共生社会の実現に向けて 〜オールド・イズ・ワンダフル〜(その2)作家・陶芸家 俵 萌子(たわら もえこ)


高齢者虐待の実態

写真

▲ 栃木県佐野市民大学で「人生に定年はない」を講演する筆者

 二〇〇〇年四月から、介護保険、成年後見制度が施行された。 

 それまで密室だった在宅老人の介護現場に、ヘルパーさんや訪問看護師という他人が出入りするようになった。その副産物として、少しづつ明るみに出てきたのが、家族による老人虐待の事実である。

 私がT子さんの言葉に、ふと感じた“言葉による虐待”が現実にあり得るということがわかってきた。厚生労働省が二〇〇二年十月から二〇〇三年の一年間に、訪問介護事業所などを通じて、家族による老人虐待を調査したのだ。調査に答えたのは、ケアマネージャーといわれる人たち。

グラフ
▲総人口に占める高齢者の割合の推移(グラフをクリックすると拡大表示します)

 六十五歳以上の老人、一九九一人の状況が回答された。それによると、虐待は大きく五つのタイプに分かれる。多い順に並べる。

  心理的虐待(六三・六%)
   この中に、私が感じていた言葉による虐待も含まれる。
  介護や世話の放棄、放任(五二・四%)
   部屋に閉じ込めたり、「監禁、隔離」することを含める。
  身体的虐待(五〇%)
   殴る、ける、縛る、つねるなど・・・
  経済的虐待(二二・四%)
   年金を子どもが搾取してしまい、親が適切な治療や介護を受けられない。
  性的虐待(一・三%)
   本人が同意していない性交渉など。
 
 

グラフ
▲我が国の65歳以上人口の推移(グラフをクリックすると拡大表示します)

では、家族の中のだれが虐待するのか。これも多い順に並べると

 ・息子(三二%)
 ・息子の妻(二一%)
 ・高齢者本人の配偶者(二〇%)
  内わけは夫はが一二%、妻が八%。
 ・娘(一六%)
 
 かつて私が老人虐待について、鈍感であり、恥ずかしながら、気がついていなかったと書いた。

 人権問題はすべてについて同じことがいえる。この調査で、私が興味を引かれたのは、虐待している本人に、虐待しているという自覚がないということである。               

 虐待者の大半(五四・一%)は、自分が老人を虐待していると思っていない。「わからない」と答えている人も二〇・四%いて、合わせると七五%もの人に、                「自分は、老人(親)を虐待している」   
という自覚がない。はっきり、自分は老人を虐待していると思っているのは二四・七%。四人に一人でしかない。

グラフ
▲機関別虐待の内容(複数回答)(グラフをクリックすると拡大表示します)

 殴ったり、たたいたりしても、それは、親がボケているから仕方がないとか、親のためを思って殴っているのだ。たぶんそんなふうに思っているのではないか。

 かなしいのは、高齢者の方だ。ふつうの人権問題なら                   
《足を踏んでいる人は痛くない。踏まれた人は痛い》                  
という公式が成立するのだが、老人の場合は、そうはいかない。

 認知症が多くなる老人の場合、「虐待されているのかどうかわからない」という人が何と、過半数を占めてしまうのだ。はっきり「虐待されている」と自覚出来るのは、四五・二%でしかない。その点が、子どもと高齢者の場合の共通点である。だからこそ、児童虐待防止法と同様、高齢者虐待防止法が必要なのだ。日本にはまだ高齢者虐待防止法は出来ていない。

 一九七〇年代から八〇年代にかけて、私はフェミニズムの運動の先頭に立っていた。男女間暴力防止法(DV法)を作ることを最初に提言したのも私だし、東京都にシェルターをはじめて作らせたのも私の属する女性解放グループであった。それがいま、男女共同参画社会基本法として実を結んだのはうれしいことだが、一つやり残したことで、気にかかっていることがある。

 それは、年齢によって人間を差別することを禁ずる社会の実現である。

 ご存知のように、ジェンダーの運動は、一九七〇年代のアメリカから起こった。アメリカには、ジェンダーの前に公民権運動という“人種差別”に対する反対運動があった。一九六八年、黒人運動の指導者であったキング牧師の暗殺事件を覚えていらっしゃる方は多いだろう。
「黒人に公平な市民権を・・・」という声はアメリカ中を席巻し、やがて「ブラック・イズ・ビューティフル」という文化革命にまで発展していった。

 そのあとに起こったのが、性による差別禁止運動で、その波が日本にも到達したのはご存知の通り。当初その運動は「ウーマン・リブ」と呼ばれた。

 私たち日本の女性が呼応して「ウーマン・リブ」を闘ったのは、一九七五年(国際女性年)から一九九〇年への約一五年間だった。

 しかし、アメリカでは、ジェンダー運動に続いて、性愛の形による差別禁止運動が起こり、続いて、年齢による差別禁止運動へと発展していった。

 その成果が、アメリカでは公務員をはじめとして、多くの職場での“定年制廃止”として実を結んだ。

 日本では、長い長い儒教文化“男尊女卑”と家制度の障壁が大きかった。ジェンダーの運動は、アメリカの三倍手間どってしまった。そのため、性愛差別や年齢差別にはついに手が届かなかった。そのうち、バブル崩壊の冷え込み時代に突入する。経済の冷え込みは当然文化運動をも凍結させる。この十五年間、日本にほとんど新しい思潮の波は起きなかったといっていい。せいぜい小さな残務整理と手直しと反動の調整をやっていたに過ぎない。

 しかし、いまや、積み残した課題「年齢による人間差別を禁止する文化運動」は、絶妙の好機に直面している。
不景気のぬかるみの中で、未曾有の高齢社会(と少子社会)だけは着実に進行している。

 若者は減る一方。老人は、増える一方。とくに団塊の世代が老人加入し、老人世代は一気に増大する。年金は、出す人が居ない。受け取る人ばかりだ。年金制度はすでに破綻している。だったら、老人自身が働き、出す人の側に回るしかない。ならば、当然定年は延長するか、廃止するしかないだろう。

 私は小さな企業を経営しているが、わが社には定年はない。“定年制”がなくたって、企業の活力を維持することは不可能ではない。経営者の才覚次第だ。
年齢差別を禁止するのは、経済界ばかりではない。黒人運動が最終的に
《ブラック・イズ・ビューティフル》という文化革命に到達したように、年齢差別禁止運動も、最終的には
《オールド・イズ・ワンダフル》に辿り着かなくてはならない。

 

終わりに  若者だけに媚びた番組を作るテレビには「見ない、払わない」運動をぶつけるべきだし、六十歳以上は、アンケートからも切り捨てる失礼な調査には抗議を申し込むべきだし、政治家の定年制度も廃止すべきだ。若くても、野心しかないような人物に、日本をまかせることは出来ない。

 時は至れり。いまこそ、年齢差別撤廃の好機なのである。