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見城 慶和「学ぶ楽しさ すばらしさ」〜生きる力を支え励ます学び〜(その3) - クローズアップ - ひろげよう人権

ゆとりある学校を

年配者から私が何を学んだかお話したいと思います。50歳を過ぎて夜間中学に来た浅見タケさんが、学校で覚えた読み書きでもってこんな作文を綴りました。

私は思い出した 浅見タケ

 今うちの息子は33歳ですが、その子が小学校4年生ぐらいの時でした。学校から帰って宿題の算数をやっていました。私はそれを見て、「あんたなにをやってるの。1234と書いてあるのはわかるけど、横の方に小さくばつや、じゅうと書いてあるのは、おかあちゃんにはちっともわからないわ」と私はいいました。すると子供は、「いまこれがおわったら、おしえてあげるからちょっとまっててね」といったことがありました。

 今こうして九中二部でおしえていただいて、あの時のあれは算数で、たす、ひく、かけるのきごうだったことがわかりました。なんてなさけないだらしのない親だったのでしょう。今はこの学校に来ていろいろおそわって、すこしずつ分かるようになってきました。

 ここに来なかったら、なんにもしらないまま年をとっておわったかもしれません。九中二部の先生方は、私にとっては目のおいしゃさんでもあります。だんだん目が見えるようにして下さいます。

 先生これからもおねがいします。

 平仮名、片仮名が読み書きできる、簡単な漢字が読める、算数の足す、引く、割る、掛けるが分かる。そんなことは当たり前に勉強した人にとっては、喜びでもなんでもないのかもしれませんが、でもそれが分からないで50歳、60歳、70歳になった人、そういう人たちにとっては、それがどんなに喜びでしょう。

 文字が読み書きできなかったばっかりに、子供の具合が悪い時にも受付で問診票が書けないので病院に連れて行ってやれなかった。区役所から書類が来ても読めなかった。電話を掛けたくても数字が分からないから電話も掛けられない。子供にも家族にもどんなに迷惑を掛けたか分からない。そんな人が夜間中学に来て、読み書きができるようになるということは、目が見えるようになる喜びなのですね。そんな喜びを、学ぶ生徒さんは私たちに返してくれるのです。

 この浅見さんが、卒業時の長い卒業作文の後ろに、「鈍行列車」という詩を書きました。

私は幼い時
家が貧しかったので
学校へ行くことができなかった。
ずいぶん年をとってから
私は私の乗れる汽車をみつけた。
それは
夜間中学校という鈍行列車。
私の乗った駅は
荒川九中二部駅。

 こういう詩ですけれども、私はそれを読んだ時に雷に打たれたような気がしました。

 鈍行列車には止まった駅で青空を見、深呼吸もし、ホームのコスモスの花と一声交わすような、そういうゆとりがありますが、新幹線やリニアモーターカーではそういうゆとりもない。そんなゆとりのない学校で良いのだろうか、学校に本当のゆとりを、と願わずにはいられません。

夜間中学で学んだこと

 最後に、私は国語の教師ですので、私が夜間中学の42年間を通して学んだことを、生きる力を支え励ます文法、ということで、国語の授業をさせていただきます。

 言葉がその人の人格を支えます。その人の生き方を支えます。その言葉というのは、4つのポイントに絞ることができると思うのです。

1.上位・下位の概念を明確にしよう

 これは大きな意味を持つ言葉を注意して使おうということです。名詞には含むものと、含まれるものがあります。例えば、玄関に入る時にはちゃんと靴を脱いで入らないと後から来る人が脱ぎにくいから、ちゃんと並べておきなさいという、たったそれだけを注意したいとしますね。それを子どもなんて守れない。すると、「お前駄目じゃないか、お父さんの言うことをちっとも守れない駄目なやつだ」。たった靴をそろえて脱がないだけで、「お前ってやつは駄目なやつだ、まるっきり取り得がない」と全人格を否定される。

 そうすると、「お父さんは私なんか嫌いだ、私なんか居なくてもいいのだ」というように親子断絶になってしまうわけですね。

 なぜもっと具体的な言葉で話し合わないのだろうか。大きな言葉で一般化する時は最終ですよね。具体的な言葉を積み重ねた上で一般化しなければ、良い判断や可能性や肯定的な判断は出てこない。その結論は大抵間違っている。

2.他動詞を意識的に使おう

 「○○が始まる」が自動詞で、「○○を始める」が他動詞ですが、自動詞による問題表現をしがちです。しんどいけれども他動詞で自分の生活を点検して、積極的に自主的に、自分が主人公としての人生を生きるか、そうでないかでは人生が全然違うと思います。

 私の生徒は中国の引き揚げ者が多い。私は何年勉強しても、なかなか中国語の聞き取りができない。「なかなか聞き取れなくてねえ、なかなか話せなくてねえ」と言うと、生徒が「話せないじゃないでしょう、先生が話さないから話せないのでしょう」と言うのですけど、まあ正にその通りです。言うは易く行うは難しいです。

 1日の自分の行動を騙されたと思って一度、他動詞で全部点検してみて、問題があったら正していくことによって、随分生活が変わっていきます。長い間には人生がまるで違ってきます。

3.可能動詞で可能性を否定しない

 「何々することができる」というのを可能動詞と言います。可能動詞を無自覚的に否定的に使うことによって、やってみればできることをやらないで、放棄してしまったり、自分の可能性を封じ込めてしまうことが、あまりにも多いのではないでしょうか。

 「誰々さん、泳ごうよ。泳ぎません。なんで。泳げないから。泳げないから泳いだことがない」。そういう問答をいつも繰り返すのですけれども、「ない」を付けたら一生終わり。「いつでも今が一番若い、今やらなくてどこでする」。夜間中学の合言葉は、「ない、を付けない」ことなのです。いつでも今が一番若い。90歳になっても新しい可能性を見つけ、可能性にチャレンジしよう、ということですね。

4.形容詞の落とし穴に注意する

 これが一番大事です。対象の性質や状態を認識する形容詞ではあまり問題はありませんが、感情を表したり、価値判断などを表現する形容詞には大きな落とし穴があります。黒いとか白いとかいうのは、そのものの属性判断ですから疑がったらコミュニケーションは成り立ちません。でも主に「しい」で終わる形容詞、寂しい、恐ろしい、悔しいは感情評価・価値評価なのですから、それを白いや黒いと同じように無批判に使ったら大変なことになります。だから問題なのです。

 友達のK君のことをA君は「明るいK君」と、一方、B君は「うるさいK君」と言いました。K君に対する評価がどう違っていますか。A君はK君は良い人だなという肯定判断があるからK君のやることが明るいという風に肯定的に判断できる。一方、B君はあの嫌なやつという判断があるから、うるさいK君という風に否定的に判断することになる。A君とK君の人間関係は肯定的にどんどん発展していきます。それに対してB君とK君は敵対関係になって、もうお互いに建設的な関係はなかなか持てない。

 否定すべきものをしっかりと否定するのは自分の尊厳を守る上で大事ですが、その判断の前提となる否定判断に誤りがあると、その否定判断をしているその人が閉鎖的な人間関係になって、みんなから浮いてしまい、苦しいところに追い込まれて最終的には病気になったり、不登校になったりしてしまうのですね。だから、形容詞を吟味して使おう、短絡判断はしないということ、そういうことがとても大事だと思います。

以上

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