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クローズアップ

辻井 いつ子
「今日の風、なに色?」〜息子・辻井伸行と歩んだ道のり〜
(その1)

辻井 いつ子
撮影:塔下智士

●プロフィール

1960年(昭和35年)、東京に生まれる
東京女学館短大卒業後、フリーのアナウンサーとして活躍
86年、産婦人科医の辻井孝氏と結婚
88年に生まれた長男・伸行氏が生後まもなく全盲とわかり、絶望と不安のなか、手探りで子育てをスタート持ち前の積極性と行動力で伸行氏の可能性を引き出した
子育てに悩む親御さんが集まって、意見交換をするサイト「辻井いつ子の子育て広場」を開設
自分の経験が少しでもお役に立てればと、各地で講演活動も行う
著書に『今日の風、なに色?』『のぶカンタービレ!』、自身の経験をもとに子育てのポイントを紹介した、最新刊『親ばか力〜子どもの才能を引き出す10の法則』がアスコムから発売中

“辻井いつ子の子育て広場”ホームページ
http://kosodate-hiroba.net

たくさんの思いが走馬燈のように蘇る

 2009年6月、アメリカ・テキサス州で第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが開催。7日に表彰式があり、全てのプログラムを終えた伸行と私は、受賞された方々に笑顔で拍手を送っていました。
 いよいよ優勝者の発表。会場全体に「ノブユキ・ツジイ」というコールが響き渡ったとき、大きな拍手や歓声が沸き起こりました。
 まさか、息子の名前が呼ばれるなんて思っていませんでしたので、私も伸行もびっくり。でも、ステージに上がって、ヴァン・クライバーンさんからゴールドメダルをいただく伸行の姿を見ていたら、次第に実感が湧いてきました。
 今まで一度も、私たちの前で泣き顔を見せたことのなかった伸行が、そのとき、ステージで一瞬、笑顔を崩して嬉し泣きの表情に変わります。そんな彼を見た瞬間、私は、今までのことが走馬燈のように蘇りました。
 子育てに模索していたこと、幼い頃にピアノを弾き始めたことなど、いろんな思いが蘇り「あぁ、ここまできたのだなぁ」と思いました。
生後15日頃の伸行と私
▲生後15日頃の伸行と私。いつまでも眼を開けてくれない不安な日々
 伸行が誕生したのは、1988年9月13日。私が28歳のときでした。出産の喜びを全身に感じながらも、いつまでたっても眼を開けない伸行を前に、眼に対する不安が芽生えてきたのです。そしてその不安は、日々少しずつ大きくなっていきました。
 結局、私が夫の孝から眼科の先生の診断結果を聞いたのは、病院から退院したあとでした。伸行の眼は、何らかの理由で眼球が成長しない「小眼球」という障害のせいでした。あとで聞いたところによると、夫も眼の異常に気づき、生後すぐ眼科の先生に診てもらっていたそうなのですが、出産直後の私にそれを知らせるのは避けた方がいい、と判断してくれていたようです。
 この子は一生眼が見えないと知ったとき、私は、深い谷底に突き落とされたようなショックを受けました。当時の日記帳をめくってみると「私や孝(夫)の顔を一生見ないで終わるのかと思うと、泣いても泣ききれない」「生まれたときからこんなハンディを抱えて、それでも伸行は生きている方が幸せなのか」「もう毎日が辛い。何をしていても辛い」と、悲痛な言葉が殴り書きのように残されています。

私が落ち込んでいてはこの子はだめになってしまう

 それからしばらくは、外出して美しいものを見ても、自然と涙がこぼれて仕方ありませんでした。西の空に広がる夕焼けや、クリスマスのイルミネーションなど、私は季節と共に移り変わる街や自然の表情を眺めるのがとても好きなのですが、「伸行にはこの光景が一生見えないんだ」と思うと、視界が涙でかすみ、いたたまれなくなってしまうのです。
 しかし、深い絶望感と同時にこんな気持ちもありました。それは、私が落ち込んでいたら、私もこの子もだめになってしまう。私の沈んだ気持ちが伸行に伝わってしまったら、この子はきっと明るい子には育たない、と焦るような気持ちです。
 手探りの育児が続くなか、藁にもすがる思いで、本屋さんや図書館へ足を運びました。そんなとき出合ったのが、福澤美和さんが書かれた『フロックスはわたしの目』(文春文庫)という1冊の本。それは、網膜色素変性という視力障害がある福澤さんが、盲導犬のフロックスと一緒に生きる様を描いたエッセイでした。
 読んでみると、福澤さんは障害がありながら歌舞伎を楽しんだり、博覧会や美術館にも出かけたり、と人生を楽しんでいることが印象的でした。
 それまで私は、「見えない」ということにとらわれるあまり、その人がその人らしく生きていくということに気が回りませんでした。障害に関する本は少なく、当時は、障害というマイナスをいかに克服して社会に適応するか、といった本ばかり。生まれてきた子どもの才能を伸ばすよりも、いかに社会という枠にはめ込むか、そういったことを書いた本が多かったように思います。
 しかし、福澤さんは、何事にも楽しみながらチャレンジされていて、「障害があっても、こんな生き方もできるんだ」と、私は驚くほど気持ちが明るくなりました。

「普通にお育てになったらいいのよ」

 読み終わった後、居ても立ってもいられない私は、福澤さんにすぐにお便りを出しました。自分も視力障害の子どもをもっていること、本を読んで福澤さんの生き方そのものに感動したこと、読み終えて、とても勇気づけられたことなど、思いのたけを、私はカセットテープに吹き込み、福澤さんへ送ります。
 すると、数日後に福澤さんからお返事が届きました。しかも「お会いしたいから箱根にいらっしゃいませんか」というお誘いの言葉まで添えられて……。思い立ったらすぐに行動してしまう私は、夫に相談して、生後6カ月になる息子を連れて家族で箱根へ出かけました。
 福澤さんとお会いし、息子をどう育てればいいのか悩んでいることを打ち明けると、福澤さんは、「普通にお育てになったらいいのよ。あなたが感じるままに、いいと思うことは一緒にやってみたら」と。彼女の一言が、素直に私の心に溶け込んでいき、曇っていた霧が一気に晴れたような気分でした。
 福澤さんとの出会いを通して、初めて気づかされたことがあります。それは、伸行が抱えている「見えない」という世界は、私たちが考えているような暗黒の世界ではない、ということです。私たち晴眼者は、自分が見えているため、見えないことに悲壮になってしまいがちです。しかし、生まれつき光を感じたことのない伸行には、彼なりの感覚や世界が広がっているのです。
ですから、私は、“障害児だから障害児らしく”ではなく、“伸行だから伸行らしく”育て、彼が持つ世界をもっともっと豊かにしていこう、と決心しました。
 なるべく伸行を外に連れだし、ご近所の方にもかわいがっていただくように心がけました。「うちの子は眼が見えないんですが、よろしくお願いします。なるべく声をかけてあげてくださいね」と言うと、最初はみなさん驚かれますが、すぐに笑顔で「あら、かわいいおぼっちゃんだこと。伸行クン、声かけるわね。こちらこそ、よろしく」と受け入れてくださいました。
 これには、福澤さんの影響があります。晴眼者と視覚障害者が仲良く暮らしていけることを、私は福澤さんを通して学んでいました。私が気後れしていては、伸行の世界が広がっていきません。伸行にも福澤さんのような明るい世界をもってほしいな、と強く思っていたのです。

次回に続く

  • 音楽への反応がどんどん豊かに
  • 何か1つだけこの子が自信を持てれば

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