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クローズアップ

塩見 鮮一郎 「東京の同和問題と浅草弾左衛門」 (最終回)

近代差別の質

 江戸時代のように、身分制度があって差別されてきたことと、制度がなくなってもなお被差別部落として差別されていることはおおいに違います。今日の差別は、もはや制度の問題ではなくて、日本というひとつの文化圏が日本語を使ってつくりあげてきた、そういう文化の質あるいは規範といったほうがいいのかもしれませんが、こういうもののなかに被差別部落の人達に対する差別がつくられているのだと思います。

挿絵  現在は相当変わってきていますが、少し古い時代には差別は当り前で、一緒に遊ぶことすら考えられない、一緒に飯を食わない、始めから除外するということが、ずっとあるわけです。明治、大正、昭和という元号をいだく日本の社会がもった文化のなかにそういうのがあるわけです。この差別は女性に対して向けられたこともあれば、身障者やハンセン病の人に対しても向けられました。江戸時代のような革の流通のために制度化されたなかに、はめ込まれた差別とはまったく質の違う差別の問題に、今の私どもは直面しています。

 筒井康隆氏の断筆問題は、いろんな人がいろんなことを考えたんだと思います。誰かが問題提起すれば、そのことで日本の文化の質のようなものが変わっていくわけで、その変わり方が急激な変わり方ではなくて、細かくお互いにこの問題はどうすればよいのかということを言いながら、少しずつ変わっていく。ですから、差別の問題は、いつか私たちの持っている文化をもう一度問い直すとき、大きなテーマになって来るのではないかと、そんなふうなことを考えています。

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