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それなら、このジェンダーの観点から男性を考えたらどんな姿が見えてくるのでしょう。そのひとつとして、多くの男性は女性以上にジェンダーの見方に縛られているということがいえるだろうと思います。女性差別がなかなかなくならないのは、社会の主導権を握っている男性の側にジェンダーに基づく偏見が根強いからだともいわれます。特に、現代の日本社会ではこの傾向が他の国々よりも強いという印象がありあす。ひとつの例として、以前、ある大企業の方からこんな話を聞いたことがあります。 「最近は入社試験をすると女性の方が成績がいい。成績だけでみると7対3くらいで女性が上に来る。でも、面接などで、採用段階では7対3か8対2くらいで男性を採用することになる」。 こうした判断は、国際的にみたとき、「優秀な女性労働力が多数存在しているのにそれを活用しないなんて、何てもったいないことをしているんだ」ということに今ではなっているようです(ダボス会議=世界経済フォーラムなどでも、日本の女性の経済活動への参加率の低さが日本経済の低迷の原因のひとつだとさえ指摘されています)。 それなら、なぜこの仕組みから脱出できないのでしょうか。ひとつは、日本の男性のジェンダー問題への無関心(というよりも鈍感さ)ということがあげられると思います。なぜ男性がこの問題に無関心かといえば、日本の社会が今や強固な男性主導社会になってしまっているからです。女性たちは、男性主導社会で、いやな思いやつらい経験をしています。だから、ジェンダー問題にはいやでも敏感にならざるをえないのです。でも、男性たちは、男性主導社会という枠組みのなかにいれば、これまでは、それほどいやな思いやつらい経験をしなくてすんできました。その結果、「今の仕組みが問題だ」という発想がなかなか出てこないのです。 もうひとつ理由があります。日本の経済成長が「男は仕事、女は家庭」というジェンダー構造によって支えられてきた側面があるということです。特に、1970年代以後はこの構造はそれまで以上にはっきりしてきます(自営業や農業従事者が多数派を占めていた戦後間もない時代まで、実は、日本社会において、女性の多くが男性とともに生産労働の中軸を担っていたことを思い出してください)。この時代、それまで以上に「男は外で長時間労働、女は一手に家事・育児・介護」という仕組みが強化されています。考えてみれば、確かに、この仕組みは経済成長には都合がよかったのです。「家庭のことなど考えず長時間働く男性労働者とそれを影で一人で支える家庭の女性」という構図は、効率や生産性という点ではきわめて有効だったからです。 |
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しかし、このジェンダーによる労働の分業の仕組みは、今、いろいろなところで「ひずみ」を生み出しているように思います。ひとつは、家庭の絆の崩壊です。そもそも男性たちは家庭に居ないのですから、家族とコミュニケーションをとる時間もほとんどありません。夫婦関係も(特に夫の家庭活動への不参加を契機に女性の側から)崩れやすくなっていきます。子どもの教育も、妻まかせです。その結果、妻たちは育児ノイローゼになったり、またときに過保護や過干渉という形で子どものスポイルが起こりやすくなります。
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こんなことを言うと、「それなら日本の経済発展はストップする」という方がいるかもしれません。大丈夫です。これからの社会では、女性(そして高齢者や外国の方も含めて)の社会参画・労働参加の拡大が、それを補って余りある力を発揮するはずだからです。男女ともに、仕事と家庭がバランスよく運営できる(ワーク・ライフ・バランス)社会が、男女共同参画が目指す社会なのですから。 こう考えるとき、男女ともに、お互いの人権に配慮しながら、社会生活の場で、また家庭・地域生活において、もてる能力や個性を発揮しつつ、共に助けあいながらバランスよく生活できる社会=男女共同参画社会の形成のためにも、あらゆる生活の場面をジェンダーの視点で点検していくことが、これからは必要になるということがご理解いただけるのではないかと思います。 |
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