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私自身ですが、1昨年、2003年の3月31日で退職しました。東京都の決まりで、65を過ぎると嘱託も駄目で、本当に残念でした。私はその時二つのクラスを受け持っていたんですけども、しんちゃんのいた若い人たちのCクラスと、もう一つはそれよりもやや勉強が進んだDクラス。Dクラスの場合は生徒が7人だったのです。その生徒さんの平均年齢が66歳でした。だから教えている私よりも学んでいる生徒さんの平均年齢の方が上なのですよね。私よりも年配者がいっぱい勉強しているのに、私が42年も夜間中学で培ったノウハウは、まだまだ皆に役立つはずだから、このまま定年になるのは残念でたまらない。何とかなんないかなと思っていたら、統廃合で文花中学は、隣の吾嬬三中と一緒になって新校舎に移ったのです。映画に撮られている、私が定年まで勤めていたあの校舎が丸々空き家になった。これを使わないままにしておくのはもったいない、ここを利用させてもらおうということで、教育委員会にお願いしたら、勉強会に使うのならばということで、なんと教室も花壇も校庭も体育館も無償で借りられたのです。
そんなことで私は「えんぴつの会」というのを週3日やっています。校舎の周りにぐるりと花壇を掘って、季節の花をちゃんと計画的に植えて、花が絶えない。それからジャガイモを作ったりサツマイモを作ったり、韓国の人はサンチェを作ったり、中国から来た人はシャンツァイを作ったり。自分の国の野菜がそこでできるから、その学校が、すごく自分の故郷みたいに身近なものに感じられるのですね。校舎の周りに花が咲いて、野菜もできて、さて今年は何を作るか、今から楽しみです。
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「えんぴつの会」は50人が登録していて、常時来る人は20人くらいです。80歳以上の人が6人います。中には学齢の不登校の子もいます。公立の夜間中学じゃないから入学制限はありません。勉強したい人は誰でも面倒みたい、教えたいという退職教員の仲間に呼びかけて、15人の人たちでチームを組んでやっています。
私は1937年(昭和12)の生まれで、物心付いた時にはもう太平洋戦争まっただ中で、国民学校に入学して、2年生の8月15日が敗戦です。戦中戦後、もうないないづくしで鉛筆1本買えなかったのです。だから本当にギリギリまで使って、いよいよ持てなくなると、笹竹にさして使ったのですね。そんな風に使った鉛筆は捨てられないで、だから小学校や中学の時に使った鉛筆、高校の時に使った鉛筆を持っているのです。ある時、増田れい子さんが家に来てくださった時に「思い出の鉛筆で、捨てられなくて、持っているのですよ」って言ったら、「ちょっと貸してくださいね」と言って、私が高等学校の頃に使った鉛筆を一握り持っていかれて、それをすてきな写真にしてくださって、「鉛筆」というとってもすてきな随筆を添えて、「暮しの手帖」に載せてくださった。また、退職の時にこの鉛筆たちを見ていましたらね、どの1本1本もが、「お前のためにこんな短くなるまで働いてやったのに、お前はまだ私たちの働きに応えるだけの仕事をしてないじゃないか」と、僕に突き刺さってくるような気がして、そうだもっともっと良い仕事しなくては駄目だなと思って、「えんぴつの会」という名前にしました。
学校を借りていますから、机とかチョークとかは沢山あるのですけど、肝心の電話も、印刷機も無い。それから大勢で使っていた学校ですから、今2、30人で使っていると、水道がたちまち淀んでしまって、夏なんか臭くなって飲料水に適さない。水も無いという、ちょっと辛い条件もあるのですけども、伸び伸びとね、本当に学びに来た人が、分かるまで学び合える、一番勉強したいことに直に答えられる。あーこれが本当の勉強だな。嘱託まで終わった私が、初めて本当の勉強、本当の授業じゃないかと、手ごたえを感じています。だから、こんなに幸せな勉強の場はありません。
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