東北から見た部落差別(下)(その1) 東北芸術工科大学 教授 赤坂 憲雄

穢れの民族史は可能か

 いま、日本文化のなかの差別と穢れにかかわる問いをめぐって、とても大きな転換点が訪れている。日本人は穢れを忌み、清浄を尊ぶ民族である、そんな決まり文句がなかったか。それにたいして、わたしは根源的な懐疑を抱きはじめている。日本人とは誰か、日本民族とは何か、そして、穢れとは、清浄とはいったい何か。それらの問いは、どれもみな、口の端に乗せた瞬間、何ひとつ自明なものではありえないことに気付かされる。

 とはいえ、古代の都を中心とした、天皇をいただく貴族社会に源を発して、しだいに日本社会に広く、深く浸透していった穢れを忌み怖れる精神風土は、疑いもなく存在する。それはしかも、たんなる歴史のなかの忘れられた遺物ではない。たとえば、わたしたちの社会はいま、奇妙な清潔恐怖に覆い尽くされているかに見える。なぜ、これほど執拗に、身体が分泌する大小便や汗、体臭といったものが忌避されるのか。それをたんに、この高度な資本主義社会が避けがたく情報操作によって増幅してゆく、ゆがんだ欲望の所産と見なすとすれば、足をすくわれることになる。かぎりなく透明で、清潔な身体への欲望はおそらく、穢れを忌み怖れる精神風土とまったく無縁ではありえない。

 穢れの民族史は、その意味において、切実に、わたしたちの現在に根ざしつつ問われるべき課題である。穢れの観念やタブーといったものが、古代以来、つねに陰湿な差別のシステムを支え、強化するイデオロギー装置の一環をなしてきたことを思えば、そして、いまだに社会の見えにくい暗がりに蠢(うごめ)いていることを思えば、それがいま・ここにおいて引き受けるべき大切な課題であることは、否定しようもない。

 

穢れ――肉と稲のはざまに

 たとえば、被差別部落に向けての陰湿な差別の背後には、穢れ観念と、それにまつわるタブー意識が見え隠れしている。被差別部落は近世の幕藩体制のもとで、政治的な作為にもとづいて制度化されたものだという側面は、たしかに認められるにせよ、穢れと差別との関わりを根底から問うことなしには、差別のシステムそれ自体を相対化し、無化してゆくことはむずかしいだろう。

 たとえば、辻本正教の『ケガレ意識と部落差別を考える』はまさに、その一点にくさびを打ち込んだ、そして、これからの部落史研究のゆく末を占うに足る労作である。このケガレ=穢れにまつわる問いの群れはいずれ、部落史研究という限定された領域には留まらず、この列島の社会・文化について深く考えようとする人々にとって、避けがたいテーマとして認知される日がやって来るにちがいない。辻本の著書ははっきりと、そうした近未来の訪れを予告している。

 穢れと観念されてきたものには、大きくいって三種類ある。死の穢れ、産や月経にまつわる血の穢れ、そして、皮革や肉食の穢れである。それぞれに歴史的な様相は異にするが、いずれの穢れも差別の民俗に結びついてきた。死者の葬送にしたがう人々への差別があった。血の穢れを忌むがゆえの女性差別があった。そして、牛馬をはふり皮を剥ぐことを生業とした人々への差別があった。これらの穢れが錯綜しつつ織りなす精神史的な景観のなかで、とりわけ、第三の皮革や肉食にかかわる差別の根底に横たわるものが、核心的なテーマとなるはずである。

 日本は瑞穂の国である、という。あるいは、日本文化の基層には稲作農耕文化が横たわっている、としばしば語られる。そうした稲作中心史観の呪縛は、わたしたちが意識しているよりもはるかに強く、根深いものがある。そこでは、皮や肉の文化といったものはたいてい、社会・文化にとって周縁的な現象にすぎない、と見なされている。わたしはそれを疑ってきた。そうした通説には従うことができない。皮や肉の文化ははたして、日本社会の根幹をなすと信じられている稲の文化を補完するだけの、とるに足らぬマージナル(注: 周縁的)な代物なのか。

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▲遠野を取材中の辻本さん(右)とともに。2002年11月

 この反省がいま、起点に置かれる必要がある。むしろ、皮や肉の文化と稲の文化とが、いわば交わり/あらが抗いあう風景こそが、日本文化の深みに沈められているのではないか。その接点にこそ、穢れや差別の民俗が、じつに多様なかたちで姿を現わしてくる。この列島社会のなかに、見えにくい底流をなしてきた皮や肉の文化、また狩猟や供犠の文化の掘り起こしを進めながら、穢れの民族史の再考が求められている。そこからやがて、あらたな列島の社会=文化史が伐り拓かれてゆく可能性は、たいへん大きい。

 

次回に続く


●著書
・『異人論序説』砂子屋書房 1985年
・『排除の現象学』洋泉社 1986年
・『王と天皇』筑摩書房 1988年
・『境界の発生』砂子屋書房 1989年
・『象徴天皇という物語』筑摩書房 1990年
・『山の精神史』小学館 1991年
・『漂白の精神史』小学館 1994年
・『遠野/物語考』宝島社 1994年
・『柳田国男の読み方』ちくま新書 1994年
・『「注文の多い料理店」考』五柳書院 1995年
・『物語からの風』五柳書院 1995年
・『東北学へ』1 作品社 1996年
・『東北学へ』2 作品社 1997年
・『東北学へ』3 作品社 1998年
・『山野河海まんだら』筑摩書房 1999年
・『海の精神史』小学館 2000年
・『東西/南北考』岩波新書 2000年
・『民族誌を織る旅』五柳叢書 2002年
・『一国民俗学を越えて』五柳叢書 2002年     など



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