条件に規制せられ、一定地域に定着して居住することにより形成された集落である」と述べています。
 今日、研究者の間では、被差別部落の成立に当たっての権力の関与の程度や、制度化された時期、その背景にある民衆の間に見られた差別的習俗、身分意識、穢れ観などについての研究が進み、起源についての様々な角度からの議論がなされています。また、どのような人々が被差別身分に組み込まれたかについては、研究の途上でありますが、現在では中世末期の被差別民を含む様々な階層の人々の一部が組み込まれたものと考えられています。
<東京都教育委員会 「みんなの幸せをもとめて」、ほか>

問3.壬申戸籍は、身元調査に悪用された・・・? 正解:YES

 1871(明治4)年、太政官布告でいわゆる「解放令」が出されました。これにより賎民身分は、法律・制度のうえではなくなりました。しかし、それは単に蔑称を廃止し、身分と職業が平民なみにあつかわれることを宣言したにとどまるもので、被差別部落の人びとが実質的に差別と貧困から解放される政策を伴ったものではなかったのです。
 1872(明治5)年、わが国で最初の近代的な戸籍といわれる「壬申戸籍」がつくられました。この戸籍には、旧身分や職業、檀那寺、犯罪歴や病歴などのほか、家柄を示す族称欄が設けられ、中には「新平民」などと書かれているものもありました。戸籍法では、従前戸籍の公開が原則とされていたので、この「壬申戸籍」は、1968(昭和43)年に包装封印されて厳重に保管されるまで、他人の戸籍簿を閲覧したり、戸籍謄(抄)本を取るなど、結婚や就職の際の身元調査に悪用されました。
<とうきょう広報1998・明るい社会をめざして・戸籍うらがえ史考>

問4.政府は、「水平社運動」を積極的に支持した・・・? 正解:NO

 1922(大正11)年3月3日、被差別部落の人びとが、人間として平等と社会生活向上の自由を自らの手で獲得するために立ち上がり、全国水平社を結成しました。京都市の岡崎公会堂で創立大会が開催され、全国から約3,000人が集まり、綱領・宣言・決議を満場一致で採択しました。
<「企業と人権」ハンドブック>

 政府は、融和運動を推進し水平社運動を抑えていきました。1925(大正14)年に結成された中央融和事業協会が中央機関となって融和事業を進め、その後の世界恐慌(1929年)に際しては、部落産業の保護育成をはかる経済更正の面に主力を置くようになりました。
<人権ブックレット1 部落の歴史>

問5.「地域改善対策財政特別措置法」は、2002年3月末をもって終了し…同和問題は解決した? 正解:NO

 同和問題の解決に向けた同和対策事業の推進は、国および地方公共団体の責務とした「同和対策事業特別措置法」(1969年)とその後の同法の精神を継承する法律に基づき、30数年にわたって継続されました。その結果、生活環境の改善をはじめとする物的な基盤整備等が進みました。そして、様々な面で存在していた格差は大きく改善され、2002年3月特別措置法は失効し、特別対策としての同和行政は終了することになりました。
 しかし同和地区指定されなかった地区の問題や、就職や結婚に際しての差別や落書きなど、差別事件は後を絶たない状況があり、同和問題は解決したとはいえません。
 今後も行政による同和問題の解決に向けた取り組みが行われるとともに、同和問題に関わる差別意識の解消に向けた取り組みは、人権教育および人権啓発として実施されることになります。
<東京都教育委員会 「みんなの幸せをもとめて」、ほか>

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