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見聞

資料館探訪〜キャンパスに残る戦争遺跡(その1) 〜過去を知り、現在を見つめ、未来に生きる〜

 戦争は人権侵害の最たるものと言われています。年月とともに体験者が少なくなっていく中で、今生きている私たちが、残された歴史からその真実を感得し、未来へ継承していくことが大切ではないでしょうか。

 ここで紹介する「日吉台地下壕」と「登戸研究所」の戦争遺跡は、その特性から殆んど実態が知られていない施設でしたが、戦争の隠された側面を知る重要な語り部として、大学や地域住民、学生たちの活動によって掘り起こされ、公開されています。

◆ 日吉台地下壕

▲日吉台寄宿舎 1937年 上空から3寮を望む(保存の会パンフレットより転載) 東急東横線・日吉駅前に広がる慶應義塾大学日吉キャンパスの地下に長大な地下施設があることを、みなさんはご存知でしょうか?

 アジア太平洋戦争末期、海軍の中枢機関が日吉の街に移転を開始し、終戦までの約1年間に亘り、太平洋に広がる日本海軍の戦域に作戦命令を下していました。

 長い間忘れ去られていましたが、1989年に、保存のために大学関係者や地域住民が「日吉台地下壕保存の会」を立ち上げて以降、徐々に一般に知られるようになりました。

 1944年3月に海軍の「情報部」が、第一校舎(現高等学校)(配置図A)に入ったのをはじめに、戦況悪化により、海上の軍艦から指揮を取ることが難しくなった「連合艦隊司令部」が、9月に日吉台寄宿舎(配置図B)に移転することになりました。また、7月のサイパン島陥落で米爆撃機の東京往復が可能となり、本土空襲の危険性が高まったため、地下壕の建設が急ピッチで進められました。

 「連合艦隊司令部」の地下壕(配置図C)は、当時の土木の最高技術を駆使し、非常脱出口も兼ねる「耐弾式竪穴坑」や風速が毎秒1mになるよう設計するなど、自然換気も重視され、コンクリート40㎝の壁厚を持つ堅牢な地下壕が4か月後に完成しました。


▲連合艦隊司令部地下壕内部
▲耐弾式竪穴坑


 地下壕には10以上の部屋や倉庫があり、「電信室」「暗号室」「作戦室」には、当時では珍しかった蛍光灯が使用され、室内は昼間のような明るさだったとのことです。

▲連合艦隊司令部地下壕「通信室」(無線を傍受する通信員/想像図) 「電信室」には約30台の短波受信機が備えられ、200名を超える隊員が受信や暗号電文の解読に追われていました。「台湾沖航空戦」「レイテ沖海戦」など、さまざまな命令が出され、1945年4月6日には「戦艦大和」に対し、沖縄への海上特攻が命じられました。翌日、大和は空襲で沈没しますが、艦が傾いてゆく様子が刻々と入電され、電信員は涙ながらに受信していたとのことです。

 この他、「艦政本部地下壕」(配置図D)など、全長延べ5.0㎞が1945年8月15日の終戦の日までに完成しました。

 戦後、日吉キャンパス全域は、米軍(GHQ)に接収され、1949年にようやく大学側に返還されることになりました。

 この堅牢で安全ともいえる地下壕から発せられる特攻命令などにより、戦地で多くの尊い若者の命が失われてきたことを思うと、やりきれない気持ちで一杯になります。見学会を終え地上に出ると、地下壕の上にあるグランドでは、高校生が眩しい太陽の下で、元気一杯に白球を追いかけていました。地下壕は、愚かしい戦争を忘れずに次世代へ伝えて欲しいと無言で語っているようです。



一般公開されていませんが、慶應義塾の許可のもと、月1回、定例見学会が開催されています。

■定例見学会の申込み先
 日吉台地下壕保存の会
 TEL&FAX:045-562-0443 喜田
 ホームページ:http://hiyoshidai-chikagou.net/


2013.7掲載

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