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金子みすゞの「大漁」に出合ったのは、いまから四十年前、大学一年の時に読んだ『日本童謡集』(岩波文庫)の中ででした。この「大漁」を読んだ時、童謡集に入っている他の87人の三百数十編が一瞬にして消えてしまうほどの衝撃でした。それまでの自分中心、人間中心のまなざしをひっくり返された、といっていいでしょう。 ー金子みすゞの作品をもっと読みたいー この時から、私のみすゞ捜しの旅は始まったのです。そして、16年目に実弟の上山雅輔さんに出合い、手元に大切に保管されていたみすゞの自筆の三冊の手帳に辿りついたのです。1982(昭和57)年六月のことでした。2年後に3冊の手帳をもとに、『金子みすゞ全集』(JULA出版局)を出版、みすゞは1930(昭和5)年3月10日、26才の若さで亡くなってから半世紀ぶりに甦ったのです。 私はみすゞさんの文学を、「みすゞさんの宇宙」「みすゞコスモス」と呼んでいます。みすゞコスモスのまなざしは、「あなたと私」です。「大漁」に出合うまで、私はずっと「私と鰮」でした。鰮は私に食べられてあたりまえ、というまなざしです。しかし、「大漁」に出合った時、この自分中心、人間中心のまなざしが、「鰮と私」にひっくり返されたのです。 みすゞさんのまなざしは、「私とあなた」ではなく、「あなたと私」です。では、どうして私ではなく、あなたが先なのでしょう。 「みなさんは人間です。でもどうして自分が人間だと気づいたのでしょうか。誰かが君は人間だよ、と教えてくれたのでしょうか」 多分、誰一人として君は人間だよ、なんて教えてもらった人はいないのではないでしょうか。ではもし、みなさんが生まれてすぐに犬くんたちの群れにポンと置かれたら、自分をなんだと考えるでしょうか。小学生の人たちに尋ねると、「犬だと思う」と答えます。 そうなのです。私たちが自分を人間だと認識できる、こんな根源的なことですら、生まれた時からずっと、両親や祖父母、友だちや先生、地域の人たちがいてくれるからなのです。つまり、私が私であるためには、あなたという存在がいてくれないと成り立たないのです。ですから、「私とあなた」ではなく、「あなたと私」なのです。 「親と子」「先生と生徒」「上司と部下」、みんな同じです。子が生まれてくれて親にしてくれたのだから、「子と親」だったのです。ただ、ずっと私たちは自分を中心に考えてきたのです。自分を中心に考えると、自分が相手より上がってしまいますから、上から下へ、「なぜ分からないの」「どうして出来ないの」「君のことが分からない」と、いいがちになるのです。これでは相手を理解することは出来ないのです。自分中心で上がってしまった自分の位置を、相手の位置まで下さない限り、相手を理解することは出来ないのです。だから理解するとは英語で、アンダ・スタンド、下に立つと書くのです。
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