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クローズアップ

露の新治 「新ちゃんのお笑い人権高座」 (2席)

自分から

 例えば空き缶のポイ捨て、見苦しいです。この頃はまた ポイ置きというのが横行してます。ポーンとほるのは気がひけるのか、ソッと置いときよる。電話ボックスとかブロック塀、ひどいのは排水口のビニールパイプの中につっこんである。僕は断じて許せません。ならば腹をたてるだけではなく「自分はポイ捨て、ポイ置きは絶対しない」と決めています。何万本ポイ置きがあり、それに僕の1本ぐらい増えても大勢に影響はない。けどこの1本は僕にとっては100%や。100%ポイ置きするか、きちんとゴミ箱に捨てるかでは、空き缶一個分やけど僕の主体性が問われている。おおげさなようですが、主体性なんてそういう事の積み重ねやと思います。自分で考え、自分で決めて、自分で実行してゆく。人がどうとか、世間がどうとかは別の話。まずは自分の気持ちを大事にするんや。こう考えれば空き缶一個でも清々しい気分になれます。するとポイ置きしてあるのもゴミ箱に捨ててやろうという気になります。わざわざ求めてまではやりませんが、ちょっとの手間でできる時はやってます。ポイ置きをするおっちょこちょいもいるが、きちんとゴミ箱にすてる真面目なおっちゃんもいるという事を見せるのです。だから周りにわかるように一遍缶を上に上げて見せます。そして「ほるぞ」というパフォーマンスをしてからゴミ箱へ。調子に乗って回してたら、中味が残っててチャポンと頭にかかったこともあります。そして自分がきちんとやっていると、人にも注意できます。
 女の子4人組、電車の中でジュースを飲んどりました。終点に着くと4人が4人とも当然のように窓の所へポイポイと置いて行こうとします。黙っている僕ではありません。「ダメじゃないか、きちんとしなさい!」僕は、若い女の子には強く出られるんです。相手が恐そうなおっさんやと知らんふりします。そらそうです、空き缶一個で張り倒されたらかないません。そやから言ってます、「できる範囲で。」って無理する事はありません。できる範囲で頑張ればいいのです。できる範囲で頑張って、それから範囲を広げていったらいいのです。大事なのはあくまで「自分から、本気で」という事です。僕はできる事はやる、できん事はやらん。きっぱりしてます。相手によってきっぱり態度を変える。実に筋の通った性格であります。で、きっぱり言うた。
 「ちゃんとしなさい!」「すみません」と言いながら戻ってきた。悪い娘ではありません。そしてバラバラの4本をちゃんと隅へ揃えて出ていきました<オイオイ>。時にはから振りもしますが「自分から、本気で」を大事にしてます。
 僕はこの「自分から本気で」というスタンスを「同和問題」から学びました。「差別があかん、まちがいや」というのは誰でも知ってます。けどなかなか本気で自分から差別をしない、させないという事になりません。「差別があかん」という事をほんまにはわかっていないのです。「差別があかん」という声がある事を知っているだけです。「知っている」と「わかる」の間にはかなり深くて広い溝があります。情報として知ってる事を「わかる」ためには、核になる経験と実感、それを広げてゆく想像力が要ります。これは地震の怖さ、戦争の恐ろしさ、失恋の辛さ、差別のしんどさ、命の尊さ、すべての事に言えます。ほんまにわかるという事はなかなか難しいことです。
 僕には甥や娘がいます。その子らが将来恋愛、結婚という時、相手が被差別部落の人だった場合、僕の本気が問われます。僕はちゃんと言うつもりです。「差別はまちがいや。相手の中味で判断したらええ。できるだけの応援したるから頑張りや」。ところが世間にはいざという時ごまかす人がいます。「差別はあかんで、けど世間にはまだまだ頭の固い人がいてる。そんな人とも付き合っていかなならんのが人生ちゅうもんや。しんどいめをするのは君やでェ。ワシは別にええけど、他の親戚がどう言うかなァ。いやあんたの為を思って言うたるねんで。それにあんたら2人はまだええがな。好きで一緒になるねんから。問題は2人の間にできた子や。みすみす差別される事がわかってて不幸な子を作るやなんて、それで親として責任持てるか?いやアンタの為を思って言うてるねんで、差別はあかんけどなァ」。差別はあかんと言いながら、きっちりと差別を押しつけてます。僕はこんな卑怯者にはなりたくありません。何故なら差別はまちがいやとはっきりわからしてもろたんですから、もう二度とまちがいたくないのです。

次回に続く

  • 直接的差別と間接的差別

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