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クローズアップ

ジェフ・バーグランド
「異文化コミュニケーションにおける人権と差別」
(その2)

情報処理への「近道」が固定観念を生む

 Stereo Typeの考え方の構造がどうなっているのかということを、ステファン先生らのStereo Typeの「ネットワークモデル」を実際に出して説明してみようと思う。モデルの真ん中の部分がグループノード(ファイル名)になる。一つの情報を収集して」処理するときに一番のポイントになるところである。

 そのグループノードから「根本的なこと」「実際の例」「特徴」「実際の行動、現われ」が出てくる。
 たとえば、一人の日本人がアメリカ人と出会ったときに典型例がチェックされていく。「根本的なこと」はアメリカで生まれた、またはアメリカに住んでいる:英語を喋るなど、アリメカ人としての根本的な要素、何をもってアメリカ人とするかという点である。
 「実際の例」は、これまでに接したアメリカ人を思い浮かべてみる。直接アメリカ人と出会ったことのない人であれば、たとえば、ブッシュ大統領であるとか映画俳優のトム・クルーズであるとかとの比較である。
 「特徴」は、実際の外見などにプラスして、ニュースや芸能の世界に出てくる人の総合的な特徴として、外交的である:親しみやすい、ジョークが好きなど。あるいは攻撃的である:自己主張が強いなどを確認する。
「実際の行動」は、外交的なところ、よく笑う、誰にでも挨拶をする。攻撃的な面では、よく口論をする、日本に対して外圧を与えるなどが挙げられる。
 以上のような構造から、初めて出会っても、この人は多分アメリカ人であろうと判断できる、こうであるという「Stereo Type=近道」があるわけだ。
 もちろん、実際にアメリカ人と出会うなど、自分の文化グループと違う文化グループと出会う回数、経験の多さと親密度によって、つまり判断に対する信頼性によって「近道」を利用するかどうかも変わってくる。
 私達は、まったく会ったことのない人に出会ったときに、二つの情報収集の方法をとる。一つは、近道の例と比較して見るのではなく、その人の服装、振る舞い、どのようにして私達と接しているかなどの情報を収集する。
 二つ目は、「近道」のテープが動き出す。アメリカ人とあまり接したことのない日本人であれば、アメリカ人の固定観念のテープが動き出して、その人を典型と照らし合わせて見る。
 しかし、照らし合わせてみることは、ネットワークのモデルにある形のもの、つまり、アメリカ人はこうであるという「決めつけ」と重なる情報は簡単に収集することができるが、それと異なる情報の場合、収集しても処理されない。これは非常に恐ろしいことである。

 アメリカ人は外交的である、よく笑う、誰にでも挨拶するなどの特徴が挙げられていたが、そのまったく逆で、内向的であまり笑わない、知らない人とあまり喋らないアメリカ人と出会ったときに、「この人はアメリカ人ではない」と処理してしまう。アメリカ人であるとわかっても、固定観念を変えるのではなく、アメリカ人の例外として処理していく。すると、いままでのアメリカ人のモデルは変わらないままで存在することになる。
 たとえば、頭の中にテーブルを思い浮かべてほしい。素材はそれぞれだが、木が一番多いだろうか。足が四本。表面は平ら。形は四角いか丸かのどちらかだろう。これがテーブルの固定観念。だから初めて見てもその形をしていれば、テーブルだと判断する。
 しかし人間の固定観念に幅は非常に大きく、コンピューターとは異なる。
 たとえば、キャンプに行ったときに物を置きたいのでテーブルの代用品をつくろうという場合。石か何かの上に段ボールを畳んで置いたら、それもテーブルとして認識する。
 しかし、例外として認めただけで、石が四つ、段ボールが一枚などの要素がテーブルを認識する観念としてはインプットされることはない。
 つまり、例外とはいえどもテーブルだったのに、元々のテーブルの固定観念が変えられることはない。思いこみとは頑固なものである。
 私達は自分と違う文化、違う価値観、違う常識を持つ人間と出会うときにその外見で判断をするが、その外見に伴う私達の固定観念というフィルターをはめて見てしまうのだ。そのことを意識することが大切である。

 ここで「イングループ」と「アウトグループ」について見てみよう。自分と同じ文化の人達と異文化の人達とでは、どのように評価に違いが生じてくるのだろうか。
 自分と同じ「イングループ」では、個人差があることを知っているから、たとえば私は男性だが、男性はみんな同じだとはとても思わない。一人一人の個人として見る。
 しかし「アウトグループ」たとえば私は健常者だから、障害者はひとくくりで見てしまう。場合によっては目の不自由な人も、足の不自由な人も、耳の不自由な人もみんな障害者としてまとめて見て、つき合いにくいというように、片付けてしまう。
 ホームレスの人でも、一人一人個性があって、これまでの歩んできた人生はさまざまなのだが、ひとまとめにして汚いとか危ないとか決めつけた見方しかしない。
 また、「アウトグループ」の人の行動などを評価するときに、悪い形容詞がつく固定観念が多い。これが差別の元になる。
 男性から見ると、女性はみんなヒステリーであるとかの見方が差別の元である。

 私達はもっと自分の固定観念がつくられるプロセス、固定観念の動きを意識しないといけない。

■固定観念のしくみ ■Ultimate Attribution Error
  (根本的性質の地理違い)

From:Walter G Stephan
    Cookie White Stephan

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