部落史は変わった(その2) 関西大学文学部講師 上杉 聰(うえすぎ さとし)

「士農工商」への疑問

 まず、「士農工商」の部分に限って見てみよう。この言葉を初めて聞いたとき、「おや?」と思って、そのおかしさに気づかれた方も、かなりいらっしゃるのではなかろうか。
 たとえば先生が、「上見て暮らすな、下を見て暮らせと、権力者は身分を作った。武士が農民を見下し、農は工を、工は商を見下した」と説明され、さらにその下に部落があるとして、その名前が続けられた。ところが、教科書には別の所で、商人が大金持ちで登場してくる。農民も、水飲み百姓など、貧しい生活を余儀なくされた人々のいたことを描いている。
 「だからこそ、士農工商という身分を作って、年貢を取るため農民に優越感をもたせ、工商をその下に置いたのだ」とも語られた。たしかに、「士」が「農」を支配したのは間違いないだろう。「しかし、はたして農が工や商を支配しただろうか」……こういう疑問を抱いた優秀な生徒が確実にいたと思われる。だが、もしそれを質問してしまえば、先生は答えられないで、授業は壊れてしまうかもしれないと感じ、賢い生徒たちは、疑問を飲み込んで学校の授業を守ってきたのかも知れない。
 しかし、その無理がもたらす「ほころび」が、やがて学校現場に広がっていった。同和教育を熱心に進めれば進めるほど、子供たちが「士農工商えた非人」の語を使った差別遊びをすることになったのである。「俺は『殿様』。おまえは『農民』、おまえは『えた』」などと決めて、ジャンケンで身分を変えていくゲームなどである。先生の間には、「一所懸命、同和教育に努めた成果がこれなのか」と落胆し、疑問が生まれた。
 私なども、そうした疑問や悩み、どうしたらよいかなどの相談を、先生方からお受けした。当初私は、「子供たちの中に、もともと差別意識があります。同和教育によって、一時的にそれが刺激されることもあるでしょう。長い目で見て進めていきましょう」などとお答えすることもあった。
 だが、すくなくとも一回の授業で差別意識を喚起されたとするなら、その二倍の時間を使ってそれを克服しなければならなくなる。同和教育の授業が、もう一つの同和教育を必要とするなどというのは、もとの授業が、結果として差別をばらまいたことを意味しよう。その授業は、やはり失敗だったのだ。




中国の四字熟語の転用

 部落の歴史が学校の教科書に登場するようになったのは1970年代のことである。それから約20年かけて、こうした疑問は広がりつづけた。何らかの欠陥がそこに隠されていることに気づいた歴史研究者たちは、「士農工商」それ自体の問題点にさかのぼって追究することを始めた。その結果は、それが日本の身分制を正確に表すものでない、という結論だったのである。
 「士農工商」とは、今から3000年も前に使われていた古代中国の、「民」の職業を列挙した四字熟語にすぎなかった。本来は「民衆全体」「人間一般」を表す言葉として、すでに古代の日本にも輸入され、江戸時代の身分制を表すものとして生まれたり使われた言葉ではなかったのだ。
 「士」は「民」に含まれるというのは、奇異に感じられるかもしれない。だがそれは、私たちが「士」を「武士」と直結させる考え方に――「士農工商」を通して――あまりに慣れ親しんできたからにすぎない。弁護士や栄養士、学士、博士などの言葉が示すように、「士」の本来の意味は、役人や文化人を表す言葉だった(できれば『広辞苑』で「士」を引いてみられたい)。
 また、「工」という身分は、日本では独立して存在しておらず、住む場所で「農」か「商」へ分けられていたことがわかってきた。つまり、実態は三身分であること、さらに、それぞれは正式に「武士」「百姓」「町人」と呼ばれたこともはっきりしてきた。そして、それらの関係は、図2で示したように「百姓」「町人」が互いに平等で、ともに「武士」の支配を受けていたという、当たり前の事実を確認することになった。私たちは、大きな誤解をしていたことに気づいたのである。




差別用語としての「士農工商」

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▲図1 使うべきでないピラミッド図式

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▲図2 江戸時代の主要三身分の関係

 いっぽう、江戸時代の儒学者のなかに、たしかに「士農工商」を、現代の私たちが最近まで使ってきたような意味で使用していた例もあったことが発見された。つまり、現実は図2のような身分制であったものを、あえて図1のように表す江戸時代の学者が確かにいたのである。
 その理由は、私たちが学校で聞いたように、「農民に優越感をもたせるために、工商をその下に置いた」のだった。ただしそれは、あくまで頭の中だけのことである。つまり、「士農工商」とは、図2の現実を覆い隠すための「虚偽」意識なのであり、たんなるイデオロギーであったことがはっきりしてきた。
 しかし、その「虚偽」意識とは、人をランク付けするものであり、人の価値に序列を付けようとするものに他ならない。それを言い換えるならば、「差別用語」である。学校の先生は、「士農工商……」と語るたびに、子供たちに、江戸時代の儒者の差別意識を植え付けていたことになる。差別遊びが起こる必然性は、ここにあったのだ。
 教科書が「士農工商」をやめて、主要な三身分を書くようになった理由は、それが歴史の現実に合わないことが判明したことを第一に挙げることができるが、それに加え、この言葉が差別用語として使われることがあることに、教科書の執筆者たちが、ようやく気づいたからにほかならない。

 

次回に続く

部落史は変わった(その3)
  • 部落差別に特有の性格とは
  • 現代へとつながる「排除」の差別


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