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見聞

リアス・アーク美術館

山内 宏泰

リアス・アーク美術館 学芸係長
1971年 宮城県生まれ
1994年 リアス・アーク美術館学芸員
「平成15年度宮城県芸術選奨新人賞」(美術「彫刻」部門)
現 在:同館学芸係長、スローフード気仙沼理事、国立歴史民俗博物館共同研究員
著 書:「砂の城」近代文芸社/山内ヒロヤス ※明治三陸大津波を題材とした小説「東日本大震災の記録と津波の災害史」(リアス・アーク美術館常設展示図録)



リアス・アーク美術館概要

 リアス・アーク美術館は気仙沼市と南三陸町が管理運営する公立美術館です。開館は1994年10月。当館では東北・北海道を一つのエリアと捉え、現代美術を中心に調査研究、展覧会を催すとともに、同エリアの地域文化・歴史・民俗資料等を常設展示しています。また2013年4月より「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示を新設、公開しています。当館ではそれらの総合博物館的な事業をベースとしつつ、東北・北海道在住若手作家紹介シリーズ企画をはじめとする美術展等を、年間に10本ほど企画開催しています。

地域文化と震災・津波災害の関係

 当館学芸員は2011年3月12日から約2年間、気仙沼市、南三陸町における震災被害記録調査活動を行いました。その目的は①震災発生以前に当地域が築き上げてきたものの最後の姿を記録し、地域再生のために残しておくこと②津波がどのように襲来したのか、その記録を残しておくこと③なぜこのような事態に至ったのか、人間側の問題を明らかにすること。そして、これらの課題を記録・調査を基に解決していくことです。
 当館では津波災害を単に自然災害と捉えず、地域内部の文化的、社会的要因によって被害規模が変化する人災的災害と認識する必要性を説いています。
 三陸地方太平洋沿岸部では、近世以降、平均で約40年毎に大津波災害が発生しています。東日本大震災発生直後から人々は「想定外」「未曾有」という言葉を口にしましたが、過去の津波災害を例とすれば、大津波襲来は想定されているべきでした。そして、過去に同様の例が複数ある以上、未曾有という表現も適切ではありません。


▲明治三陸大津波の被害記録
廣田村では海中の遺体を捜索するために漁網を卸して曳いたところ、網には50人以上の遺体が掛かり、あまりの重さに曳き上げることができず、半分ずつにして陸に上げた。

▲東日本大震災を考えるためのキーワードパネル

 2011年、気仙沼市内で壊滅的津波浸水被害を受けた地区の多くは戦後の埋立地であり、高度経済成長期の開発と前後するように造られてきた街です。その場所で暮らす地域住民の多くは過去の大津波を知らず、自らが被災者となる可能性も認識できていませんでした。当地では大津波襲来を前提とする地域文化は育っておらず、その結果、被害規模の拡大、長期化を招いてしまいました。
 異常な現象を契機として発生する自然災害は、社会的要因から生じる「関連被害」によって長期化します。そしてそのような「長期的災い」は、被災した現在の社会からのみ生じるものではなく、その社会を築き上げてきた古い制度や習俗に起因する例が少なくありません。つまり「過去を変えない限り改善不能」とも思える歴史的、文化的影響が自然災害発生時の人災的側面を拡大しています。私たちが震災被災から学んだそのような視点を、当館ではより多くの「被災未経験者」に知っていただきたいと考えています。


◀炊飯器
2012.2.2気仙沼朝日町
平成元年ころに買った炊飯器なの。じいちゃん、ばあちゃん、わたし、お父さんと息子2人に娘1人の7人だもの。
だから8合炊き買ったの。そんでも足りないくらいでね。
今はね、お父さんと2人だけど、お盆とお正月は子供たち、孫連れて帰ってくるから、やっぱり8合炊きは必要なの。普段は2人分だけど、夜の分まで朝に6合、まとめて炊くの。
裏の竹やぶで炊飯器見つけて、フタ開けてみたら、真っ黒いヘドロが詰まってたの。それ捨てたらね、一緒に真っ白いごはんが出てきたのね・・・夜の分、残してたの・・・涙出たよ。

「東日本大震災の記録と津波の災害史」展示の趣旨

 災害関連記録資料展示における最重要テーマは、「人を動かすこと、未来に活かされること」です。ゆえに、当館では主観的感覚の共有を重視しています。
 本常設展示は、被災現場写真203点、被災物155点の記録、収集資料を核としています。それら資料を補足するように、東日本大震災を考えるためのキーワードパネル、災害史資料として1896(明治29)年、1933(昭和8)年の三陸大津波に関する資料、また1960(昭和35)年のチリ地震津波の資料、さらに、戦前、戦後の沿岸部埋め立てや開発に関する資料などを展開しており、資料総数は約500点に及びます。
 全ての被災現場写真には、被災者である学芸員がコメントを添え、被災現場を目の当たりにした者の生の声を主観も交えて伝えています。また、被災現場から収集した被災物は単に壊れた物体としてではなく、記憶の象徴として展示しています。
 津波被災現場に残された被災物は、不要なゴミ=ガレキではなく、被災者の家、家財であり、生活の記憶、人生の記憶、被災地域の文化的記憶を宿す大切なものです。当館では、被災物から一般所有率の高い日用品などを選択し、観覧者に相似の記憶が想定される普遍性の高い例え話を創作し補助資料として添えています。


◀タイル片
2012.3.30~4.20
気仙沼市・南三陸町各所 津波っつうの、みな持ってってしまうべぇ、んだがら何にも残んねえのっさ・・・
基礎しかねえし、どごが誰の家だが、さっぱり分かんねんだでば。
そんでも、玄関だの、風呂場だののタイルあるでしょ。あいづで分かんだね。
俺もさぁ、そんで分かったのよ。
手のひらくらいの欠片でも、家だがらねぇ。
残ったのそれだけだでば。

 この例え話は、被災者の証言および被災物の収集場所から導き出される地域性、時代性、民俗性などを基礎とし、被災によって失われた地域の日常がイメージされる物語としています。この試みは、観覧者が例え話を契機に想像力を働かせ、自分にとって掛け替えのないものや記憶を失う、という主観的知識の相似性を見出せるようにすることを目的とするものです。災害は誰の身にも等しく降りかかります。他人事ではなく当事者として災害と向き合い、想像力と危機意識をもって未来への備えをしていただけるよう、当館はこの展示を 今後も続けていきます。


被災現場

災害関連記録展示

未来に向かって・地球環境との共生を考える

 私たち人間はさまざまな資源を得る過程で、地球環境との共生関係を度外視し、自然に対し多くのダメージを与え続けてきました。そういった流れを断ち切り、自然との関係性を見直し、地球環境の一員として生きなければならないことを、私たちは震災経験から学んだはずです。しかし、その教訓は、現在の震災復旧、復興事業にどれほど反映されているでしょう。震災復興事業という名のもとに、新たな自然破壊、環境破壊が進められてはいないでしょうか。
 異常な現象である地震や津波も、私たちを生かす自然の一部であり、共生のイメージを持って付き合っていかなければならない〝環境″と言えます。私たちは「自然災害との戦い」という意識を捨て「地球環境と分け合う」生き方を学び、文化として定着させていく方法を考えなければなりません。
 「津波と戦う必要のないまちを創ること、津波と共存する文化を築き上げること」、それは東日本大震災をさまざまな立場で経験した私たちが自覚するべき「未来への責任」ではないでしょうか。


ホームページ www.riasark.com


2017.5掲載

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