杉山 文野 (すぎやま ふみの)
●プロフィール
1981年  東京都生まれ
  日本女子大学附属の幼・小・中・高を経て、早稲田大学教育学部を卒業
  現在は同大大学院教育学研究科修士課程に在学中
  2004年度女子フェンシング日本代表
  体は「女」だけど心は「男」――自身が性同一性障害であることを、告白する
【著書】
「ダブルハッピネス」講談社
http://plaza.rakuten.co.jp/fumino810/
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無知による差別

 アジア有数のゲイタウン、新宿二丁目。セクシュアルマイノリティというとイコールで夜の世界と結びつける方も多いが、誰も好き好んで夜の世界に入っているわけではないのだ。もちろん好きで働いている者もいるだろうが、できることなら昼の世界で働きたいと思っている新宿二丁目の住人は多い。

 何故か? 前述したように昼間の世界はマイノリティに冷たく、就職の受け入れ先は非常に狭い。本来の自分の姿でいられる場所が少ないのだ。スカートをはいただけで気持ち悪いとののしられる。GIDという理由で内定を取り消される……ありのままの自分の姿でいられる場所はあまりにも少ない。

 しかし、生きるため、手術のためにはお金が必要。となると結局行き着くところは新宿二丁目のような夜の世界になってしまうのである。もしも、昼の世界がマイノリティに対して寛容であったらこんな街は存在しなかっただろう。  「普通」の方にとってなかなか理解し難いもののひとつに「手術」があると思う。「そこまでする必要ないでしょ」と、健康な体にメスを入れてまで性を変えようとするGIDに対して偏見を持っている方も多いのではないだろうか。ここでは少し「手術」ということに触れてみたい。

 従来「性転換手術」と呼ばれていたものは現在では「性別適合手術(SRS[※2])」と呼ばれるようになった。何故かといえば当事者にとっての手術は「性を変えるため」ではなく「元の体に戻るため」のものだからだ。僕自身もそう。男になりたいのではなく「本来の姿、男の体を取り戻したい」というイメージ。女体の着ぐるみをはやく脱ぎ捨て、元の姿に戻りたい……一度も経験したはずのない男体に「戻りたい」と思ってしまうことは、自分でも不思議なのだが正直な気持ちだから仕方ない。こればかりは神様のいたずらとでも言うしか他ないのである。  手術というと「なんて罰当たりな」とか「普通じゃない人がすることだ」などという意見をよく耳にするが、よく考えていただきたい。誰だってわざわざお金を払ってまで痛い思いをしたくはない。一生傷が残ったり、生死のリスクを背負う決断を簡単な気持ちですることはできない。それでも手術を選択するほどの「心の傷」を負っているのだということをどうか理解して欲しい。

 人間は目に見えないもの、自分が知らないことに対しては否定的なものである。育った環境やその時の心境、GIDに限らずどんなことでも賛成の人がいれば否定的な人がいるのは当たり前だ。だから全ての人に理解してくれと言うつもりもない。ただ、知らないから否定するというのだけは違うと思うのだ。無知による差別。「知らなかったから」では済まないだろう。




身近な問題として

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▲生徒にフェンシングを教える[写真提供:北森 順一さん]

 僕が自分の話しをすると、「そういう人に会うのって初めて!」と言われることが多々ある。しかし、本当に「初めて」なのだろうか? 自分の周りにはそんな人はいないと思っていないだろうか? テレビの中の世界、自分とは程遠い世界、それこそ新宿二丁目でいうような夜の世界の話だと思っていないだろうか? それは「いない」のではなく隠れているから気づかなかっただけである。

 僕が今まで会ってきたセクシュアルマイノリティの多くは、未だに親や友逹には言えないと言っていた。わざわざリスクを侵してまで「はい!自分は〜」と名乗り出る者はいないだろう。自分を偽り「普通」という世界でひっそりと生きているセクシュアルマイノリティは無数に存在するのだ。

 僕はたまたま家族や仲間に恵まれていたので本来の自分を素直に表現できるようになったが、僕自身、恵まれた環境やきっかけがなければ、「スポーツ好きでボーイッシュな女の子」として自分を偽り一生通し続けたかもしれない。以前に比べ多様性に対して寛容になったとはいえ、まだまだ安心してマイノリティである自分を表現できる環境になったとは決して言えないだろう。

 しかし、と一方では思う。当事者も当事者でもう少し強くならなければいけない時期がきていると。一九九六年に「性同一性障害」という言葉が出てから、社会がGIDを否定的に捉えることはあまりなかったように思うのだが、そのぶんどうしても「取り扱い注意」として過保護に扱いすぎてしまったのではないだろうか。そうされればそうされるほど当事者も、自らを特別扱いし、「なんでもっとわかってくれないんだ!」「もっと慎重にあつかってくれ!」と甘えすぎてしまったのでは……。これが社会と当事者との間に距離ができてしまったひとつの原因とも考えられる。

 僕もカミングアウトする前は「自分の話をして軽蔑されたらどうしよう」と悩んでいた。しかし、こう思っていた僕こそが社会に偏見を抱いていたのだ。思っていたよりもまわりは温かく受け入れてくれた。当事者も社会側もお互い恐がらずに一歩ずつ歩み寄る時期が来ているのではないか。




身近な問題として

 まだまだ根強い偏見があるのも事実。大変なことも辛いこともあり、医学的にも法律学的にも課題は山積みのこの問題を軽々しく語るつもりはない。しかし、距離を縮めるためにも僕はあえてポップに語りたい。そして、事実を事実として一人でも多くの方に知っていただけたら幸いである。

 持って生まれた違いが障害なのか? それとも違いを受け入れられない社会に障害があるのか? 障害ってなんだろう?


[※2](SRS)Sex Reassignment Surgery


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