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私自身、強引に男社会の権化のような競馬社会にもぐりこみ、女性で最初の競馬記者といわれたものの、あの頃の私は男より男らしく振る舞っていたから、女性記者ではなく、男性記者だったのだと思っている。いくら男らしく振る舞っても、おんぶお化けのように「女なんかにはわからない」「やっぱり女はダメ」という言葉がつきまとってきて、自分が求めた仕事をしながら自分を段々見失ってしまった。職場では「ネエチャン」と呼ばれ、結婚したら取材先で「カアチャン」と呼ばれ、転職したり退職に追い込まれたり。その度に、自分をしっかり生きられる男性をうらやましく思ってきた。 だから、生まれ変ったら男性に!と願ったのである。 でも、本当に男性は自分を生きていたのだろうかという疑問を持ったのは、「粗大ゴミ」「濡れ落ち葉」「わし男」という言葉が次々生まれた時だった。自分という芯をしっかり通してきた人間が、定年を迎えたからといって、いきなり粗大ゴミと化すわけはないはずだ。 女の役割として家事育児に励んできた女性が、子供が巣立った途端に「空の巣症候群」と呼ばれる無気力状態におちいったように、男の役割として仕事をしてきた男性もまた、仕事を失った途端に粗大ゴミ状態になってしまったということだ。与えられた役割によって生かされていると、役割の終了とともにその先が続かなくなる。
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男女共同参画社会は、男社会に女性が入り込むことではなく、新しい男女の生き方を創造することなのだと思う。女性の権利だけが拡大されるかのように誤解している男性や、女性の男性化を由々しきことだと顔をしかめている男性もいるようだが、これは男性の権利を守ることでもあるのだということを理解してほしいと願っている。自分が本当にしたいことを、男性だからという理由であきらめてきた人だっているはずなのだから。 役割を分担して、お互いが補完しあう関係は、ひとりで生きられない人間をつくってしまう。21世紀に目指す人間の姿は、男女ともに自分の人生をひとりできちんと責任を持って生き、"自分"という芯を自分の中にしっかり持っていること。そして、そんな新しい男女の関係はともに家庭と社会を支えていくパートナーということになろうかと理解している。パートナーシップは、日本語にすれば「平等な協力関係」ということになる。 ひとりで生きていける者同士が、よりよく生きるためにどのような関係を築きあげていけるか。その形は、これまでのように標準家庭というイメージでひとまとめにできるような幅ではなく、それこそ多様な関係が生まれるはずだ。
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