人間の価値と生き方について(その3)


人種差別

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 2004年のアテネパラリンピックに射撃で出場をした。本題に入る前に、アテネへの出場権を取るためにしないといけないことを書きます。アテネに出るためには【国の枠】というものを獲らないと出られない。それはオリンピック(パラリンピックも同じ)のない3年の間に、決まった国際大会に出場する。そこで基準点以上を最低2回出さないといけない。それで、0.5人が日本の枠となる。つまり2人が基準点以上を出すと1人の出場枠をもらえる。
 それは国の枠であって、個人の枠ではない。たとえ、私が獲ってきた枠でも国内予選で負ければ、ほかの人がアテネに行く、というわけ。この枠を獲るために、アテネの前の年は約2ヶ月海外で過ごした。仕事をセーブし、家事も大幅に手抜きし、許す時間を射撃につぎ込んだ甲斐もあり、念願のアテネ出場を勝ち取った。 世界選手権とパラリンピックの一番の違いは、みんな国を背負ってきていること。 国によってはメダルを獲ることで選手、コーチを含め、その後の地位や待遇、収入が大きく変わってくる。そのため残念ながら汚い側面もある。
 たとえば私の場合、試合の直前に、フランスの審判員が私の銃にクレームをつけてきた。事前に銃剣査というものがあり、公式練習もあるにも関わらず、試合5分前にやってきて動揺させる。あれこれと問答があって結局クレームは却下されたが、すでに試合は始まっている。2試合目にも同じことをされ、それが意図的なものだと気付いた。理屈では、気にすることはないと分かっているのに、私は胸がドキドキして収まらない。アドレナリンが異常分泌して小さなものが見えなくなってしまった。
 これは私自身、大舞台で気負っていたことで、より一層反応したのかもしれない。結果は、入賞すらできなかったが60発すべて、一発たりともいい加減な気持ちでは撃たず、ベストを尽くしたがこれほど、苦しい1時間40分はなかった。
 射撃やフェンシング、乗馬といった競技に東洋人が強くなることを喜ばない人たちがいる。これは説得するとか、相手の言うことに合わせる、ことでは解決しない。人種差別による攻撃があっても動じず、へこたれないで上位に食い込んでいく。それで相手に認知させる、無視できない存在になる内に、その次の世代くらいで少しは融合できるかもしれない。
 4年後の北京に出られるかどうかは分からない。私のやるべきことは、実力をつけることと、審判員よりルールを熟知し理論武装をすること。実は相手は理不尽なことを言っていることは、悟っていると思う。だから「これは侮れないぞ」という気持ちになるはず。




最後に

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▲アテネの射撃

 日本にいれば、車椅子という障害のことだけを考えていればよかった。ある別の国に行けば、車椅子プラス女性差別もある。ヨーロッパで、トップを目指す競技においては車椅子、人種差別も意識されられる。私自身は何も変わらないのに、どこにいるか、いつの時代にいるかで、障害が増えたり減ったりするわけだ。
人種の問題にしても障害や同和も似ているが「足を踏んだほうは痛みを感じないが、踏まれる側の痛さは体を通し心にまで傷を残す」
 突然、知らない人から襟元に千円札をねじ込まれること、「大変ねえ」と頬ずりされるという同情という名の世間の差別もあった。その上、障害者やそれを取り巻く親や福祉関係の人たちにも、そういう健常者を助長するような言動もあり、障害者の自立を遅らせている。
 何の根拠もなく、「障害者は暗くなければいけない」と思っている人に対し、必要以上に楽しい自分を演出して明るく振舞うこともあった。それも不自然である、ということにようやく気がつき、長い長い3段階から4段階へ移行できた。 「障害者がこう生きるべきだなんて、誰がどういう基準できめたの?それは自分で決めること。そのためには障害を受け入れ、自分の残された能力に期待をすること」だと思う。
 私は障害者の権利主張する団体には入らない。それが無意味とは言わないし、法律により、自立の機会が増えるなら、多いに賛成だ。しかし、人それぞれアプローチの仕方があると思う。私はこのような書く機会や講演に呼んでもらうことで経験を話し、自分の痛みも人の痛みも共に考えていきたい。今、日本の自殺者は40代、50代の健康な男性という。何も障害は体にだけあるのではない。たまたま私は車椅子になったことによって、知らない世界を経験することができた。
 ミスインターナショナル、ファッションモデルという「外見重視の王道」から車椅子になったので、受け入れるのに楽ではなかったのは事実だ。だからこそ、悩みながら成長することの喜びも味わえたのだろう。今、自分の人生を素直に受け入れている。
 おこがましいが、こうなった以上、私だけではなく障害者は次に続く障害者に道を切り開く役目を与えられたと考えている。何も大げさな運動をするのではない。一人ひとりが仕事を持ち、精神的にも自立をし、 自分の能力に期待をして欲しい。そして社会に貢献することにより、世間の人が認め融合できると、私は信じる。