私たちは企業の立場から人権の輪をひろげるため、人権に関するさまざまな情報を発信しています。

クローズアップ

金澤 泰子
『闇の中にこそ光がある』〜ダウン症の書家(娘)と私(母)の27年〜(その1)

金澤 泰子

●プロフィール

金澤 泰子
(かなざわ やすこ)

1943年生まれ
1964年 短歌・馬場あき子に師事
1965年 明治大学卒業
1977年 書道「学書院」に入会・柳田泰雲に師事
1985年 6月 翔子誕生
1990年 東京に書道教室開設

【筆者の著書】
『愛にはじまる』(ビジネス社 2006年)
『天使の正体』(かまくら春秋社 2008年)
『天使がこの世に降り立てば』(かまくら春秋社 2010年)
『魂の書』(清流出版 2011年)
『翔子』(角川マガジン 2012年)

娘・翔子の誕生


 私の娘・翔子は今年27歳になります。染色体が普通の人より1つ多いダウン症者です。

 出産して50日目に、「知能がなく、たぶん歩くことも難しいだろう」と告知されました。翔子誕生の27年前はまだ時代背景が悪く、障がい児を授かるということはたいへん辛いことでした。私は涙に暮れてこの告知を受けました。それは想像を絶する苦しみでもありました。

 オロオロと悲嘆に暮れ、どうしていいのかわからず、哀しくジタバタしていました。しかし時間に助けられ、その苦しみも少しずつ忘れていき、慣れたり、諦めたりして、27年経った今、私は精神世界で大変素晴らしい幸福裡にいます。その世界は穏やかで豊かで、とびっきり素晴らしい。途方にくれた地獄めぐりの日々から、どのようにこの安穏な境地に至ったかを、お話ししたいと思います。

 私は42歳で初めての出産をしました。高齢出産は、今ではあまり珍しくはありませんが、その時代は、稀有なことでした。それまで良き夫に守られて、やりたい事はほとんどやり尽し、欲しい物もことごとく手に入れて、有頂天になっていました。待望の子どもを授かり「おめでたです」と医師に言われた時は体があつくなるほど嬉しかったことを覚えています。

 私はあの頃、驕(おご)っていました。子どもが生まれたら日本一の子に育てようなどと思い、意気揚々と出産しました。しかし、50日目に、ダウン症と宣言され絶望の淵に立たされました。重い(と当時は考えられた)知的障がい者を42歳でこの世に出してしまって、私は家族が悲しむ姿をみて、責任の重さに耐えかねノイローゼ気味の中で、この子を始末しなければと、思い込んでしまっていました。今とは大きく時代が違って、知的障がい者に対する偏見は、どうしようもなく強い時代でした。始末するということは私もいっしょに死ぬことでもありました。色々な方法を考えました。しかしどれも実行は出来ませんでした。

 人は無理に死のうとしてもなかなか死ねるものではありません。方法の一つにミルクを薄めて衰弱死を・・・などと愚かなことまで考えました。ミルクを薄めて翔子に与えました。まだ小さい(6か月に満たない)翔子を胸に抱いて薄いミルクをあげると、翔子が小さなお手々を差し伸べて私の頬を支えました。泣きながら抱いている私の涙をぬぐってくれました。そしてこの愚かな母親に微笑み続けてくれました。私はこの賢さに救われました。本来ならば、祝福されるべき存在なのに、周りの人に隠して育てていた暗い哀しみの中で、小さな翔子と私に深い深い信頼関係が出来上がりました。翔子の生きようとする意志、翔子の優しさや賢さは1才未満の時にすでに顕れていました。そんな翔子に私は今でも完全信頼を置いています。

奇跡を起こしてください

 結局、死ぬことはできませんでした。ダウン症は今の医学では治りません。治らないならばと、今度は、神に「奇跡でこの病を治してください」と祈り始めました。ダウン症を今すぐ治して欲しかった。いずれ良い子になるとか、きっと大丈夫だよ、などの言葉では納得がいきませんでした。「私の目の前でダウン症が治った証を見せて下されば、私の持てる物すべて、命さえ捧げますから、奇跡を起こしてください」と神に執拗に迫っていた私はまだ傲慢でした。「奇跡を起こしてください、奇跡はおこりますか? 奇跡を起こす力はこの世にあるのですか、無いのですか? 奇跡を起こす人智を超えた力はこの世にあるのですか、無いのですか?」と、神に詰め寄っていました。

 真剣に祈り始めると、どうしても深く精神世界に入らざるを得なくなります。神になのか、仏になのか、とにかく天に向かって私は問い続け、狂気のようにこの祈りに極まっていきました。当然周りとの人間関係が希薄になっていき、翔子と2人で過ごす時間が多くなりました。近所の人やお友達の親たちとうまく楽しく過ごすことができなくなりました。2人で部屋に籠り、よく書道をしていました。私が長い間、書道に携わっていたので翔子と共にできるのは書道しかありませんでした。それは、今思うと、とても静かでいい時間でした。2人はここで、また、健常な子どもを授かった人達と違う地平に出ていました。さびしく不安な中で地道に書をしていました。この2人だけの闇の中で書への道が開けてきていました。

2013.9掲載

次回に続く

戻るホームに戻る