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見聞

李仁洙 〜私財を投じ建立した戦災地蔵尊〜

 李 仁洙(リ・インス)さんは、1918年に着のみ着のままの非常に貧しい状態で来日し、造船所の臨時工としてカマ焚きの作業に従事していましたが、そこでの生活は朝鮮人ということで「差別と嫌がらせ」の毎日でした。

 そして、太平洋戦争の末期の1945年3月東京大空襲で辺り一面焼け野原となり、李さんの住んでいた白河町の人たちも多数犠牲になりました。
 やがて、終戦をむかえ、周囲の惨めな状態に、「日本人から受けた今までの差別や嫌がらせ、また関東大震災での同胞に対する暴行」と言いたい事は山ほどあった訳ですが、「日本人も朝鮮人も同じ人間じゃないか」という強い信念のもとに、すべて水に流して、地域のために立ち上がり、ニ棟のバラックを建てて無料の宿泊所としたり、食事も無料で提供したりしていました。

 その後、1955年には、戦災で亡くなった白河町の700余人の霊を慰めるため、私財を投じて「戦災地蔵尊」を建立致しました。

 このように李さんは、地域に数々の善意の火を灯してきましたが、1971年に、朝鮮民主主義人民共和国へ帰国する事になり、その記念として、小名木川にかかる東深川橋のたもとに、「記念碑」を残して行きました。

 「差別や嫌がらせ」それに基づく「悲しみや恨み」を、大きな広い心で包み込んだ在日朝鮮人の存在を知り、私たちはその心に甘えることなく、在日コリアンの人たちに対するあらゆる偏見や差別心を払拭させて、李さんの思いである「日本人と在日コリアンの共生社会」を実現させて行かなければならないのではないでしょうか。

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