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見聞

人権に尽くした人たち 住井すゑ 〜 人間平等の心を訴え続けた作家(その1)

住井すゑ
▲住井すゑ 差別する側、される側、その間にごうごうと横たわる広く、深い川。被差別部落を主題とした大河小説「橋のない川」をライフワークとした作家住井すゑは、生涯を通じて、その川に橋を架けようと訴え続けました。



◆ 被差別部落を真正面から描いた小説「橋のない川」

 物語は、奈良盆地の農村を背景に明治・大正期にかけて展開します。

 戦争で父を失った幼い2人の兄弟が、祖母と母の愛情に支えられ素直に育つ。しかし、被差別部落に生まれたため、理不尽な差別を受け、事あるごとに罵られ侮られる。2人は成長するに伴い差別の本質に気づき、人間平等への闘いに突き進んでいく。彼らの行動は差別をなくし、部落解放をするためのものであり、やがて運動の輪が広がり水平社結成につながっていく。原稿に着手して16年、第6部の出版で作品は一応の完成を見ます。しかし、さらに19年を要し第7部を刊行します。「橋のない川」は、これまでに発行部数800万部を超え、2度映画化されています。さらに、世界各地の言葉にも翻訳され、人間の命がいかに大事か、平等であるかを訴え続けています。

◆ 人権感覚を磨く 幼いころの体験

 住井すゑ(以下、「すゑ」と記載します)は、1902(明治35)年奈良県大和に生まれました。家は裕福な農家でした。農繁期には部落の人にも働いてもらいますが、そこで差別を目の当たりに見ます。部落の人が休憩中に飲んだ湯呑は、目の前でこわされてしまう。大人たちはこれが普通の礼儀作法と思っているが、すゑにとっては耐えられない苦しみだったといいます。

 9歳の時、幸徳秋水の大逆事件(※1)が起こります。「貧富の差別をなくし、天皇制を廃止しようとした悪人である」と、反逆者として批判する校長の訓示を聞きながら、逆にすゑは秋水の反戦・平等の思想に共鳴します。この時感じた強い疑念が心の中に溜まり続け、やがて部落の置かれた不合理な立場を小説のテーマの中心に置くことを決意します。なぜ、生まれながらに貴い、卑しいがあるのか。「人間の平等」を探求しつづけた作家としての原点がそこにありました。

◆ 上京、結婚、 「橋のない川」刊行

 すゑは、読書好きの兄の影響で少女の頃からたくさんの本に接するうちに、自分も未来を文学に託したいと思うようになっていきます。そして自立の道をめざし、小学校の代用教員として働き始めます。ある時、懸賞投稿の偽名疑惑問題が起こり、東京から真偽のほどを調査にきた博文館編集部員の犬田卯と運命的な出会いをします。

 その後、講談社が「婦人記者」の募集をしていることを知り親の反対を押し切り受験するために上京します。時にすゑ17歳。自立をめざす思いとともに、犬田への恋心がありました。すゑは、才能を見込まれ合格し編集部員として働きはじめ、すぐ頭角をあらわします。しかし、当時の賃金制度が男は月給制、女は日給制であることに不合理を感じ、社長に直談判しますが受け入れられず1年で退職してしまいます。

 その後本格的に執筆活動を始めた20歳の頃にすゑは、貧しき農民のために文学で闘いたいという夢を持つ犬田の考えに深く賛同し、結婚します。 牛久沼
▲牛久沼  1935年、夫の郷里である茨城県牛久村に引っ越し、夫の看護や4人の子の育児に追われながら、児童小説や農民文学を次々発表します。

 1957年、すゑは55歳になりました。この年最愛の夫を失いますが、いよいよ「橋のない川」を書き始めることを決意します。すゑは、故郷の被差別部落を訪ね歩き、家に泊まり土地の人の話に耳を傾け、物語の構想を膨らませていきました。

 先生の面前で公然と行われる仲間外し、部落以外の土地を通るたびに囃し立てられる子ども、貧苦に耐えながら懸命に働く大人、そして部落解放運動に身を投じ差別と闘う若者たち・・・「橋のない川」では、そうした被差別部落の暮らしと人びとの心情が細やかに描かれています。そして、1961年ついに「橋のない川」第1部が新潮社から刊行されました。


※1‥明治天皇の暗殺を計画したという理由で、多数の社会主義者、無政府主義者らが検挙・処刑された事件。
*参考文献‥「橋のない川」(住井すゑ著/新潮社)、「水平社宣言を読む」(住井すゑ・福田雅子著/解放出版社)、「橋のない川 住井すゑの生涯」(北条常久著/風濤社)、「住井すゑとその文学の里」(栗原功著/広報うしく)
*写真の掲載にあたって「住井すゑとその文学の里〜牛久沼のほとり〜」(栗原功著/広報うしく)より転載

次回に続く

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