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塩見 鮮一郎 「東京の同和問題と浅草弾左衛門」 (その2)

弾左衛門への好奇心

挿絵  30年ほど前、就職して東京へきたころには、「東京には部落がない」といわれていました。弾左衛門という名前を知っている人は、東京ではなく、むしろ群馬県とか神奈川県とかちょっと都心から離れた、つまりそこに長いこと住んでいる方と話をしてはじめて、「うん、弾左衛門というのは聞いたことがある」という風な反応でした。それに対してなかなかの好奇心がある。他の人の名前を聞くときとは違った対応だったんです。私も弾左衛門という人物をよく知らなかったので、どうしてかなと好奇心をそそられました。なんか怖い存在だなという雰囲気がどこかにあるようでした。それ以上のことは分かりませんでした。

 そこで、色々の伝てを探して、「弾左衛門は江戸のどこに住んでいたのか」を聞きました。ようやく関西の被差別部落出身の東京のある大学を中退した方と知り合い、浅草に古くから住んでいる人を紹介してもらいました。やっとのことで、アクセスというかそういう道が見つかったと思いました。

挿絵  その日の午後に、案内をしてくれる人と浅草で待ち合わせをしました。車で浅草中を走り回り、どこを走っているのかわからない。暫くして「どの辺ですか」と聞くと、彼が「あっち」だという。あっちを見るとお寺はある。お寺があって民家がある。ただそれだけでした。東京のどこにでも見られる風景がずっとあるんです。また暫く車は走りました。

 結局その日は、その回りをぐるぐるしただけで、連れていって貰えませんでした。やはり案内をしてくれた人は、私をそこには連れて行きたくなかったのではないかと最近になって思っております。

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