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差別とは何か、という問いは、答えるのがとてもむずかしい。おそらく、差別という問題が問いとして一般化された瞬間に、それは手の指の隙間から滑り落ちてゆく砂粒のように、とりとめもなく拡散してゆくものなのだろう。それはあくまで、具体的な現場から問われるべき問題である。だから、部落差別、身体障害者にたいする差別、あるいは女性差別といったものは、どれひとつとして同じ顔をしていない。それゆえ、当たり前のことだが、それぞれの差別を解消してゆくための道筋もまた、同じではない。 あえて言っておくが、被差別部落には何ひとつ宿命的なものはない。たとえばそれは、血の連続性に根ざしたカースト制度などとは大きく異なっている。むしろ、血や筋はまったくの見せかけであり、たんなる装いにすぎない。そうでなければ、時代による大きな変容や、地域ごとのこれほどの多様性といったことが、了解しがたいことになる。くりかえすが、それは歴史的に創られた、あくまで限定された文化的表象物にすぎない。
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これまで、被差別部落をめぐる地域的な多様性については、かならずしも研究が盛んではなかったように思われる。おそらく、その理由の少なくともひとつは、先進地域とされる畿内の被差別部落をモデルとして、いわば無意識の先進/後進、中心/周縁の構図にからめとられながら、ほかの地域の差別の実態が判別されてきたからである。畿内とは異質な状況が見られても、それは後進性や周縁性のあらわれとして、経済的かつ文化的な「遅れ」の問題として了解されてきたために、その地域的な多様性をきちんと解き明かす志向そのものが生まれなかったのである。 しかし、これはとても大切なテーマである。たとえば、中世史家の網野善彦さんが『東と西の語る日本の歴史』の「文庫版まえがき」のなかで、列島の「東と西」の差異という視座から、この問題に言及している。網野さんはそこで、いくつかの重要な指摘を行なっている。わたしの関心にしたがって、箇条書きに抜き出してみよう。
関心をそそられるテーマが並んでいる。わたしたちが新しい視座から、この被差別部落という問題にアプローチしようとするときには、いずれも大切な手がかりとなるにちがいない。すべてに触れる余裕はとてもない。ここでは、まず第一に、(2)と(4)に関連して、列島の東/西の差異を浮き彫りにしつつ、その社会的な背景を読みほどくために、東北の被差別部落をめぐる状況について考えてみたい。それから、第二に、(1)と(5)にかかわり、ことに沖縄の差別をめぐる状況に触れてみたい、と思う。
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