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最後に、私は国語の教師ですので、私が夜間中学の42年間を通して学んだことを、生きる力を支え励ます文法、ということで、国語の授業をさせていただきます。
言葉がその人の人格を支えます。その人の生き方を支えます。その言葉というのは、4つのポイントに絞ることができると思うのです。
1.上位・下位の概念を明確にしよう
これは大きな意味を持つ言葉を注意して使おうということです。名詞には含むものと、含まれるものがあります。例えば、玄関に入る時にはちゃんと靴を脱いで入らないと後から来る人が脱ぎにくいから、ちゃんと並べておきなさいという、たったそれだけを注意したいとしますね。それを子どもなんて守れない。すると、「お前駄目じゃないか、お父さんの言うことをちっとも守れない駄目なやつだ」。たった靴をそろえて脱がないだけで、「お前ってやつは駄目なやつだ、まるっきり取り得がない」と全人格を否定される。
そうすると、「お父さんは私なんか嫌いだ、私なんか居なくてもいいのだ」というように親子断絶になってしまうわけですね。
なぜもっと具体的な言葉で話し合わないのだろうか。大きな言葉で一般化する時は最終ですよね。具体的な言葉を積み重ねた上で一般化しなければ、良い判断や可能性や肯定的な判断は出てこない。その結論は大抵間違っている。
2.他動詞を意識的に使おう
「○○が始まる」が自動詞で、「○○を始める」が他動詞ですが、自動詞による問題表現をしがちです。しんどいけれども他動詞で自分の生活を点検して、積極的に自主的に、自分が主人公としての人生を生きるか、そうでないかでは人生が全然違うと思います。
私の生徒は中国の引き揚げ者が多い。私は何年勉強しても、なかなか中国語の聞き取りができない。「なかなか聞き取れなくてねえ、なかなか話せなくてねえ」と言うと、生徒が「話せないじゃないでしょう、先生が話さないから話せないのでしょう」と言うのですけど、まあ正にその通りです。言うは易く行うは難しいです。
1日の自分の行動を騙されたと思って一度、他動詞で全部点検してみて、問題があったら正していくことによって、随分生活が変わっていきます。長い間には人生がまるで違ってきます。
3.可能動詞で可能性を否定しない
「何々することができる」というのを可能動詞と言います。可能動詞を無自覚的に否定的に使うことによって、やってみればできることをやらないで、放棄してしまったり、自分の可能性を封じ込めてしまうことが、あまりにも多いのではないでしょうか。
「誰々さん、泳ごうよ。泳ぎません。なんで。泳げないから。泳げないから泳いだことがない」。そういう問答をいつも繰り返すのですけれども、「ない」を付けたら一生終わり。「いつでも今が一番若い、今やらなくてどこでする」。夜間中学の合言葉は、「ない、を付けない」ことなのです。いつでも今が一番若い。90歳になっても新しい可能性を見つけ、可能性にチャレンジしよう、ということですね。
4.形容詞の落とし穴に注意する
これが一番大事です。対象の性質や状態を認識する形容詞ではあまり問題はありませんが、感情を表したり、価値判断などを表現する形容詞には大きな落とし穴があります。黒いとか白いとかいうのは、そのものの属性判断ですから疑がったらコミュニケーションは成り立ちません。でも主に「しい」で終わる形容詞、寂しい、恐ろしい、悔しいは感情評価・価値評価なのですから、それを白いや黒いと同じように無批判に使ったら大変なことになります。だから問題なのです。
友達のK君のことをA君は「明るいK君」と、一方、B君は「うるさいK君」と言いました。K君に対する評価がどう違っていますか。A君はK君は良い人だなという肯定判断があるからK君のやることが明るいという風に肯定的に判断できる。一方、B君はあの嫌なやつという判断があるから、うるさいK君という風に否定的に判断することになる。A君とK君の人間関係は肯定的にどんどん発展していきます。それに対してB君とK君は敵対関係になって、もうお互いに建設的な関係はなかなか持てない。
否定すべきものをしっかりと否定するのは自分の尊厳を守る上で大事ですが、その判断の前提となる否定判断に誤りがあると、その否定判断をしているその人が閉鎖的な人間関係になって、みんなから浮いてしまい、苦しいところに追い込まれて最終的には病気になったり、不登校になったりしてしまうのですね。だから、形容詞を吟味して使おう、短絡判断はしないということ、そういうことがとても大事だと思います。
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