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見聞

浅川 巧〜朝鮮を愛し、愛された日本人(最終回)

◆ 朝鮮の土となる

ソウル市立忘憂里墓地にある巧の墓
 ▲ソウル市立忘憂里墓地にある巧の墓  1931年2月から3月にかけて、養苗についての講演を朝鮮各地で行って帰宅した巧は、仕事の疲れからか風邪をこじらせていました。それでも、健康に自信のある巧は、無理をして勤めに出ますが、急性肺炎となり、27日から床に臥せます。高熱の中、『工芸』に載せる原稿を書きあげたり、葉書を書いたりしますが、4月2日の夕刻、周囲の願い虚しく、40歳の若さで急逝しました。意識が遠のく中で、「責任がある…」と繰り返し叫んだといわれています。
 葬儀は、激しい雨の中、巧の死を惜しむ大勢の朝鮮の人たちに見守られながら行われました。真っ白な朝鮮の服を着た巧は、重さ150キロもあったという二重の棺に納められ、里門里の共同墓地に朝鮮式に埋葬されました。このとき、「棺を担がせて欲しい」と申し出る朝鮮の人たちが多すぎて応じられない程でした。
 誰よりも朝鮮の人々を愛し、愛された巧の人間としての生き方は、多くの人に語り継がれています。1942年、巧の墓はソウル郊外の忘憂里に移されましたが、今も彼を慕う韓国の人たちによって守られています。

◆浅川 巧 年譜

西暦和暦年齢事項
1891明治240歳1月15日、山梨県北巨摩郡甲村に生まれる
1897306村山西尋常小学校(現・高根西小学校)入学
19013410祖父・小尾伝右衛門死去
19043713(日露戦争)
19063915山梨県立農林学校入学
19074016(抗日義兵闘争が朝鮮全土に拡大)
19094218秋田県大館営林署に勤務
(安重根がハルビンで伊藤博文を射殺)
19104319(韓国併合)
1914大正323大館営林署退職、朝鮮半島へ渡る
朝鮮総督府農商工部山林課に勤務
(第一次世界大戦)
1916525浅川みつえと結婚
1917626長女・園絵が生まれる
1919828(三・一独立運動)
1920929千葉県我孫子に柳宗悦を訪ねる
「朝鮮民族美術館」設立運動を企画
19211030妻・みつえ死去
19231232(関東大震災/朝鮮人虐殺)
19241333「朝鮮民族美術館」設立開館
露天埋蔵発芽促進法を開発
19251434大北 咲と再婚
19261535次女生まれるが死去
1927昭和236兄・伯教と共に分院窯跡調査
1929438「朝鮮の膳」刊行、釜山の窯跡調査
19316404月2日死去、里門里の共同墓地に埋葬

◆浅川伯教・巧兄弟資料館 来館のご案内

浅川伯教・巧兄弟資料館
浅川伯教・巧兄弟資料館

住所山梨県北杜市高根町村山北割3315
北杜市高根生涯学習センター内
TEL 0551-42-1447
休館日月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)・年末年始
開館時間午前9時30分〜午後5時(入館は4時30分まで)
入館料金無料
交通案内鉄道の場合:JR中央本線長坂駅・JR小海線清里駅より市営バス利用、北杜市役所高根総合支所より徒歩5分
車の場合:中央自動車道長坂インターまたは須玉インターから15分

協力・写真提供 浅川伯教・巧兄弟資料館

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